第11話 ひとりじゃないから①

 翌日。

 さくらが出社すると、社内には不穏な空気が流れていた。


 残業は禁止だが、早出は歓迎されている。オフピーク通勤にもなるし、会社併設のカフェは朝の六時から開いている。

 さくらはあおいと一緒なので、保育園の開園時間に合わせてしか出勤できないけれど、いつか朝のカフェで仕事してみたいと常々思う。


 総務部は、すでにほとんどの社員が揃っていた。

 今年度の新入社員がもっとも遅い出社なんて情けないけれど、子どもがまだ小さいということで、さくらはみなさんの好意に甘えている。


「あ、来た! ちょっとさくらさん!」


 あいさつもそこそこに、最初に叶恵が話しかけてきた。すっかり、総務部のメンバーとして、部になじんでいた。みんなでランチも行く仲だ。


「おはようございます叶恵さん、みなさんも。どうされました?」

「なにが『おはよう』よ、悠長ね。これよこれ!」


 叶恵は会社貸与のノートパソコンを、さくらの前に突きつけた。


「え……」


 社内メールの画面だった。

 まばたきを繰り返してみたものの、文章が変わるはずはなかった。



『柴崎さくら ふたごを欲しがるまじエロ女。北澤ルイと毎日ヤリまくり』



 中傷だった。

 そのあとにも、延々とあられもない文面が続いている。


 メールの発信者は、美咲だった。

 ふたごがほしい話は、家族以外には美咲にしかしていない。


「やだ、嘘」


 さくらの膝が震えた。倒れそうになって、壮馬が支えてくれた。


「こんなの、なにかの間違いです! 美咲さんは、こんなことをする人じゃありません!」

「でも、このメールは社内に一斉送信されているのよ? 全社員に」


 唇を噛みながら、さくらも自分のパソコンを立ち上げた。

 叶恵が言うように、さくらのメールボックスにも同じものが届いていた。


「建築事業部の美咲さんと仲良くなったの? ふたごがほしいなんて、初耳なんだけど?」

「なんで、叶恵さんに全部相談しなきゃいけないんですか! 美咲さんは、私が憧れている建築事業部の方で、ふたごちゃんのお母さんで、昨日おうちに招待されて、遊びに行ったんです」

「あなたは次期社長夫人なんだから、付き合う人を選ばなきゃだめよ。こういう誹謗する人はどこの世界にもいる」


「私、美咲さんに確認してきます。私は美咲さんを信じています」

「今日、彼女はお休みだそうです。確認済です」


 壮馬のひとことがさくらに刺さった。


「そんな」


 がっくりと、さくらは机に手を置いた。信じられない。信じたくない。だって、昨日は楽しかった。あおいも、ふたごちゃんもかわいかった。日曜なのに、類も揃ってうれしかったのに。


 そのとき、電話が鳴って、総務部の先輩から壮馬に取り次がれたが、すぐにさくらのほうへ向き直る。


「さくらさん、ルイさんからです。ここよりも、会議室に回したほうがよさそうですね」


 壮馬から、会議室の鍵を受け取り、さくらは頭を下げた。

 きっと、類もこのメールを受け取ったに違いない。


「会議室、といっても、盗聴されているかもしれないし、あんまり込み入った話は禁物。手短にね」

「はい」


 叶恵のアドバイスを胸に、さくらは会議室へ急いで走った。

 途中、すれ違う社員たちがみんな、さくらを好奇の目で見ていた。こういうのは慣れている。慣れていたつもりだ、でも。


「もしもし! 類くん?」


 会議室備え付けの電話機をもぎ取るように手にしたさくらは、受話器の向こうで待っていてくれた類に呼びかけた。


『さくら?』


「うん。私……さくらだよ……るいくん……」


 類の声が全身に染み渡る。うれしい。


『なにかの間違いだよ。美咲さんがあんなことをするわけない。ぼくたちを陥れようとする罠』


「そうだよね。私もそう思う」


『美咲さん、今日はお休みなんだってね。ふたごちゃんのどっちかが、熱を出したらしい。あの、ダンナがあやしいと思うよ、ぼくは!』


 美咲の夫が犯人?


『昨日、シバサキに反感むき出しだったじゃん。ぼくたちを批判して、美咲さんが追い込まれて退職するように仕組んだんじゃないかな』


「それ、あるかも。なんか、そんな気がしてきた」


『さくらは、堂々としていればいい。ふたご、というか子どもがほしいのはほんとうのことなんだし、類くんと毎日らぶらぶなのも事実だし。あのメール内容どころか、毎日もっと激しくてふかーい関係でしょ』


「う、うん……ほんとうに」


『しんどかったら、壮馬さんにお願いして、少し医務室で休むといいよ。母さん、いや社長にも、美咲さんの処分は重くしないよう、お願いしておく』


「ありがとう。類くん、だいすき」


『ぼくもだいすき。じゃあ、そろそろ切るよ』


 離れていても、類のぬくもりが伝わってきそうな声だった。

 うれしい。だいじょうぶ、できる。さくらは自分を奮い立たせた。

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