第72話 書けない!

 クトゥルフを書こうとした。


 だけど書けない。


 原典に触れてないせいもあるけれど、見切り発車上等のこの私が、書いて書いて、これっぽっちって、思いたくないのだ。



 許せないのだ――。



 クトゥルフにはSAN値と言って、精神の均衡を保てるかどうかの値が存在する。


 あくまでトークアールピージーでは。


 トークアールピージーは略してTRPG、会話をして、自分の登場人物を演じることで進んでいくゲームなのね。



 まあ、そのSAN値がダイスを振って、一時間で6の値、下がると、きょう気に陥る。


 発きょうしちゃうわけ。


 で、私、クトゥルフを書くにあたって、あえて――サイコロで決めたわけじゃないよ――自分の精神値を、SAN値を下げた。



 そしたら、ううん、いわば当然の帰結っていうか。


 どこからどう見ても、きょう気にとりつかれた作品に、なってしまったのだ。


 それはきょう気に憑りつかれながら、作品を書く、若き天才作家の物語だった。



 うんまあ。


 ストーリーは決まってるし、キャラもそう多くはないし、ネタも決まった――これで書けないほうがどうかしてると、思っていたのだ、私。


 しかし、それはきょう気を効果的に――ていうのも変だけど――ちゃんと、読者にわかるきょう気では、なかった。



 ごめんなさい。


 私、本当のきょう気を書いてしまった。


 視点もコロコロ変わって、いったい何事が起きてるのか――ぼんやりとはわかるんだけど、その道筋があやうい――読んでると頭がおかしくなりそうになる、そういう、本物のきょう気を書いてしまったんだ。



 書くのはしんどかった。


 二日に一回の睡眠で、まどろみながら、一瞬眠って、目を覚まし、半覚醒の状態で、書き――それでよしとして、どんどん続けた。


 眠いけど、眠れない――疲れてるけど、休めない――休もうとしても文字が目の前に浮かぶ、そんな状態で。



 まるで夢遊病のように、私、半ば意地になって、最後まで続けた。


 だけど、それはなんか、いうなれば、薬物か深酒に酔った人間の支離滅裂さで。


 ああもう、わかっているのだ。



 これは没にして、新たに書き直さなきゃなんない――そう、わかっているのに。


 私はこれを手放せない。


 何かの機会に使えないかと思ってしまう。



 だって、本物のきょう気だよ――?


 いくら、取り扱い注意だからって、捨ててしまうには惜しい。


 きょう気の見本(サンプル)なんて、手に入れようとしたら大変な危険を伴う。



 その点、自分の中から抽出したきょう気だもの。


 安全といえば、安全だ。


 うん、これ、私のきょう気だ。



 すごく下手だけど、正気の私には書けないものがある。


 一部筋が通っているかのように見せかけて、支離滅裂、なのにオチがついてる――これも、平静の私には書けない。


 書けたそれがクトゥルフのきょう気かというと、全然違うんだけどね。



 よく、プロ作家さんが、眠気に負けて、それでも書こうとして、原稿の横に「あじのひらき」とか書いてしまう、あんな感じの文章がずっと続くって……悪夢でしょう。


 読んでる人にとってはね?


 そういう、読んでる人に不親切な、とんでもないきょう気を書いてしまったから、だから今、困っている。



 カクヨムのユーザーさんの中には、睡眠時間を削って書いてらっしゃる方もあると思う。


 もう、ぎりぎりの精神状態で書いていて――批判でもされようものなら、舌を噛んで死んでしまいそうになる、誹謗中傷なんてされたら、憤死してしまう――そこまでいってしまった人ならば。


 あるいは、私の暴挙を許して――理解してくれるとは思わない――くれると、思う。



 なんとなれば、私、つらいのだ。


 書くことが楽しくて、楽しくてたまらない。


 書くのは苦行だけど、好きだから書いてる――そんな私に、この現実は、ちょっと、うん、ちょっとだけね? 重いのよ――重すぎる。



 作家というのは、いろいろあるだろうけれど、中にはアイデアが降ってくるまで考え続ける人や、漫然と日常を過ごす人がいたっておかしくない。


 それ以上に、毎日、(プロでもないのに)文章を書き連ねて、ネタをほっくりかえして、なんとか作品を紡ごうとしている人、いたっておかしくなんかないのである。


 ほかにも、家事、育児、お産に、仕事――大人なら、いくらでもネタが――いやさ、雑多なことも含めて、自分の中の時間を割かねばならないことって、いっぱいある。



 しかし、私は違う。


 自分に許された時間をありったけ使い、まっとうな大人ならばしない選択をし、たった二日間、練りに練った作品を世に送ろうと、頑張ってきたのだ。


 もう、私、壊れちゃってもおかしくないんじゃないかなーって、思う。



 幸い、睡眠導入剤を処方されているから、三日目にはぐっすり眠って、できた草稿読んでみて、これってどうなんだろう――って思う余裕があった。


 それで、それだからこそ思うんだけど。


 人間、寝ないと頭おかしくなるって、本当なんだ――これ、実感。



 作家でなくとも、なんらかの道を究めようっていう人は、師匠になんて言われるかって言ったら――衣食住をちゃんとしなさい、ということらしい。


 私、めちゃくちゃだったわ。


 がんばって、がんばって書いたのがこれだもの――私に頑張る価値なんてないと――思ってしまうくらいなんだもの。



 目が醒めた気がする。


 私は、変に頑張っちゃいけないんだ。


 ううん、節度なくして、正常な文章は生まれないのよ――。



 無茶は無茶。


 つらいだけなら、いつでも止めてしまえばいい。



 ここまで書いてきて言うのもなんだけど――その無茶も含めて――私、頑張るのが好きだ。



 楽しいんだ! 限度も、措置もなく、私の中で放っておかれているものを、表に出すことが。


 私の中の、雑多なことから、昔の秘密まで、全部全部書き出してしまいたい。


 作家の「書く」タイミングというのは、空っぽのコップ(大きさは人によりけりらしい)にたまったものがあふれ出したときだという、そんな話を聞いたことがある――それが、いまなんだ。



 なんとなくだけれど、私のコップはちっちゃい気がする。


 すぐにいっぱいになって、書かずにおれないくらい、たまりやすい。


 だから、毎日書き続けていられるんだけれど。



 ごめん、嘘。


 今、すっごく調子悪い。


 カクヨム作家さんで、自主企画の時にお世話になった企画主さんがノートで言っていたのだ。



 スランプなんてありえない! って――それってどうなのかな? って思ったけれど、スランプって経験がない――私は死ぬ間際の人間が、悪いことを言うはずがないっていうの、あんまり信じていない。


 毒を吐いて逝ってしまう人や、私みたいに、支離滅裂なこと書いて死んじゃう人って、いると思うんだ。


 だけど、この作品が遺作になったりなんかしたら、私、死んだって死にきれない。



 あ、この作品っていうのは、きょう気の文章のことね。


 これを残して、そのままにしておいて、天に召されました――なんてこと、絶対にしたくない。


 きょう気でも、ちゃんとした文芸なりキャラ小説なり、しかけのある作品に、したててあげたいのだ。



 過去の自分に。


 この文章を託してくれた、過去の自分に、報いるためにも。


 未来の私が、なんとか――見られる姿に――してあげようじゃないの!



 そう、思った。


 思わずにいられない。


 愛しい、いとしい、私のかけらたち。



 壊れちゃってもいいよ。


 私が何とかしてあげる。


 つなぎあわせて、別の形にしてあげる。



 だから、安心して、頑張っちゃえばいいのよ――そうよ!


 君のかけらは砕いて、粉々にしちゃって、原形をとどめなくとも構わない。


 そのはずよね? 楽しく、苦しかったのは一瞬だったわ。



 だから、いいでしょう? あなたのかけらは、いただくわ。


 おいしくお料理しちゃうから。


 楽しみに、待っていて――?



 正直言うとね、このきょう気を、どうにかするのには力量がいる。


 信じられないほどの時間がいる。


 だけど、あの時、あの瞬間にしか訪れなかった、神様のような時間は、きっとこれからも奇跡と呼ぶにふさわしいから。



 だから、待っていて?


 もうすぐ私の中の時間とコップの中身が熟して、いっぱいになるから。


 だから、きっと、待っていて?



 ――待って、いて……?






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