第68話 キャッチのあらましを書こう

 と、思いました。


 なんとなれば、コピーは「足腰が立たなくなるまで頑張る女子ってあんまりいないと思う」とかいう、衝撃的で、なおかつ本編をお読みになった方は「足腰、ぴんしゃんしてるやんけ」と思ってしまう感じになったので。


 ぎっくり腰って、ご存じですか? 知識としてではなく、なったことのある方。



 しかも十代にも満たない、小3年のころのこと。


 私は、よく泡立たない、洗浄力のあやしい、青い液体洗剤で、学校の上履きを、洗っていた。


 週に一度の苦行だった。



 で、上履きを洗っていた私、いろんな体勢を、とった。


 体が――洗浄力があやしい、あまりにも泡立たない石鹸を使って、ブラシでごしごしやっていたので――痛くなった。



「これでいい?」



 と、母に洗った上履きを見せて尋ねると。



「もうちょっと」



 という、いまいち具体性の欠ける要求というか――あるいはアドバイスだったかもしれない。


 それを繰り返しているうちに、私はとってはいけない体勢を、とってしまった。


 膝を伸ばしたまま、腰を折り曲げて、力いっぱい、靴用洗剤とブラシでごしごし、上履きの中をこすった。



 振動がよくなかったのか、一度も休みを入れなかったのが悪いのか――直後にものすごい激痛が、走った――。


 私の体、どうしちゃったんだろう。


 そんなことを考える間もなく、私はその場に――いや、実際どんな行動をとったのか、まるで憶えてないんだけれど――崩れ落ちたか、うずくまったか、部屋にもどって倒れこんだか、したんだ。



 数時間くらい、動けなかったと思う。


 いや、次の日も動けなかったんだ。


 その間、食事はどうしたかとか、おトイレ行ったのかとか、そんな記憶はすっぽりと抜けて、ひたすら痛い、痛かった、という思い出になっている。



 それはさておき、ぎっくり腰って癖になるらしい。


 なるほど、小3だったら、回復力もあって自然に治ったかもしれないけれど、その先、があるわけだ。


 ありました。



 高校生の時、家で家事手伝いをしてくれていた祖母が、実家へ帰りたいと言い出した。


 それまでにも非公式だが私は、彼女が寝言で、帰りたい、と泣いていたのを聴いていたので、それに関しては何も言わなかった。


 しかし、父は「そんなにちょくちょく実家へ帰られては困る」と言って、意地悪をした。



 結果、祖母は祖母の実家へ戻ったきりになり――彼女が一切を取り仕切っていた家事を、私が受け持つことになった。


 しかし、祖母が家にいたときから、風呂の掃除と新聞取りと、茶碗洗いをしていて、なんとなれば、私、再発しちゃってたんである――ぎっくり腰が!


 いくら健康だからといって、毎日無理な体勢で、体に合わない高さのシンクで洗い物をしていたら、そりゃあ腰にきます。



 そういうわけで、4日連続で、ダウン。


 和室で座布団抱えながら、動けなくなりました。


 それでも、私の家事の量は減りませんでした。



 わが家はそこそこ大人数で、洗濯ものも、洗い物も、料理も、それなりに多いので、それを一人でまかなうのは、気力だけじゃ持たなかった。


 高校3年です。


 受験がもうすぐです。



 そんなさなか、私は家事のやりすぎで、ぎっくり腰を再発し――何度も倒れた。


 助けてくれたのは、祖母を実家に帰した父で。


 倒れている私の後ろから、親指二本で、こう、指圧ね、ボキボキボキィ! とやってくれたので、なんとか痛みは引いたの。



 でも、だからって、私の負担が減るわけじゃない。


 ボキボキボキィ! っとやってもらった後は、また家事三昧がまってるわけで。


 そんなさなかで、受験勉強しなくちゃならなかったわけで。



 まあ、部活を一つ父に辞めさせられたので――そりゃあ泣いたけど――放課後の時間は確保できたってことで、図書館通いをして、で、そこで曾野綾子さんの御本をなんとはなしに、いや、そういうと語弊があるな、もう夢中で書き写していた。


 受験の、ノートに。


 普通そんなことをしていては、勉強時間がいくらあったって、受験合格なんてしません。



 だけど、たいがい私もたいがいなので――まあ、苦しかったからというのもあるけれど、その御本に魅せられて、写経みたいなことをしていた。


 写経。


 こう書くと変だけれど、小6のときには、修行僧になりたかった私なので、そういうことがしたかったんだろうと思う。



 当時、大学へ行って、文学を学び、図書館司書になって、それから作家になろうとぼんやりとだが――考えていたので、私大へ行って、親の負担(学費は負担だよね?)を増そうとか、そんなことを考えていたわけじゃない。


 与えられた教材で、こつこつと毎日、ノートに跡を刻んでいた。


 その効果が出始めた頃、私は絶望感にとらわれた。



 時間が足りないのである。


 毎朝毎晩、勉強しようとしても、昼間の疲れで寝てしまう。


 宿題も忘れた、テストも落ち目だ、さあどうする!?



「一年、浪人させて」



 と、秋に申し出たが、父母は許さなかった。


 国立を目指していたのに――選択授業もそのために選んだのに――母は私大を受けろと言って有名女子大のパンフを山と持ってきた。


 受験するのだってタダじゃない。



 私は国立にこだわり、断ってきたけれども……やっぱり母は耳を貸してくれなかった。



「女が浪人すると、ひねくれる!」



 というのが後で聞いた理由らしい理由だったが、父は別だった。



「受験する前から浪人する気なら、そんな奴は失敗作だ」



 というのである。


 おかしいのである。


 家事と図書館通いと、選択授業のとりすぎで、確実に勉強時間が減っているのに、判定が底辺だというのに、模擬テストの結果が、受かりませんよと言っているのに、レベルを下げることも視野にいれなくてはならないのに、父は――



 いや、もうその頃には心を病んでいて、受験に関係のない体育の授業のときには保健室に入り浸っていた。


 疲れて、頭にモヤがかかったように重かった。


 仮病だと言わばいえ、私は母に、精神病院にかかりたいと言ったのに、母は

 仕事があるから春休みまで待ちなさいと――苦しいのは今なのに――放っておいてくれたから。



 家では父がヒステリーになっているし、母は――母は自分は家事はしない――現実の私を看ないで、夢みたいなことばかり言って、なんら助けになってくれないし。


 もう、これでどうしろと。


 私にどうしろっていうのだ。



 さらに、ひたすらエリートコースを邁進してきた私に父は、



「挫折を知らない奴は、信用できない」



 といって、なぞのブラフを立てたりも、した。


 なぜブラフか、わかったのは最初の挫折を経験したときに、思うさまののしってくれたからで――挫折を知った奴は、そう、負け犬だと。



「親が受け入れない子供を、社会が受け入れるはずがない!」



 と、頭から思いこんでいるので。



「おまえは失敗作だ」



 というが、反論はこちらにもある。


 私は生まれたときから女で、性染色体XXで、初潮もあったのに、父は私を男として育てた、と言っていた。


 私は一時期こう思っていたのである。



「どうして私は男なんだろう」



 と。


 肉体も精神も、完全に女のものであるはずだし、女子として生きてきて、自分で生物学的に女子だという、自覚があるのに、どうして自分は男なのだろう、と。


 さかのぼれば、小学生低学年の時、近所のおばちゃんに、挨拶をしたら、肩をぐっと押さえられ、こう言われた。



「本当は、男の子なんでしょう!?」



 なんでだ。


 いや、いやいやいや! おかしいよ。


 なんで世の中こんなにおかしいんだと、てんで信じられなかった。



 あるいは、父が近所のおばちゃんに、私が男の子だと言いふらしていたとすれば――それは、ハラスメントなり虐待に相当するくらい、ひどい扱いだ。


 そして、父は私に第二次性徴があらわれるや、いやがる私の首からしたの、毛を全部、男もののカミソリで剃ってしまい、なめるように、私の体を見た。


 こういうのは、おぼえていないほうがいいのかもしれないが、私は記憶力がよかった。



 私を男として育てた、とは言っていたけれど、父には妙な性癖があり、夢と現実の区別がつかなくなるという、可哀想な持病を持っていた。


 父が押し入れに隠していたエロ漫画は「親子どんぶり・近親相姦」ものだった。


 そして、父が私の内またに手を這わせ――なにしてるの? と言ったら、返事は「感じさせてやろうと思って」であった。



 実の娘だぞ? 私は。


 叔母が、私が幼い頃にミルクを与えてあげたのは自分だぞと主張するので、私はてっきり叔母の子なのかと思っていた時期もあったにはあったけれど。


 それでも、私は父と母の実子なのである。



 もう、何と言っていいかわからないので、ここで締めたいと思うが、これを書くにあたって、安易に言質をとったと思わないでいただきたい。


 なんたって、これは、過去の記憶なのだから。


 現実で、私が体験してきたことなのだから。



 そして後年、私が父に、失敗作云々は父の失敗であって私の失敗ではない、と言ったところ、即座に宗旨替えをしてきた。



「おまえが生まれたいと言うから、私はがんばった」



「おまえは勝手に育ったんだ」



 つまり、私を育てたおぼえはない、と言うのだ。


 勝手なものである。


 そうして、自分の失敗を失敗と認めない、なかったことにする、という暴論に出た。



 そんなことを言ったって、私は父に傷つけられて大きくなったのだし、虐待だってされた。


 父にはそれを認め、受け止めて、丁寧に謝罪をしてもらいたい。


 で、そう迫ったら、



「おまえがそう言ってくることがわたしには、苦痛だ」



 ともらした。


 まだまだ、私の苦しみはこんなものではないのだ、と拳を震わせていると、父は、



「ほれみろ、おまえは精神がおかしいから、手が震えている」



 と揶揄する。


 誰のせいだと思っているんだ。


 それから、私は彼が謝るまで、訴えを続けた。



 とりあえず、謝ったので許した。


 そんなもので、過去のあれやこれやが消えるわけではないが、とりあえず。


 ゆるそう、しかし忘れまい。

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