第57話 20190915の陰気日記
朝、母が祖母と二人で出かけて行った。
どうやら、今日は甥っ子のRの誕生日らしい。
母が手土産といって、大量のトリカラを揚げて、タッパーに詰めているらしいのを見た。
そして午後、家に来ていた父を連れて「出かける」と言ってきた。
どこへ行くのかは言わなかった。
Rの誕生会だとは思う。
父はなまじっか、お金を持っているから、プレゼントを目当てに誘われるんだろう。
気の毒に。
私のように「ビンボーだから」と言っていれば、「清貧なのね」と遠慮してもらえる。
是非、おススメだが、どのみちお金があっても、3歳児に何万もするプレゼントなど与えないけれどね。
夕方、母・父・祖母が帰ってきたのが、玄関先の気配でわかったから、すかさず私、「コーヒー!」と部屋から声をあげた。
母は「そうだった!」と、そこでようやく思い出してくれた模様。
その場で「クリエイトへ行ったのに、何を買うんだったか、忘れていたわ」というので、更に私は「グレープフルーツ!」と言った。
母は「……来週は4連チャン(で仕事が入っている)だった。サランラップも買わなくちゃ」とペラペラしゃべっている。
誰に弁明しているのだ。
口で確認もいいのだけど、さっとメモって買いに出たほうが早いと思う……。
「グレープフルーツも! 買っておかなきゃね。あとコーヒー! あと、何だったかしら」と、母は口にしたそばから忘れていくありさま。
メモる習慣が母にはない。
あら、まあ。
老化かしらと思うが、いつものこと。
そして母、「いっしょに買いに行こう!」と、ペースに巻き込んで来るから、「着がえるからちょっと待って」と声をあげ、Tシャツを脱ぐ。
と言っても、着るのもTシャツなのだ(部屋着とわけている)。
車の中で、母があれこれいいわけしているので、「どこへ行っていたの?」と直球をなげる。
「ああ、まあ、Y(母の孫、私の甥っ子)の家でね? Rの誕生会よ」
やっぱりね。
「Yが(母の顔を見るなり)コロコロは? っていうから、ハッとして、15日だったって気づいたの。でも買ってきていなかったから、買って行かないでしょうよ? ちょっと待ってって言って……」
長い! 大体の流れはわかる。
しかし、こまかい部分が憶えきれないので、割愛してください!
Yは私が貸した「日本の歴史漫画」と「天国の犬ものがたり」を突っ返してきたそうである。
しかし後者はYにではなく、Kに貸したものだったのだ。
母は「まだ文字が多いのは早いんじゃないかな……漫画の方、わたしておくからね」と。
小説も漫画も、ふりがながふってあるのに、子供のうちに読まなかったら、いつ読むのだ。
プンプン!
藤咲先生の御本を読まないなんて、なんてアホウに育っているんだY! 読めば面白いってわかるのに。
と、まあ……大人になってから読んだ私は勝手だが立腹していた。
そういう私も、幼い頃はギャグマンガばかり読む、名作嫌いだった。
人のことは到底言えない。
私もそうだったが、名作にふれるまでには、いくつものウォーリーやミッケ!や、100階建てにふれ、おもしろい、楽しい、書物っていいなと感じる経験がまず必要だ。
すっとばして、夏目漱石の「こころ」などを読んだって、悪夢なだけだ。
実際、私は小学四年生の頃に「こころ」に手をつけた。
が、父が「ホモの話だ、それは……」というのでげんなり。
中学生になるまで封印してきた。
されど、高校に入ったら、全文読んで感想文を書かねばならなかった。
細かく勉強したものの、結果は骨と皮ばかりとなった、夏目漱石に襲われる夢を見た。
最悪の読書体験だった。
今思うに、漱石はなにがおもしろいと思って「こころ」を書いたのか? 読者いじめもいいところだ。
私はその時のイメージがトラウマなので、「坊ちゃん」も中途半端なところでやめている。
なんだか先を読むのに、期待がもてないのだ。
「吾輩は猫である」以外、正直読みたくない。
それだって、猫が出てくるのでないなら、読まなかった。
夏目漱石は、神経過敏な気にくわないおじさんだ。
「吾輩は猫である」も、猫を結末で殺さないでくれたら、まだ好きだった。
「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる猫娘だったら、歯を剥いてひっかいている。
バチアタリなことを言っているかもしれないが、半分嘘である。
そこまでのうらみは漱石にはない。
まったくない。
そもそも、読まない人だから。
作家というものは、読者をいじめるものだ。
だから、好きになれない。
読めば読むほど恨みがつのる。
だから、私は作者が好かないときは、作品も読まない。
ケンカしてしまいそうになるからだ。
作者が好きになれないのに、どうしてわざわざいじめられてやるものか。
そこまでのマゾヒストぶりを発揮したのは、受験生の時以外、一回もない。
これは、私が純で、素朴なものを愛する性質だからで、変えようもない事実だ。
宮沢賢治だって、詩的な世界や表現は好きだが、救いようのない死を予想させる『銀河鉄道の夜』は長い事トラウマだった。
カクヨムで、スクエアエニックスのゲームを二次創作したときに、もしもカムパネルラが生きて救い出される物語を書いた方が、いなかったならば、私は一生、宮沢賢治を恨み続けていた。
19歳のとき、私が生まれて初めて入院を体験したとき、一番好きだったのは、看護師さんの読経だった。
心が癒されたっけな。
一日に何度もせがみ、のちには自分で唱えるようになったものだが、どうもあのころの出来事は記憶に薄い。
お経より楽しい小説はなかったし、仏教聖典がまあまあ面白かった。
一度死を覚悟したので、自然にそうなったとしか思えない。
今、小説を楽しめるのは暇な証拠だ。
ありがたい。
たとえ情弱と言われようと、お経以外に楽しいものなど、滅多にない。
今の時代はお経だぜ! なのだぜ!
ああ、念仏を聴いて、やすらぎたい。
心身がボロボロの時は、わくわくドキドキなど、したくはないのである。
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