私はたぶん世間一般的には恵まれていたほうだと思います。親が自営業で、いつも大抵父親は家にいました。父親が嫌いだった私はそれが不満で、サラリーマンの家の子がうらやましかったです。
家庭が恵まれているほうに見えるとはいえ、辛いことは沢山ありました。確かに、見えるところはよく感じるのかもしれませんが、見えないところは誰にでもあり、辛いことは見えないところに隠れちゃったりします。
今でも私は生きている意味を見出せず、惰性で生きているところがあります。頑張って楽しめることを探しながら生をつないでいる感じです。頑張らなければ楽しめない時点でおかしいのかもしれませんが。
自分の話を大量に書いてしまい申し訳ありません。
この話を読ませていただき、とりあえずはもう少し生きていることをつないでみようと思いました。この先どんないいことが待っているかなんて誰にも分らないですからね。
作者からの返信
矢指 嘉津さま、コメントをありがとうございます!
うん、そういう方が作家になるのだとわたくしは思いますね。
心を喜ばせてあげたいなv
大切なお時間を使ってお読みいただきありがとうございます!
お辛い子供時代だったのですね。
結婚なんて無理にするものじゃありません。小説家として、作品という名の我が子を沢山産んでいってください。
赤い「助けて」紙飛行機は誰かの手に渡ったのでしょうか。
保育園から子供が逃げ出したら、担任の先生が、園長からガミガミ怒られるはずなのに、理不尽ですね!
作者からの返信
秋雨千尋さま、コメントをありがとうございます!
ミー……!
結局わたくしが普通の大人になり切るには、なにもかもが足りていませんでした。
万年欠乏状態。
一人前の扱いを受ける権利さえなかったのです。
希望をなくしてもおかしくありません。
保育園の先生はその後、園長先生になりました。
ご自分の失態を隠すのがお上手でしたからね。
大切なお時間を使ってお読みいただきありがとうございます!