第5話 幼児と老人のまん中  

 突然だけど、作文がね……全然書けない子だったのよ、私。


 当時、うちはあまり見ない、共働きの家だった。




 お風呂に入れてもらったり、人のうちに預けられたり、トイレの仕方を教わったり、っていうのは、あまりに基本だったし、小学生になってからはそういうこともない。


 家にいるのは私だけ。




 正直、両親とは、ろくに朝そろって食事もしなかった。


 それで「おとうさん・おかあさん」について、作文書けったって、そりゃ無理よ。




 だって、母親の顔もろくに思い浮かべられないんだもの。


 お化粧するから、母の顔は真白。




 父は早朝、一人で目ざめて、パンとコーヒー(に、砂糖いっぱい)食べて、トイレで新聞読んで、でてきたら出勤。


 その後で、私と母が起きて、ねこまんまを食べたら、学校。




 学童保育で、一人本を読んだら、夕方母が迎えに来るか、自分でバスに乗って帰宅。


 夕飯を食べたら、母も私も眠った後で、父が残業を終えて帰ってくる。




 正直、顔を合わせることが少ない家族だった。


 そんな毎日を送ってたわけ。




 TVは禁止されてたので、土日の夕方以外は、アニメも見られない。


 当然友達なんかとは話題が合わない。




 お小遣いも週に100円とかだったから、近所のスーパーに一人で行って、クレーンゲームをやって終わり。


 駄菓子も買わなかった。




 ガリガリくんが懐かしいっていう人は、よっぽど恵まれていた人で、アイスに何十円も使ったら、それで終わってしまう、財布事情。


 貧乏だったのだ。






 こう書くと、身もふたもないっていうか……まあ、楽しみは飼ってた猫をなでなですることだったりした。


 それも、妹が生まれることになって、父に捨てられてしまった。




 貧乏とは悲しいもので、全てが規格外となる。


 ましてや、本を読む以外の遊びが、あまり好きではなかったから、ケンケンパとか、ゴムダンとか、キックベースとか、あとビー玉におはじき、百人一首、かるたはおつき合いでやる程度。




 独自の遊びというか、そのころ読んでいた本の影響で、いたずらをした経験はある。


 学童保育のトイレの窓から、「たすけて」と赤い文字でかいた、紙飛行機を飛ばしたのである。




 これは、非常にわくわくした。


 切迫した自分の心を知ってもらいたいという、ひそかな願いと、ぬけだしたい毎日へのささやかな抵抗だった。




 そして私は秘密主義。


 なので、作文にこれらのことは書けませんでしたマル




 まあ、他にも父の殺気ばしった、言動とか気配とか、母の放心している姿とか、見たくもない怖いものがいっぱい家庭にはあったわけで。




「親殺しは、子殺しよりも罪が重いんだぞ」


 となぜか父にすごまれたり、なんど呼びかけても無視する母だったりしたので、これも当然作文には書けないよな。




 それに私は保育園児のころから、トラウマもちだった。


 なにかと言うと、頭痛がするので、父の本を読んで、頭のツボにくわしくなったが、対症療法だ。




 トラウマのもとは、両親の夫婦喧嘩。


 止めに入ったら、私のせいだと責められた。




 なにがなんだか、わからないのだ。


 当時私は、3歳にも満たない幼児だったから。




「おまえが生まれたから、離婚できなかった」


 とか言われても、また作文に書けない事柄が増えただけだった。




 とにかく、私にとって、家庭は地獄。


 安息の場ではなかった。




 保育園でも、トシコ先生が、図画の時間、ユリコちゃんにはのりをいっぱいチューブから出してあげるのに、私にはちょっぴりしかくれなかったり、男の子に乱暴されて泣いているのに、もう許してあげなさい、とか逆に言われたりした。




 どこにも味方はいなかった。


 保育園で、昼寝の時間に一人で表に立たされて、ちょうどいいやと脱走をはかり、本当にだれも見ていなかったので成功してしまったことがあったが、なぜか私は必要以上に叱られた。




 本当は、先生が園児から目を離したのがいけないことなのに、私の方が先生に謝らないと、芋ほりには行かせないと圧力かけられて、一週間粘ったが結局折れた。


 謝るべきなのは、先生の方だったのに。




 保育園も理不尽なところだった。


 楽しかった思い出もないではないけれど、中には初恋の思い出とかもあるんだけれど、文脈が乱れるので割愛する。




 大好きなのは、おひさま。


 だれにでも、平等だったから。




 道ばたのたんぽぽ。


 転んだ足の痛みも忘れて、見入った。




 また走ることができた。


 やさしいものたちが、勇気をくれたから。




 だけどそれは、人間じゃない。


 生きるルールは、痛みの中で教わった。




 ほっとやさしいお花とおひさま。


 懸命に咲くことの歓びを教えられた。






 あとは、そうね。


 妹が、本当に些細なことでピーピー泣くから、私が助けに行っていて、あれあれお姉さんらしくなったわねえなんて言われた。




 一番身近な両親さえ、信じることができないのに、私は死なずに生きていた。


 神さまの声に導かれるようにして。




 ただ、命あることを誇りに変えて、生きてきたんだ。


 多分それが、人権とか尊厳とかいう、目に見えないものへの信頼だったと思う。




 そんな私は、種の保存への本能をかなぐり捨てて生きている。


 それでなくても、傷だらけの私なのに、体を傷つけてまで出産したいと思えない。




「食わず嫌い」だと大学生になって言われたが、食うのは男の方で、女は傷つけられるだけだ。


 結婚もしたくない。




 誰も愛してくれはしないのだから、私が私を愛することに、誰も異論をさしはさめないはずだ。


 エゴイスティックに、ナルシスティックに、そうでなければ廃人になるだけ。




 だから、私はエゴに生きる。


 正気を保つために、ここに書き続ける。




 ああ、お母さん。


 私は生まれてきただけで、生きる資格があるはずですよね?




 お父さん、あなたは、利用価値があるから、私を産んだといいました。


 なら、価値を示し続ける限り、私は生きる権利を保有する、そういうことですよね?




 もう、生きてるだけで、私、頑張ってる!


 生きてるだけで価値があるんだって、信じられる。




 愛した分だけ愛されるなんてことはない。


 報われることなどさしてない。




 だけど、頑張って生きてきて、そればっかりじゃないとも思えたから、生きてた甲斐はあったと思う。


 良い人生だったと思って、余生も生きる。




 こんなんだから、私は「幼児と老人が共存して」いて、「間がない」なんて言われるけれど。


 今がその真ん中よ!

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