ミドリとアズール

 白蛇のアズールは自分の勤務する宝石店の、教会で行われるバザーへの出店内容に反対していました。


「何でバザーでジュエリー売らなきゃいけないんですか」


 度のきつい眼鏡の奥で珊瑚の色をした目を顰め、背にカラスの翼を生やした店主に反論しています。


「他の店舗は、ファンネルケーキとかジェラートとか出してるのに、うちだけなんでこんな」


 店主のカータはきょとんと目の前にいる若い店員を見て、答えました。


「これなら他の店と絶対被らないだろう?」


「確かに被らないでしょうけど!」


 カータはおしゃべり好きで快活なカラスでした。

 でも、経営者としてどうなのか、アズールには頭が痛いことが多々ありました。

 カータはなかなかの目利きで、デザインも品質もとてもいい品をたくさん仕入れてきます。困ったことに、カータは本当に宝石や貴金属が好きで、手もとに置いて眺めているのが嬉しいだけなのであまり儲けを気にしていません。一日中きらきらやつやつやを眺めて触ってうっとりと過ごしています。

 アズールはここで働き出して二年、まだわからないこともあるのに、いつもお店の儲けを計算し、役所への書類も書きます。カータはこのショップへ作品を納めに来る職人たちやお客さんと楽しく馬鹿話をし、金額や支払い方法などのあまり愉快でない話はアズールが切り出すという役割分担になっていました。


 カータは真面目そのもののアズールに少し辟易した口調で言いました。


「もしかしてファンネルケーキやりたかったのかい? だったら……」


「うちのお隣のテントがファンネルケーキ出すのにどうして僕たちも同じの出さなきゃいけないんですか!」


「だろう? だからジュエリーでいいんだよ。仕入れとか食中毒対策とか考えなくていいし」


「お祭りに来てる人たちがちょっとしたお小遣いで買える値段じゃないでしょう、これ」


「売れなかったら売れなかったで、暇で楽でいいじゃないか。ところでアズール君眉間に皺よってるよ? 客商売なんだしニコニコしようよー」


 話が通じません。

 アズールには、これは爬虫類と鳥類という隔たりのせいなんだろうか、と思い悩んだ時期もあったのですが、誰に相談してもカータが極楽とんぼだということが浮き彫りになっただけでした。

 アズール君がいればうちの店は大丈夫だなあ、あははと笑われたときも喜んでいいのか嘆くべきなのかわからなくて、彼は曖昧に笑っただけでした。

 白蛇は金運を運ぶと言われ、アズールが勤務するようになってから確かにこの宝石店は売り上げを伸ばしましたが、これは彼が生まれ持った幸運なのか、それとも彼の従業員としての努力なのかわかりません。


「こっちの店は閉めて二人で交代で露店の店番やってさ、休憩のときは他の露店とかぶらぶらすると、この店でじめっと客待ってるより楽しいと思うんだ。終わったら、商工会のみんなとぱーっと打ち上げすることになってるし」


「もしかして、もう決定事項なんですか?」


「うん、もうチラシ刷っちゃってるよ」


「もう決まっちゃってるならそう言って下さい! まだ変更可能なのかと思いました」


「アズール君怖い顔ー」


 カータはアズールの眼鏡を押し下げて、眉間のしわを指でぐいぐい伸ばそうとします。でもなかなか伸びませんでした。


 アズールはつやつやした白い髪、瞳孔を中心にした真っ赤な瞳、男にしては華奢な雰囲気というドラマチックな姿をしています。でも、アルビノで弱視なのでいつも漫画のように分厚い視力矯正用の眼鏡をかけていて、その眼鏡のデザインと同様に、性格も好みも地味なこと極まりありませんでした。

 彼は几帳面で、こうあるべきという規範意識が強すぎるほど強く、そして不満や鬱屈を溜めに溜めこんで爆発するという性格です。しかもストレスの発散が上手い方ではありません。

 酒は好きなのですが、文字通り蟒蛇うわばみで全く酔わないので気持ちが晴れるというようなものでもありません。もちろんしまり屋のアズールはそんな無駄なことはしません。

 暮らしぶりも実に質素で、プライベートではカータさんのお古をだぼだぼと着ています。当然ギャンブルも派手な買い物もしません。

 趣味と言えば、トランジスターラジオでニュースを聞きながらゆっくりとお湯につかることくらいです。


 アズールはカータに下げられた眼鏡をぐいっと押し上げました。


「……わかりましたよ、もう」


 こんな口を利きますが、アズールはカータを尊敬し、感謝しています。

 アズールにはこの街へ来る前の記憶が一切ありません。

 鼻から血を流して気分が悪そうに身体を揺らしている白蛇を前に役所や警察署の連中が困っていると、通りすがりのカータが目敏くアズールのうなじにある鱗に目を留めて「お? 白蛇? 珍しいねえ!」と即決で身元保証人になってくれたのです。仕事を与えて根気強く教え、この店の二階にある自分の住まいの一室、というべきかどうかわからないのですが、とにかく狭くて静かで、アズールには最高に居心地の良い屋根裏に住まわせてくれた恩人なのです。

 このアズールという名も、カータが付けてくれたものでした。

 アズールの鱗は白、目は赤。

 どうして青という名を付けたのか誰も……アズール本人にもわかりませんでした。


 カータは笑いました。


「よかったよ、納得してくれて。じゃあ当日よろしく!」


 そのとき、よく磨いたガラスのドアがゆっくりと開きました。

 ステンドグラス風の枠と幾何学模様があしらわれてとても素敵なドアなのですが、開閉に力がいるので、力の弱いひとだとどうしてもゆっくりになってしまうのです。


「こんにちは」


 入ってきたのはモスグリーンの髪の、幼い顔だちの娘でした。一応もう大人なのですが、一昔前のデザインの毛玉のついたカーディガンを着け、何年履いたかわからないような擦り切れたズックを履いた、ぱっとしない小柄な娘です。

 アズールは挨拶を返しました。


「こんにちはミドリさん」


 このミドリという娘は遠い東洋の国の血を引く蛇で、宝飾品を作っている人間の家の天井で育ったという話です。

 ミドリはもともと拾ったガラスの欠片を磨いて使ったアクセサリーを作っていました。それを雑貨屋に持ち込んで、販売してもらえないかと小さな震える声で頼んでいるのを見かけたカータがスカウトし、歳を取って宝飾品作りを引退した知り合いに口利きして弟子入りさせたのです。

 カータは気まぐれで飄々としていますが、あとさき考えない優しさもあって、そういうひとがら……トリガラというとたいへんなことになってしまいますからね……のおかげでこの宝石店はお客が絶えずに済んでいるのです。ただし、お客さんが来てくれることと、買ってくれることはまた別の話でした。

 そしてミドリは、今ではだいぶ腕をあげて最近少しずつこの店に作ったものを卸しに来ます。

 ビー玉のように丸く磨いたリーズナブルな貴石に金のシンプルな台座をつけて、ぽってりころんとした指輪やペンダントトップ。

 いろんなカラーストーンで作った小さな野の花を綴ったネックレス。

 ミドリが作るアクセサリーはどれも、わたしをあなたのそばに置いて、と呟くような可愛らしさがあります。あまりお金を持っていないひとでも気張らずに買えて、ちょっと遊びに行くときに着けられるような、そういうものをミドリは作るのでした。


「カータさん、今度のバザー用のお品、もってきました」


 入ってきたミドリは、ガラスケースの上に一つ一つ傷つかないように包んだベビーパールのチャームがたくさん入った箱を置きました。


「ああ、もうバザー用の品を……」


「はい。先週カータさんにご注文いただいたので」


「早々の納品、ありがとうございます」


 横目でカータをじろっと見ながら、アズールはミドリに言いました。

 ミドリは訊ねます。


「あの、今度のバザー、ここは初出店ですよね」


「そうなんだよ。今まで出なかったのがもったいないよ」


 カータがここぞとばかりに言いました。

 ミドリが丸い飴色の目を細めました。


「楽しみですね」


「そりゃあもう!」


 教会のバザーは、楽しいお祭りとしてこの街の住人たちに心待ちにされているのです。


「ああ、1キャラオーバーのネックレスとか指輪とか、売れたらいいですね」


 少々やけっぱちな気分になりながら、アズールは言いました。

 おずおずとミドリが切り出します。


「……あの、もし手が足りなかったら、私もお手伝いを……」


「いえ、大丈夫ですよ」


「あ……そうですよね……差し出がましいことを言ってごめんなさい」


 なんでもかんでも、すぐミドリは謝るのです。

 そういうところに、アズールは少しいらいらします。そしてそれを気取られないように口調に気を付けながら、いつもこう言います。


「謝るようなことは何もしてないんですから、謝らないでください」



 バザー当日、教会前の広場は多くのひとでにぎわっていました。

 石畳の上、古着や不要品のチャリティ販売でそのひとなりの掘り出し物を見つけて、みんなほくほく顔です。

 噴水近くに並んだドーナツや揚げたじゃがいもの屋台には列ができ始めています。

 そんな中、やっぱり宝石店の露店は周りから浮いていました。

 テントに運び込んだガラスケースの中を見ると、みんな「いち、じゅう、ひゃく、せん」と小声で値札の桁を数え、びっくりした顔で去っていきます。

 手ごろな値段だと思われたミドリのパールチャームにさえ、そうなのです。


 カータは店先で金物屋のかささぎと話に花を咲かせています。宝石屋と金物屋という仕事の違いはあれど、ふたりとも幼馴染できらきらしたものが大好きなのです。

 アズールは、先ほど冷やかしに来たあらいぐまの脂っこい指紋が付いたガラスケースを磨いていました。いつも着けている制服の黒いスーツも白い手袋も、カータにお祭りなんだからもうちょっとカジュアルな服でいいよと言われましたが、勤務中はこれを着けていないとアズールは落ち着かないのです。


 もうそろそろお昼です。

 ぎしっとテントの庇がきしみ、アズールは顔をあげました。

 何か大きなものが庇に乗っかっているのです。支柱ががくがくと揺れています。

 慌ててアズールが表へ出てみると、すずめの子どもたちが三にんも庇にのって遊んでいます。

 まだ辛うじてテントが壊れないのは、小さな子供で、しかもとても軽い鳥類だったからなのでしょう。

 かささぎとのきらきら談義を中断して、カータが叫びました。

「君たち! そこに乗ると危ないから!」

「あ、からすだ!」

「蛇もいる!」

「やっべ!」

 こすずめたちは背中の小さな羽をパタパタさせて、どんどん他のテントへ飛び移って逃げていきます。そしてその先々で叱られています。

 とうとう三軒隣のはす向かいでクランペットを売っていた大きな犬が商品の端切れで彼らをおびき出しました。犬はこすずめたちを捕まえて何ごとか言った後、何という手腕でしょう、キッチンクロスと紐で急ごしらえのエプロンを作って着けさせ、商売を手伝わせ始めました。こすずめたちも楽しそうです。

 役割を与えてもらって大人になった気分なのか、とても一生懸命です。


「ゾーイさん、やるねえ」


 通路に出てこすずめたちを目で追っていたカータが感心して呟きました。


「そうですね」


 アズールもしばらくすずめの子の騒がしくて強引な接客ぶりを眺めていましたが、ふと庇が嫌な音を立てるのに気付きました。


「カータさん、これちょっと」


「あ!」


 支柱の筋交いの留め金が外れかけ、ぐらぐらしています。

 直そうと思って手を伸ばした途端、折悪く風が吹きました。

 庇が一瞬煽られ、大きくテントが傾ごうとしました。慌ててカータとアズールはテントの桁や柱に飛びついて支えます。

 そのときです。

 眼鏡の端っこに何かひらひらしたものが走って近づいてきているのが映ったような気がしたときにはもう遅く、アズールはそのひらひらしたものと勢いよくぶつかってしまいました。

 眼鏡が飛んで行ってしまうのと同時に、悲鳴が上がりました。


「きゃっ!」


 この声には、聞き覚えがあるような気がしました。

 ごつごつの石畳の上に、黄色のワンピースを着けた娘さんが倒れています。


「アズール君、ここはいいからお嬢さんを」


 カータはテントの筋交いの留め金を何とか掛け直しましたが、歪んでいるので金物屋のカササギが自分の店へ補強用の金具を取りに行ってくれました。その間、カータは留め金を軽く押さえ続けています。軽く、とはいえ手を放すとまたぐにゃっと歪んでしまうのです。

 アズールは横倒しに倒れた娘さんに慌てて跪き、助け起こしました。


「すみません! お怪我はありませんか?」


 そう言いながら、起き上ったお嬢さんの気配と小さな呻き声にアズールははっとしました。


「ミドリさん?」


「はい」


「ごめんなさい、痛かったでしょう」


「いいえ、私こそ」


「立てますか?」


「はい」


 ミドリは少し這うようにして落ちている眼鏡を拾ってから立ち上がりました。何とか割れずに済んでいます。

 アズールは眼鏡を拾ってくれたお礼を言うと、露店の奥の椅子にミドリを座らせました。

 カータも心配そうですが、今彼はテントの骨組みの一部になっているのでその場を離れられません。


「ごめんね、ミドリちゃん。痛いとこがあったら遠慮せずに言うんだよ」


「大丈夫です」


ミドリは、噴水のあたりからこのテントがぐらぐらするのが見えて、走ってきたのだと言い、少し悲しい目をして俯きました。


「私、お役に立てなくて……」


「いやいや、ミドリちゃんの気持ちだけで嬉しいよ。ああ、今日はすごくお洒落してるね。可愛くてびっくりしたよ」


 気分を引き立てるようにカータが言いました。

 ところが、アズールの目には着せ替え人形の衣装のようなかさついててらてらした安っぽさに見えます。


「ほら、アズール君、この色、ミドリちゃんによく似合うと思わないかい?」


「そうですね」


 短く返事したアズールを、カータが不正解者を見る目で睨みました。そっと足先を伸ばして、白蛇の足をつつきます。


――もっと言うことがあるだろう、白蛇君!


 アズールは何で責められているのかわからず、しばらくカータとミドリを見比べていました。

 ミドリは俯いたままです。

 やっとアズールはあることに気が付いてはっとしました。

 ミドリの視線の先で、ワンピースの裾が大きく破れています。


「本当にすみませんでした。服破れちゃって……こんなにお洒落してきているのに」


 安っぽい服とは言え、いつも地味を通り越して貧相なミドリが、せっかくのお祭りのためにお洒落してきたのです。自分がうっかりぶつかってこういうことになったのですから、アズールは苦しくなってしまいました。


「いえ……縫えば大丈夫なので」


 一方で、カータは不満げでした。

 ずっとテントの金具を押さえ続けている退屈さと腕のだるさも不満に拍車をかけています。


「あのさ、ミドリちゃん」


「はい」


「うちの店員が勤務中に人に迷惑かけちゃったら、やっぱり店主としても心苦しいわけよ」


「いいえ、お気になさらないでください、本当に」


「アズール君、今からミドリちゃんと服買っておいで。もう昼だし、食べ歩きでもしながらさ」


「いえ、そんな……」


 ミドリは小さくなって遠慮しました。


「いやいや、弁償と精神的苦痛の賠償だから。アズール君、行っといで。業務命令だよ」


「でも、カータさんをその状況で置いていけないでしょう?」


「大丈夫だって。すぐそこにマグ来てるから」


 その言葉が終わらないうちに、金物屋のかささぎがテントに入ってきました。


「何? 俺の話?」


 遅いんだよ、もう、とぶつくさ言うカラスを尻目に、かささぎのマグはさっさと角材とジャッキでテントを支え修理に取り掛かりました。


「……ほらね、もう大丈夫だから、ミドリちゃんと行ってきなさい」


「はい」


「ほら、これ持ってって」


 売上金を入れる小さな金庫からお札を取り出すと、カータはアズールのポケットにねじ込みました。


「領収証もらって清算すればいいですか」


「バザーで領収証が出ると思ってるのかね白蛇君! それは用途を限定した特別手当だよ」



 アズールはカータの言うとおり、ミドリを連れて服を売っている露店へ向かいました。ミドリはチャリティの古着市の品でいいと言ったのですが、せっかくなので新しい品を、とアズールが譲らなかったのです。

 ミドリは裾の破れ目が見えないよう、アズールの制服のジャケットを腰に結びつけています。

 婦人服の露店では、とても大きな灰色の猫マリアンヌが、セミオーダーのスカートの裾をまつっていました。でっぷりとしたペルシャブルーのオスなのですが野太い声をファルセットにして、いつも女性のような言葉遣いで話します。


「いらっしゃい、ゆっくり見てってね」


 吊るし売りの服をざっと見まわしてみたのですが、アズールにはどれを選んだらいいかわかりませんでした。気を取り直すように、ミドリに訊ねます。


「あの、どれがいいですか?」


「じゃあ、これ、お願いしてもいいでしょうか?」


 おずおずとミドリが見せたのは、その露店で一番安いアンサンブルでした。どう見てもお年寄り向けの柄で、売れ残りの値下げの印がついています。

アズールは、もう一度訊いてみました。


「本当にこれでいいんですか?」


 もう一度頷かれます。


「ええ」


 アズールはまた何となくいらいらしました。


――どうしてこの娘はいつもこんななんだろう!


「……さっき、カータさんに黄色が似合うって言われたでしょう?」


 そういいながら、白蛇は服のたくさんかかった中から、鳥の子色の服を見つけて引っ張り出します。


「はい」


「だったら、これはどうですか?」


 それは、ダンガリーで出来たクラシックなシャツワンピースでした。


 ミドリは、ワンピースを見ると、スローモーションのようにゆっくりと明るい表情を浮かべました。

 早速受け取って、鏡の前で体に当ててみるとよく似合います。でも、値札を見るとミドリはまたしゅんとしました。

 破れてしまったワンピースも本当は古着なのです。こんな値段の服で弁償してもらっては気が引けます。だけど、おしゃれしてきてそれが古着だったとはアズールには言えません。

 マリアンヌが、裾のまつり縫いを終えて伸びをした後、にこにこと声をかけました。


「よく似合うわよ、あなたの髪の色にぴったり」


「ありがとうございます」


「このカーテンの奥で試着ができるわ。着てみなさいな」


 そういいながら半ば強引にミドリとワンピースを試着用のスペースへ押し込みました。


「はい、これも着けてみてね」


 さらにカーテンの隙間から、商品のマクラメのサッシュとヘアバンドを突っ込みます。

 ごそごそとミドリが着替えている間、マリアンヌはアズールに囁きました。


「可愛らしいお嬢さんねえ」


「はい」


「男の子に服を選んでもらえるなんて羨ましいわあ」


「……」


 アズールは何と言っていいかわからずに、いつものように曖昧ににこにこしました。

 そうこうするうちに試着スペースのカーテンがそうっと開いて、ミドリが出てきました。

 いつもおどおどして、悲しげな子どものようなミドリに、このワンピースは快活さを与えていました。少しエスニックなレンガ色のベルトとヘアバンドがすてきなアクセントになっています。


「あらあ、やっぱり可愛いわあ!」


 マリアンヌは満面の笑みです。

 ミドリはどぎまぎして顔を真っ赤にしています。

 そしてアズールは自分の見立てが間違っていなかったことにほっとしました。

 そこへマリアンヌが顔を寄せてまた囁きます。


「ほら、あの角、古靴売ってるでしょ? わかる?」


 指差された先はチャリティの古着や不要品売り場です。離れたものが見えにくいアズールは眼鏡の蔓を指でつまんで目を細めながら、はあ、と生返事します。


「あそこにね、新古品の靴が出てたのよ。この服にぴったりな、フリンジがついたやつよ。あれ、サイズもいくつかそろってたから買ってあげなさいな」


「でも、ちょっと手持ちが……」


「大丈夫よ」


 マリアンヌは笑って、ミドリに向き直りました。


「ねえ、お嬢さん。あなたの着てきたワンピース、譲ってくれたらお代は半額にしてもいいんだけど、どう?」


「え?」


「下取りだと思ってくれればいいんだけど、だめかしら?」


 アズールは小さな声でミドリに言いました。


「嫌なら嫌だって言っていいんですよ」


 ミドリはちらっとアズールを見て、少し考えました。

 大きな灰色の猫はミドリの言葉を微笑みながら待っています。

 ミドリは答えました。


「下取り……していただいてもいいですか?」


「ええ、ええ! 喜んで」


 こうして、アズールはどことなく引っ掛かるものを感じながら半額の洋服代を払い、ふたりは婦人服の露店を後にしました。

 その後ろ姿を見ながら、マリアンヌはお客さんが着ていた黄色のワンピースを広げてみました。


「今見るとダサいわねえ、縫製もなっちゃいないし……」


 それは、昔マリアンヌが一生懸命縫って、そして初めて売れた服でもありました。あの時の喜びがあったから、マリアンヌは今もこの仕事を続けているのです。

 まわりまわって、手元に戻ってきた服を大事そうに撫でて、大きな猫は言いました。


「おかえり、また会えてよかったわ」



 露店を出た後、大きな猫のアドバイス通り、アズールは靴を買ってミドリに履かせました。

 これでもう頭のてっぺんからつま先までお洒落なお嬢さんです。

 ミドリの表情もずいぶん明るくなっています。足取りも軽そうです。

 反対に、アズールの方が居心地悪そうです。アズールは、自分がこうだと思っていた物事が、そこからはみ出してしまうととことん対応に困ってしまうのです。だからいつもカータに杓子定規と言って笑われるのでした。

 ふたりは蛇のしなやかさで雑踏の中誰にも触れることなくするする歩きます。

 歩きながら、ミドリはきょろきょろしていました。

 小さな子供がやっているレモネードスタンドや、可愛らしいぬいぐるみのくじ引き、ふわふわのわたあめの露店を見ているのです。毎年のバザーで見ているものばかりなのですが、何だか今年は違うのです。何だか色鮮やかに見えるのです。

 アズールはそういうものにあまり興味がありませんが、ミドリが楽しそうに眺めているのは悪くない気分で、でもなんだかこそばゆいのでそっぽを向いています。

 手持無沙汰に腕時計を見て、アズールは言いました。


「もうお昼もだいぶ過ぎてますし、食事しませんか?」


「はい」


「サンドイッチ、一緒にいかがですか?」


 手袋を外したプライベートモードの白い掌で、彼はちょうど通りかかったところにあるサンドイッチの屋台を示しました。


「はい」


 広場のベンチでミドリを待たせ、アズールは少年野球チームが出した屋台でハムエッグと野菜のサンドイッチといちごのイタリアンソーダを2つ買いました。素人恐るべし、サンドイッチの中身のはみ出しやジュースの零れた跡など惨憺たる状態で、細々したことが気になる性質のアズールは目をぱちくりさせました。でも、きらきらした笑顔の野球少年たちにクレームなんて野暮なことはできません。

 こういうこともある、と自分に言い聞かせながらアズールはミドリのもとへ戻り、二つのうち見かけがよい方を渡しました。


「あの、おいくらですか? 私、払います」


「いえ、これも特別手当の限定使途のうちなので」


「お洋服とお靴を買っていただけただけで充分です」


 これです。これを聞くと、アズールはまたむっとしてしまうのです。

 ミドリはいつも控えめで、大人しくて、引っ込み思案でした。

 謙虚さという堅い堅い壁で、目の前にいるものの優しさを弾いてしまいます。

 それは、カータのようにうまく物事をいなしてしまうような性格でないアズールには拒絶に等しいのです。

 ミドリの、相手の好意に満ちた申し出を何でも断ってしまう態度は、傲慢と紙一重ではないかとアズールは心のどこかで思ってしまうのでした。


「あのですね、ミドリさん」


「はい」


「あなたは、いつでも何でも断りますが、断られる側の気持ちを考えたことがありますか?」


「え?」


 仕事以外でこれほど長い時間ミドリとふたりきりになったことがないアズールはとうとう思っていることを言ってしまいました。


「僕もカータさんもあなたに親切にしたいと思っているのに、いつだって断るでしょう?」


「……だって……あまりご厚意に甘えるとはしたないと思っ……」


「はしたなくなんかありませんよ! ミドリさんが嫌だ、迷惑だっていうんならやめますけど」


 またミドリがみるみる困った顔つきになります。


「いえ、迷惑なんかじゃ……」


「じゃあ、人の好意は素直に受けてください」


「……」


「あなたににこにこしていてほしくて、僕らは親切にしてるんですから」


 ミドリが、黙りこみました。

 アズールの言葉を反芻しているようです。

 しばらくして、すん、と鼻をすすります。

 ぼとんぼとんと大きな水の粒が、大きな目から落ちて膝のあたりにしみを作りました。


――あっ!


 まずい、とアズールは思いました。つい、カータさんの経営者としての姿勢に口出しする調子でお説教を食らわせてしまったのです。


「……ごめんなさい、ちょっと僕調子に乗ってしまって」


「……いえ」


「偉そうなこと言ってしまいました、すみません」


「いいえ……」


 また少し黙った後、ミドリはハンカチで鼻と目頭を押さえてから一つ大きなため息をついて、言いました。


「嬉しいんです」


「え?」


「私、子どもの頃他人様のご厚意は一度は断るのが礼儀だって……そうしないと誰にも可愛がってもらえないって教わって……ずっとそうしてきたんです」


「あ、ああ……」


「だから、私に笑っていてほしいとか、好意には素直に甘えていいものだとか……言ってもらえたの初めてなんです」


 アズールはその言葉を聞いてしみじみと考え、それからちょっと首をひねりました。


「でも、しょっちゅうカータさんがそれっぽいことミドリさんに言ってましたよね」


「……え」


「ほら、店でもよく」


「……そうでしたっけ……」


「あーあ、カータさんって普段からふざけてばっかりだから聞き流されちゃったのかな……」


 アズールは空を見上げました。

 いいお天気です。もうお昼を過ぎておやつどきが近くなっています。


「カータさんは、ほめて伸ばそうと思ってるひとなので……だけど、僕はたくさんの耳触りのいい言葉は、ときどき真意を押し流してしまうんじゃないかと思うんです」


 空を見たままそう言って、アズールは首を横に向けてミドリを見ました。


「カータさんって、嘘はついてないのにオオカミ少年みたいですよね、カラスだけど」


 そう言って、アズールは笑いました。

 ミドリも目元を拭いて、ちょっと笑いました。笑いながら、そう言えばアズールさんが笑うのを見るのは初めてだと思いました。


 ミドリはアズールと初めて会ったとき、話し方や表情がどこか冷たいひとだと感じたものでした。

 しかし、アズールの勤務中の誠意溢れる接客や品の良い物腰、商品知識にミドリは努力の跡を見ました。そんなアズールが、ミドリの作ったものをお客さんにお勧めするときの言葉を聞くと、天にも昇る気分でした。

 工房作家や下請け職人との懇親会でも几帳面で真面目で、追加注文を纏めたり、いつの間にか空いたグラスや皿を集めたりして、酔っぱらっていやらしい冗談を言うひとからミドリを庇い、いい頃合いでそっと帰らせてくれました。

 それは、まだ宝飾品職人の世界では駆け出しの自分は、先輩たちからどんな風に絡まれても我慢しなければならないものと思っていたミドリにはびっくりする出来事でした。

 だから、ミドリはアズールのことをとてもいいひとだと思っていましたが、今日はそこへ「実は笑ったりもするひと」という項目が加わりました。


 やっとふたりはサンドイッチを食べ始めました


「おいしいですか?」


 ミドリにアズールが訊ねました。

「おいしいです!」


「よかった」



「あいつら、帰って来ねえなあ」


 宝石を売っている露店で、かささぎのマグがどっかりと椅子に座っています。


「まあまあ、想定内だよ」


 店主のカータがたっぷりのバターとメイプルシロップのかかったクランペットをぱくついています。店番を口実に、幼馴染のマグにお駄賃を渡して飲み物や食べ物を買いに行かせたのです。


「ああいう堅物と大人しすぎて鉄壁の守りの女子って、ふたりで分かり合える時間があれば、いい線行くかもなって」


「相変わらず物見高いな」


「お前さんもだろ?」


 マグはサクランボのジャムとガナッシュのクランペットをカータの前から取り上げて食べ始めました。もぐもぐしながら訊ねます。


「そういえばさ、前から聞きたかったんだけどよ」


「何だい」


「なんでアズールはアズールなんだ? 普通だったらロートとかブランカとかにすんじゃねえか?」


 カラスはしてやったりというふうににやっと笑うと、さっそく薀蓄うんちくを並べ始めました。


「ミドリは日本語で緑色って意味だけど、日本では緑色のことも青と呼ぶことがあるんだ」


「おい、俺はアズールの話をしてるんだぜ」


「見かけは全然違うけど彼らはジャパニーズラットスネークという同種なんだ。金運を呼び寄せると信じられていて、特にアズール君みたいなアルビノは神の使いだとか」


「だから?」


 べたべたになった指をぺろんと舐めながら、鳥類で最も賢いと言われるカラスに生まれついたカータは知識を披露できたことが嬉しくてなりません。

 しかも、自慢の従業員に自分が付けた名前についてのことなのですから、なおさらです。

「彼らは日本語でアオダイショウ……すなわちヘネラル・アズール。すごくカッコいいネーミングだと思わないかい?」




      ――ミドリとアズール、の章 おしまい

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