蛍は鳴かない

魚下 蛍鳴

黄色い帽子

埼玉県の某所。荒野、廃れた街。いつ捨てられたかわからない空き缶やエロ本、ゴミ収集車から落ちたぐちゃぐちゃのペットポトル。この街にはそれしかない。商店街は閑散としている。夏の暑い日に、かき氷を出す店も無ければ駄菓子屋もない。駄菓子屋は1年前に潰れた。1クラス20人しかいない小学校も活力が見えない。

帰り道、児童はみんな汗をかきながらのろのろと家へ向かう。会話もせず、挨拶もなしに。

そんな中、存紅(あるく)くんは元気に学校を出る。前でのろのろ歩いている子達を走って追い抜き颯爽と家に帰る。

存紅くんは家の鍵を開けランドセルを下ろし小銭入れを持ってコンビニへ走る。外にはまだ下校途中の同級生が今にも溶けそうになりながら歩いている。存紅くんはそんなこと気にも留めずにタッタッタッとコンビニへ向かう。

省エネと言う名の暴力に悩まされているこのコンビニはエアコンを付けていない。アイスの冷凍庫も温度を少し高く設定している。存紅くんはその冷凍庫の中からバニラアイスをひとつ取ってレジに持っていく。

怠そうな店員さん。骨のような腕でレジをさばく。おつりの30円をもらい軽い会釈をした存紅くんはまたどこかへ走る。

近所の公園だ。

近所の公園には、夜ヤンキー達が集まったあとの爆竹やタバコ、酒の缶がそのまま放ったらかしにしてあった。存紅くんはヤンキー達が座っていたであろうタバコの吸殻がついているベンチに腰掛け、コンビニで買ったアイスを食べる。彼はいつも笑顔だ。


彼は日が暮れるまでこの公園で過ごすことが多い。暗くならないうちには帰ろうとしているらしい。きっとまたあのヤンキー達がくるからだろう。

彼はそれまでの時間、ゴミだらけの公園でブランコやシーソーで遊ぶ。友達はいない。ただ彼はいつも笑顔だ。


彼が家に帰っても、親はまだ帰ってこない。

21時を過ぎたこと、お母さんが疲れ果てて帰ってくる。彼は「おかえりなさい」とお母さんのカバンをお母さん達の寝室へ持っていき、今日の夕飯だ、と渡されたカップラーメンをつくりはじめる。お母さんは這いつくばるようにして寝室にはいり、出てくることは無かった。

彼はお湯を沸かし、3分待ってる間鼻歌を歌う。彼は歌うことが大好きだ。でも、お母さんが寝室で寝ているだろうから彼は静かに鼻歌を歌う。楽しそうだ。

カップラーメンを啜る時彼はいつも次の日の学校のことを考えている。

明日は何して遊ぶか、宿題はもう学校で終わらせたな、帰ってきたらコンビニに行って次はチョコアイスを買おうか。そんなことを考えながらカップラーメンを啜る。

そして、いつもカップラーメンを食べ終わる頃にはソファーですやすやと眠りに入ってしまう。お父さんに会いたいな、と時々涙を流す。これは無意識なのか、私にはわからない。


朝起きて今日の学校の準備をして遅刻ギリギリに家を出た存紅くん。今日も走る、走る。

朝礼開始のチャイムと同時に教室に入る。もう誰も存紅くんの方を見なくなった。

「おはようございます」

挨拶はか細い声しか揃わない。そんな中存紅くんは大きい声で挨拶をする。

先生の声すら聞こえない授業に、たのしそうな顔をしながらノートを書く。

校庭は遊具がもう使い物にならないので、使用禁止の札が貼ってある。存紅くんは休み時間、校庭でひたすら走る。


彼が休み時間の後教室に戻ると、1人の男の子に声をかけられた。

その子は掠れた声で、『お前はおかしい。この世でお前だけがおかけしい。』

ただそれだけを伝えた。存紅くんはちんぷんかんぷんな顔をしたが、次の授業に遅れたくないので走って教室に入った。


存紅くんは授業が身に入らなかった。僕は何が違うのか、おかしいのか?この世界はなんなのか。僕はその中でおかしいのか?

存紅くんは、家に帰ったらお母さんに聞いてみようと決意した。


また9時を過ぎた頃、お母さんは帰ってきた。玄関の入ったところで這いつくばっている。存紅くんはそっと聞いた。

「まま、僕はおかしいの?」

お母さんはいきなり立ち上がり存紅くんの肩を揺さぶりながら怒鳴った。

『あんたはいつもいつもおかしくて不気味なのよ!笑ってばかりで気持ち悪い!床に触らないで!ここにあるものに触らないで気持ち悪い!!!』

存紅くんはお母さんを避けて外へ走った。

存紅くんはどこまでも走った。彼は初めて号泣した。裸足で砂利の上を駆け抜けた。


彼はもう疲れ切っていた。ここはどこだろう。土手に出たようだ。土手の下には川があった。彼は川の傍へと行き座った。

そんなに大きい川ではない、水が澄んでいるわけでもないが、今の彼にはここが帰る場所のように感じた。

彼は沢山泣いた。沢山考えた。自分が笑っていられるのは何故か、それはおかしいことなのか、僕は気持ち悪いのか。

彼はゾンビのように生きる周りに気づいていた。気付かないふりをしていた。自分とは違うからだ。彼はゾンビになりたくなかった。

だけど、齢12の男の子は弱かった。自分がおかしいんだ、僕は気持ち悪いんだ。


彼は川の中へゆっくりと歩いていった。

川の真ん中まで来ると彼は流れに沿って歩いていった。彼はどこへ行く?

もう彼も生気を失っていた。疲れたろう、走ったから。眠たかろう、遅いから。

彼は膝から崩れ落ちてそのまま沈んで行った。黄色い帽子は勢いよく流れていく。追うものはもう誰もいない。


━━━━━━━━━━━━━━━

都内で子供たちが川で遊んでいる。

すると一人の子が、あっ。と何かに気づく。

「まま、みてみて、黄色い帽子。」

子供が母親に見せに行く間に突風が吹いた。

子供は尻もちをついて帽子を手放してしまった。

高く舞い上がる帽子、黄色い帽子。

彼は一体どこへ行く?


彼は一体どこへ行く?

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蛍は鳴かない 魚下 蛍鳴 @osaka_na

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