2、

 辞める、という言葉がちらつくようになったのはいつからだっただろう。

 小さい頃から映画が好きだった。もともと映画好きだった姉に誘われ、わかりもしないのに夢中で映画を見ていた。姉は役者を目指していた。俺が監督になって姉が出演する映画を撮ろう、というのが、いつしか二人の夢になった。呆れるほどまっすぐで幼い夢だった。

 高校で映画部に入って、本格的に映画作りに関わり始めた。情緒不安定な母親と、無関心な父親というアンバランスな家の中で、姉は唯一の支えだった。姉は劇団にスカウトされ、役者として少しずつ軌道に乗り始めていた。初めて二人で一緒に映画を撮ろうとした時、姉は待ち合わせ場所に向かおうとして、車に轢かれて死んだ。

 高校を卒業してからも、何かに執着するように映画を撮った。退いてはいけない気がした。親の反対を押し切って、映像系の学部に進んだ。映画サークルで何本か学生映画も作った。俺の作品は穏やか優しいと言ってもらえることが多く、一見傷の舐め合いのような組織だったけれど、実直にモチベーションに繋がった。「亮也ならきっと映画監督になれるよ」と、背中を押してくれる仲間も多かった。

 就活はなかなかうまくいかなかった。面接を受けた制作会社は軒並み落とされ、それでも映画が好きだという一心で映画業界にしがみついていた。そんな最中、今勤めている制作会社は、最終面接までこぎつけた唯一の会社だった。小さい会社ながら評判は聞いていたし、俺は多和田久美子という監督の作品の、強くて温かな世界観が大好きだった。

 面接の結果はお察しというか、なんせあの社長との面接だから、ちっともうまく行った気がしなかった。面接に落ち続けることにも慣れてきていて、「今回もどうせだめなんだろうな」と思っていた。その矢先。

 採用の電話が来た時は、信じられなかった。スマホを握る手に自然と力がこもっていた。涙を流しながら、伝わりもしないのに、「ありがとうございます」と何度も頭を下げた。

 入社してすぐは希望に満ちていた。機材も役者も技術も、学生映画とは規模が違うプロの映画製作は吸収できることだらけだった。企画会議の存在にも俺は胸を躍らせていた。会議で自分の企画が通れば、社長や先輩の心に何か響けば、俺はプロとして自分の映画が撮れる。そう思っていた。そう思って縋りつこうとしていた。

 少しずつ任される仕事は増えていった。ついこの間は、十五秒の予告編スポットを任された。思っていたより短い納期と、「妥協」という言葉を知らない久美さんの計二十回近くいリテイク。久美さんの「まあ、いいんじゃない」の一言でようやく終えたこの仕事は、充実してはいたものの、身も心もボロボロになった。二徹で仕上げたツケが周り、次の日布団に入ったら目が覚める頃には二十時間経っていた。

 一日中映画漬けでいられるこの仕事は、嫌いじゃない。役者のクランクアップの時とか、皆で作った映画の試写会の時とか、幸せを感じる瞬間はたくさんある。俺はこの仕事が好きだ。

 ただ、映画製作はあまりにも目まぐるしく、余裕がない。映画業界が斜陽であることに危機感を持つ久美さんは、良い映画を作るためなら、スタッフの生活など微塵も顧みない。口が悪いからパワハラじみた言動も多い。多和田久美子作品は好きだし、スポンサーとだって作品のためなら恐れず口論する久美さんはとても格好いいけれど。

 落ち着いた食事は週に何回かできればいい方だった。終電がなくなるまでスタジオに籠ることも多く、徹夜も決して珍しくはなかった。エナジードリンクは日に日に効かなくなった。固形物が口を通らず、ゼリー飲料を食事代わりにすることもあった。俺の一年あとに入社した女性スタッフは、顔に濃い隈を浮かばせながら、「労基に通報します!」「社長のあれ、絶対パワハラですから!」と言い捨て、辞めた。

 そんな中、企画会議の存在は希望でもあり絶望でもあった。皆のアイデアを聞くこと、新しい作品の構想を練ることは心躍る作業だった。久美さんからの酷評を聞くことも、辛い反面良い刺激になった。次こそは認められよう、と思うと、熱意が腹の底から沸き上がった。

 それが少しずつ重荷になり、苦しくなっていった。久美さんの容赦のない批評は、スタッフの中で俺が一番長かった。睡眠時間は日に日に短くなる。一生懸命練り上げたものほど、手酷くダメ出しされた。

 俺の心は少しずつ、少しずつすり減っていた。

 撮影補佐。役者のご機嫌とり。カットのつなぎ合わせ。微調整。目の前のタスクをただ消化していくだけの日々。映画を作ることへの喜びも熱意も、長らく感じていない。

 食欲は日に日になくなり、体重も入社から三、四キロ減った。まとまった休みにはただただ惰眠を貪り、新しい映画を見る時間もろくに取れない。首と肩の凝りが治らず、慢性化した頭痛には薬を飲みながら、騙しだまし仕事を続けた。

 なんで俺は、映画を作っているんだっけ。飛びぬけた才能もセンスもなくて、映画が好きだからっていう理由でここまで来たのが間違いだったのかもしれない。同世代で活躍している監督を見る度に、自分が惨めで、ふがいなくて、泣きそうになった。

 ――辞めようかな。

 いつだったか、ほんの一瞬頭をよぎったそれは、俺の中からなかなか離れてくれなかった。何かを生み出すのは途方もなく苦しい。仕事にはお金も義務感も伴うから、思った通りの映画を作るのはものすごく難しい。純粋に好きという気持ちだけではやっていけないのがプロの世界だ。嫌と言うほど痛感させられた。

 いっそ作り手ではなく消費する側に回れば、きっと楽になるんだろうな。映画部とかサークルの時みたいに、趣味として好きな映画を見て、「あのカットがいい」とか「女優がいい」とか物知り顔で語りあって、ただそれだけ。スポンサーと製作者との板挟みも、徹夜での作業もない。純粋な映画ファンとして、ただ楽しさだけを享受することができたら、きっとものすごく幸せだろうな。

 ――辞めてしまおうか。

 見ないふりをしていた感情に、心がぐらぐら揺れる。辞めてしまえば、たった数枚のコピー用紙に詰まった俺の二ヶ月が、ボロクソに否定されることもなくなる。

 次で最後にしよう、と思った。これでダメだったらきっと、俺には才能がなかったってことだ。

 これで最後。自分に見切りをつけてしまうと、腹の底に溜まっていた重たい何かが、少しだけ軽くなったような気がした。


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