シネアスト

澄田ゆきこ

1、

「亮也あんたさあ、甘いんだよ。誰も傷つかない優しい世界を作りたいのかもしれないけど、あんたの優しさってのは結局、自分に対する甘さだ。傷つける覚悟も傷つく覚悟もない。だからこんな奥行きもない上滑りした話しか書けない」

 久美さんは俺の企画書をばしばしと手で叩いた。ごみごみした雑居ビルの傍らにある、小さな映画製作会社。入社三年目のしがない制作アシスタントである俺は、今日も企画会議でこてんぱんにぶちのめされていた。

 今年で五十になろうとする久美さんは、この制作会社の社長でありやり手の映画監督だ。短いぼさぼさ髪、体格も女性にしては幾分良い。見た目も性格も勝ち気で男勝り。映画に対するストイックな眼差しは日本映画界でも好評で、この会社も小さいながらに何人も映画監督を輩出している。それは事実だったけれど、久美さんのやり方には容赦がない。「お世辞で甘やかすのは一番ためにならない」と言って、構成が雑だとか、登場人物が生きていないだとか、久美さんは俺の企画書の拙い所を洗いざらい並べ立ていく。

「いつまでも学生映画撮ってたころの気分じゃダメ。映画人シネアストとしての自覚を持ちなさい。アタシたちはプロなんだから、客に響くものを作らないといけない。誰も傷つけないただ優しいだけの言葉が、一体誰の心に響くの?」

「うぅ……すみません」

 心当たりがあるからこそ、久美さんの一言一言が、いちいち深く刺さる。彼女の言葉は、俺のほんの些細な慢心も容赦なく摘み取っていく。

 周りにいる先輩たちも、つられたように少しだけ俯いた。久美さんの強い口調と、エアコンの室外機の音だけが、部屋の中に響いていた。

「今のままじゃ話にならないからね。これが仮に映画になっても、十人中七人は次の日には内容を忘れるし、三人は見たことすら忘れるよ。万人受けを狙いすぎて輪郭がぼやけてる。八方美人なストーリーからそろそろ卒業しなさい。以上。……音を上げるなら好きにしなよ。別に辞めたかったら辞めてもいいんだからね」

 暑くはないはずなのに、喉元を汗が伝う。はい、とかろうじて返事をして、俺の二ヶ月が詰まった数枚のコピー用紙を胸に抱いた。

 心臓はまだ激しく脈打っている。入社してから今日で通算十回目。毎回手酷くこき下ろされるとわかってはいても、懲りずに企画書を出し続けた。その道でのし上がったプロに自分の作品を精査してもらえるなんて、これほど貴重な機会もない。それでも、撮影補佐や編集の仕事の合間、少ない睡眠時間を削りながら考えた作品がゴミ箱行になるのは、それなりに辛い。

 久美さんはすごく厳しい。ただでさえブラックな映画業界で、このやり方に心を折られる人もやっぱり少なくなくて、俺の入社前も入社後も、若い人を中心にたくさんのスタッフが辞めていった。

『辞めたかったら辞めてもいいんだからね』

 だから、久美さんのこの言葉は、ちっともシャレになっていないのだ。

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