叙の五 青い瞳にサヨナラを ①

 いつもと同じ帰り道――ただ、いつもと違っていたのは、今日はとなりに池神いけがみ織子おりこがいないこと。そして、その代わりに変な転校生が纏わりついていること。



 ’三六年〇四月一八日(約束の日まで、あと二〇七日)



(でも、遥夏はるかの初恋相手なんだよね?)


「違うわよ! バカ織子!」


 彼女の勘違いや早とちりは、今に始まったことではない。だが、それを否定して納得させるまで、いつもかなりの時間を費やすことになる。なので最近は、さほど実害のないものに関しては、そのまま放置していたのだが……今回ばかりはそうも言ってられそうにない。


(なんであの子は、あんなにバカなの……まったく、どうしてそんな発想になるのか不思議でならないわ)



 廣瀬ひろせ遥夏はるかは、今直ぐにでも打ち消したい相手がいない現状に、歯痒い思いを感じていた。そして、未だに自分の後をついて来る、不審極まりない一人の存在にも……。



 遥夏はたまに、織子と友だちでいられる自分が信じられなくなる時がある。それは、決まって彼女に振り回されている時なのだが……元々友たち作りが苦手な性格も災いし、ふとしたきっかけが縁で今もその関係が続いているのだった。


(初恋なわけ、あるはずがないじゃない)


 忘れかけていた……忘れようとしていた……でもまだ、“思い出にできないでいる記憶”が再び蘇ってくる。


『初恋』か……もし、『恋』と呼べるものがあったなら、あれが最初で今のところ最後の恋――それは、ちょうど一年前。廣瀬遥夏が極東学院高等部に転入してから、およそひと月が経った頃のことだった。



     ☆



 ’三五年〇五月一四日(約束の日まで、あと五四六日)



 その日、二年A組の教室内は、正午を過ぎた頃から甘く香ばしい薫りに包まれていた。原因となったのは、昼休み直前の授業――選択科目である、家庭科の調理実習の成果にある。


 クラスのほとんどの女子がその授業を受けており、彼女たちの席には、思い思いの趣向を凝らしたカップケーキが鎮座ましましていた。男子たちの羨望を余所に、お互いに品評し合い、食べ比べては話に花を咲かせる……そんな、細やかな女子会が教室のあちらこちらで見受けられる。


 一方、廣瀬遥夏はといえばそれらの輪に加わわず、自分のカップケーキを眺めては一人悦に入っていた。


(ふむ……我ながら、なかなかの出来映えだわ)


 手先が人一倍不器用な上、料理のことなどからきし不得意な彼女だったが、今回ばかりは、あえて(意外と)料理上手な織子の手を借りることなく完成させた、“渾身の力作”であった。


 しかし、自己満足の至福のひと時に浸っていられたのも束の間、背後から音もなく伸びた手が、目前の『至極の一品』を奪い去っていく。


「お、美味そうじゃん! ゴチでーす」


「えっ? ちょ、ちょっと!」


 慌てて振り返った先には、日系ハーフの男子生徒、ハヤト・M・アンダーソンがにこやかに立っていた。


 彼は外資系企業の重役を父に持つおぼっちゃまで、“銀色の髪に青い目”といった日本人離れした容姿と、生まれ持ったフランクな性格から、クラスでも人気の男子であった。



 幸か不幸か――これまで遥夏は、クラスの男子生徒を異性として特別意識したことはない。天性の運動神経に恵まれた彼女は、男子といえば手頃な競争相手でしかなく、恋愛対象として見ることなど皆無であった。


 だが、決して“非モテ”だったわけではなく、ごく稀に告白の手紙ラブレターを貰うことや、校舎裏に呼び出されることも多少ではあるが経験はある。だが、その都度『果たし状』や『タイマン勝負』と勘違いをすること数回……兎に角、その辺りの感覚がかなり疎い女の子であった。


 そんな彼女にいささかの変化をもたらしたのが、転入と同時にクラスメイトとなった、ハヤトの存在が大きい。



 二人の距離が急接近したのは、クラスの雰囲気にも馴染んだ頃に開催された、球技大会でのこと。男子のバスケが二年生の決勝まで勝ち進んだ時、応援席にいた遥夏に向かって「この試合に勝ったらデートしよう!」と、何の前触れもなく、ハヤトはいきなり声を掛けてきたのだ。


 呆気に取られている間に試合は開始され、恥ずかしさのあまり終始まともに観戦できないまま試合は終了。結局、その試合に男子チームは勝つことができず、二人がデートすることもなかったのだが……それ以来、ことあるごとに一緒にいることが多くなっていった。


 今日も、その延長線上のこと……。



「……」


「え、なに?」


「食べてもいいの?」


「別に……いいけど」


「あんたのために作ったんじゃないんだからね! ……は?」


「いや、私そんなキャラじゃないし」


 計らずとも、遥夏は、彼の行為を待ち望んでいた節がある。もしも上手にできたら、ハヤトにあげよう――この度の『奇跡の出来映え』は、彼女のそんな気持ちが産み出した、“奇跡の結果”に違いなかった。


「早く食べないと腐る?」


「腐んないし! 失礼なことをいう奴にはあげない」


 男子相手に、これまでそんな態度を見せることなどなかった遥夏が、彼とのやり取りだけはどこか愉し気に映る。唯一、気を許した男子生徒――それが、ハヤト・M・アンダーソンという存在であった。


「じゃあ、半分コずつね」


 徐にカップケーキを二つに割ると、ハヤトはその片方を一気に口へと放り込む。


「……ん……? うん、ん? うっ……」


 ハヤトは口を押さえるながら、その場にゆっくりと蹲っていった。


「えっ……マジ? ハヤト、大丈夫? まずかった?」


 ケーキを口にした途端、急変していくハヤトに遥夏は焦った。だが、彼は手を挙げてそれを制する。


「……ん? う……うまい!」


「よかった……で、でしょう? 自信作だかんね!」


 遥夏は素直に嬉しかった。


「ただ……喉、詰まった」


 言うと、ハヤトは遥夏の飲みかけだったブリックパックの苺ミルクを、一気に飲み干していく。そんな彼の姿を見ると、“この男子生徒とはなのだ”……と改めて実感する。


「全部、飲まれた……」


 思いがけない間接キスの瞬間に、照れて俯いてしまう遥夏。だが、時折見せる彼女のそんな“隙”が、ハヤトのドS根性に拍車をかけていく。


「ん? 怒った?」


 気づくと彼の顔がすぐ横にあり、深いブルーの瞳が間近に迫っていた。


(ちょ、ちょっとタンマ! 顔! ち、近い、近いって!)


 顔面を桜色に染めながら、首を横へ振る……恋愛経験などまったくしてこなかった遥夏には、平然と大胆な振る舞いをしてくるハヤトに対抗する術など、持ち合わせているわけがない。


「見てるこっちが恥ずかしいぞ」


 その聞き慣れた声に視線を上げると、眼前で織子が机に頬杖をついていた。


「――!」


 慌てた遥夏は、咄嗟にハヤトを突き飛ばす。


「織子! 来るのが遅い!」


「じゃあ、残りの半分はオリコが頂いていくニャー」


 抜け目のない織子は、そう言うと“奇跡のカップケーキ”の残り半分を手に取り、あっさりと持ち去っていった。


「あと、そこの二人。校内でイチャコラするの禁止だから……ニャハ」


 振り向き様にそう言い残し、ニヤリと不適な笑みを浮かべながら、織子はとっとと教室を後にする。



 その日の織子のテンションは、更に加速し続けて留まることをしらない。


 廊下で擦れ違う生徒たちに対しハイタッチを求め、それが決まる度に「ヨシ!」と、ガッツポーズを取る彼女の姿が、昼休みの校内各所で見受けられた。それら一連の行動が、様々な『音』となって遥夏のいる教室まで届いてくる。


 その起点であったことに、謂れのない恥ずかしさを覚えた遥夏は、織子の快進撃を阻止すべく彼女の後を追った。一方のハヤトといえば、別段気にも留めていない様子で「オーマイガー」と呟いては、ごく自然に男子生徒たちの輪の中へと加わっていく。


(なんだか、私ばっかり割を食ってる気がするわ)


 そんな気持ちとは裏腹に、遥夏のハヤトに対する特別な感情は、日増しに強いものへと変わっていくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る