叙の四 ボディガードに濡れ落ち葉を ②


     ☆



 二人は、邸内の執務室――『C.O.O. ROOM』と、プレートが掲げられた部屋へ入って行った。まだ制服姿のままであったが、サヲリは構わず“どっか”と椅子に腰を落ち着かせると、壁に設置された大型スクリーンを展開していく。


「報告を」


『……』


 スクリーンの中には、恰幅のいい詰襟、眼帯の隻眼男が映っていた。ただ、その男の眼はぼんやりと空を泳いでいる。


『……』


加賀美かがみ艦長、報告を!」


 サヲリは、さらに語気を強めてスクリーンの中の男に呼びかけた。回線が繋がっていたことを知り、我に返ったその男は咳払いをしてその場を取り繕う。


『――失礼。巡洋潜水艦『すめらぎ』艦長、加賀美かがみ景丸かげまるであります』


 この男とのやり取りは、いつもこうだ……サヲリは怒りを通り越して、もはや呆れていた。



 それは、あの“光の球”を追っていた謎の潜水艦からの衛星回線であった。


『えー……二日前、十五日の〇七時二十八分。カムチャツカ半島沖、南東十五キロ地点に出現した目標は、千島から日本列島に沿って南下を始め、本日、十六時〇七分。相模湾、三浦半島付近にて消失。以降、現時点まで捜索を続行するも、いまだ発見できず……で、あります……です』


「……」


 サヲリはこめかみを押さえつつ、その『報告』とも呼べない代物を黙って聞いていた。


『こ、この度のこの失態……もはや、我が命をもって償うほかはなし! 自決の覚悟はすでに――』


 徐に腰の刀を抜刀すると、加賀美は自らの腹へそれをあてがった。


「わかった、わかりました……。兎に角、あなたたちは一旦帰還しなさい」


 スクリーンに映るブリッジ内からは、乗組員たちの安堵の雰囲気が伝わってくる。そんな中、加賀美だけがキョトンとした表情を浮かべていた。


『帰還……で、ありますか?』


「すでに『すめらぎ』の稼働時間は、七十二時間を超えています。クルーの皆さんにも休養は必要でしょう? それに、加賀美艦長……実際問題、あなたの“首”が飛んだ所で、事態はなにも好転しないのよ。現在まで捜索を続けて、一向に行方が掴めないとなると……すでに、本土上陸を許してしまったと見るべきでしょうね? そうなったのなら最後、私たちの『すめらぎ』ではどうにも対処できないことは、最早明白です。鎌倉の屯所に捜索は引き継いで、あなたたちには即刻帰還することを命じます」


 サヲリは手元にある分厚いファイルを捲りながら、尚も続ける。


「それと……あなたの担当所轄分だけ、前期の決算報告書と今期の事業計画書が未提出のままなのだけれど?」


 巡洋潜水艦『すめらぎ』の艦長である加賀美景丸は、神矢グループの一端、地元銘菓『北狐のしっぽ本舗』取締役という側面を持っていた。サヲリの話は、そのことに言及している。


『えー、その件につきましては……』


「このままでは、“艦長の首”以前に、“こちらの首”が飛ぶ方が早いかもしれないわね? 株式会社『神矢コーポレーションズ』の傘下グループはすべて、一部上場の一般企業です。慈善団体でもNPO法人でもなくってよ? 来週の月曜までにしっかりと仕上げて提出すること! いいですね? できなければ緊急役員会議を開いて、あなたは即更迭。ヒラよ、ヒラ」


 言い訳を遮ったサヲリの説教は続き、加賀美はスクリーンの中で大きな体躯を小さく窄めていた。


『……はぁ、了解しました。現時点をもって、巡洋潜水艦『すめらぎ』は一旦戻りま――』


 加賀美からの返答をすべて聞き終えることなく、『すめらぎ』との通信を一方的に切った。座っている椅子を反転させたサヲリは、窓の外へと視線を移す――そこからは、細やかながらも美しい神威市の夜景が広がっていた。


「ねえ、楓華……あなたはどう思う?」


「おそらく、目標はすでに内地への上陸を果たし……最悪、北上を試みてこちらにも……神威市内に、再び侵入してくる畏れも予想されるかと」


 サヲリはリモコンを手に取り、スクリーンの映像をニュース番組に切り替えて音量を上げていく。そこには、が何度も繰り返されながら映し出されていた。


「そうね……それにしても、これはあまりにも不手際だわ」



「――繰り返しお伝えしています。この映像なんですが……軍事評論家の佐藤さんは、どうご覧になりました?」


「ええ、画像が鮮明ではないので、はっきりとは申し上げられないのですが……擬装している可能性もありますが、かなり古い型式タイプに見えますね。もし、本当にこれが我が国の領海内で起こった他国による軍事演習だとしたら、本当に由々しき問題だと思いますよ」


「ロシア外務省と中国外交部は、これを否定する回答を発表している中、政府による一刻も早い原因究明が求められます」



 サヲリはそのニュース映像を、苦虫を噛む思いで見つめている。


「海上保安庁へ映像が提出される以前に、なんらかの方法で外部へと漏れたものと推測されます。加賀美艦長より報告がなされた数時間後には、すでに動画共有サイトに映像が流出していましたので……情報が錯綜している間に、調査船乗組員の拘束が遅延したことが原因かと……申しわけありません。私共のミスです」


「単なる連携の乱れ? それだけならまだよいのだけれどね……任務に支障をきたすほどのがあったのかしら?

 まぁ、出てしまったものは致し方ないとして……ただ、あなたも重々承知しているとは思うけど、ヴァグザに対するすべて作戦行動は私たちの行く末、『亜瑠坐瑠アルザル』の未来が懸かった重要案件なのよ。それを身内から潰されるなんて、堪ったものではないわ。もしもまた、こんな失態が続くようなら、次は――」


 そこまでいうと、サヲリはようやく楓華の変化に気がついた。


「ほん……とうに……申し訳……ございま……せん……」


「――!」


 瞳から大粒の涙をポロポロと零しつつ、膝を崩して詫びる楓華に対し、サヲリは自分の眼を疑いながらもドン引きした。


(えっ⁉ なんで高校生に説教されながらガン泣きしてるのよ、この人は!)


 その場にぺたりと跪いて泣き伏せるを見て、サヲリはすっかり恥ずかしい気持ちに包まれる。


「ま、まあ……今回の一件は、相手の誘いにまんまと乗せられた加賀美艦長の、“独断先行が招いた結果”が最大の原因であると思っています。別に楓華あなただけを責めているわけではないのだから……ああ、もう、本当に面倒な人ね!」


(でも、これで我々の動きを世に知らしめてしまったことには違いない。さて、どうするか?)


 サヲリが熟考に耽っていると、不意に目の前の電話が音を立てて鳴った。楓華は慌てて涙を拭うと、息を整えて受話器を手にする。



「――丹波の屯所からでございます。ただ、お相手は天能あまの防人さきもり様ですが……」


「防人が? あの人は、こういう時に限って行動が早いのよね」


 憂鬱な表情を浮かべながらも、サヲリは楓華から電話を受け継いだ。


「……サヲリです」


「よくも平然とこの電話を取れたものだな、神矢サヲリ。あんな失態を全世界に垂れ流しておきながら、こちらに一報もないとは、どういう了見か? 三秒以内に答えてみろ! 三、二、一……ふん、答える気などないようだな。

 天巫女かなんか知らないが、どうせ周りからちやほやされていい気になっているだけなのだろう? いや、絶対そうだ! そうに決まっている! だいたい、お前みたいな小娘が……」


 サヲリは受話器を耳から離して放置――矢継ぎ早に放たれる、小言ともいえない相手の文句をしばらく聞き流す。


「――おい! 神矢サヲリ! 聞いているのか? おい!」


「それで? お爺様……御館おやかた様は、どうしろとおっしゃっています?」


「御館様? 御館様は、特に……まだ、連絡はない……。だが、今回の失態に関しては、絶対に責任を取らせるからな。近日中にだぞ! それだけは覚悟しておけ! 許嫁だからといって容赦はしないからな! わかったな‼ あーっと、こら、まだ、私が話をしている途中であろうが――」


「防人くん、イチャコラしたいのならプライベートでやって欲しい感じ……もしもし、サっちん?」


 むさ苦しい男から、急に可愛らしい女の子の声へと電話の相手が変わった。


「ああ、蓮華れんげですか? 暫く姿を見せないと思っていたら、丹波に行っていたのね。

 そちらの用が済んだら、早目に戻ってきて貰えないかしら? 色々と手伝って欲しいことがあるのよ。それに……いつまでもそんな男の傍にいると、あなたまで頭がおかしくなってしまうわ」


「ん? 防人君は、そんなに悪い人じゃないっぽい。『天一』のラーメン奢ってくれたし……っていうか、爺様から頼まれたことがあるから、それが終わったら直ぐにでもそっちに帰る感じ。それから、悪いんだけど、お姉ちゃんに替わって欲しいっぽい」


 サヲリは、受話器を再び楓華へと差し戻す。


「蓮華からですわ、楓華お姉様?」


 サヲリは楓華と蓮華の関係を、少し羨ましく思っていた。自分にも姉や妹がいれば、もう少し違う人生を送れたのかもしれない……彼女は、物憂げに外の景色へ視線を移していく。


 広がる夜景を目に、サヲリは一人物思いに耽る。


事態ことの顛末は、お爺様もご存じのはずでしょうに……とっくに傍観を決め込んでいる。“信頼を得ている”と思いたいが……まだ“認めてはくださらない”ということよね、きっと)


「――失礼いたしました。先ほど御庭番の方が神威入りし、廣瀬遥夏と接触した模様です」


 楓華は電話を終え、蓮華からの言伝メッセージをサヲリへと伝える。


がこの街に入った……?」


(陽之巫女の御庭番が、廣瀬遥夏に会った。これで、池神織子がどう動くのか……彼女の目的が、はっきりするのかもしれない)


「わかりました。そのことは、後で大川さんにも伝えておいて」


「畏まりました」


 さて! と、サヲリは意を決したように椅子から立ち上がり、楓華の手を取って部屋から退室していく。


「夕食の前に湯に浸かります。ほら、楓華! あなたも一緒に来るのよ」


「ええっ? いえ、私は……」


 躊躇する楓華の手を引っ張り、サヲリは長い廊下をずんずんと進む。


「嫌なことはお風呂に入って、綺麗さっぱり忘れるのが一番なのよ。それと、永田町の畠山さんに電話を繋いでちょうだい。防人のいう『責任』ってヤツを、取ってやろうじゃないの」


「あ、はい……いえ、しかし……失敗を忘れるのは、やはり問題かと……あーれー……」

 抵抗もむなしく、楓華は半ば強引に浴室へと連れ去られていくのだった。

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