叙の四 ボディガードに濡れ落ち葉を ①
これから先、自分の一生をこの少女のためだけに捧げよう……そう心に決めたのは、今からちょうど十年前。私が中学に上がった年のことだった。
’二六年一〇月〇四日(約束の日まで、あと三六九一日)
「あなた、私のために死ねる? できるのなら、ずっと傍に置いてあげるわ」
それが出会った時の、彼女の“第一声”だった。
「欲しい物……? 明日のことを考えないで、ゆっくりと眠れるベッドが欲しいわ。あなた知ってる? 『棺』って言うのよ」
まだ年端もいかない少女の願いを聞いた。不憫なこの子に、私は何をしてあげられるのだろう? この子の背負っている物を、少しでも肩代わりしてあげることができるなら……。
「ねえ聞いて、お父さま。
その少女は私のことで不都合があると、決まって父親に言いつけた。それが唯一、その子に許された“親に甘える行為”であることは、周囲の者なら誰もが知っている。
「そうか……では、私からよく言って聞かせることにしよう」
父親は少女にそう告げると、私には「サヲリのことを、これからもよろしく頼む」とだけ伝えてきた――この『信頼』を裏切るわけにはいかない。
☆
’三六年〇四月一七日(約束の日まで、あと二〇八日)
「校長自ら送っていただけるなんて、なんだか申し訳ない気がしますわね」
「とんでもございません、お嬢さま。私は元々お父上の……
運転席には白髪交じりの中年紳士、
古くからからサヲリの父、
サヲリにとっては貴重なご意見番であり、時には父のように思えるほど心強い存在でもある。
「なにやら、生徒玄関の方が騒がしいようだけど……何かあったのかしら?」
後部座席の窓を少しだけ下げて外の様子を覗うと、生徒玄関前が下校途中の生徒の人だかりで混雑していた。
「金属バットを持った女生徒が、校内で暴れ回っている……とのことですよ」
車内のナビシステムに連動したモバイル・ギアを操作し、状況を確認した大川が伝える。
「本当ですの? そんな乱暴な生徒はウチの校風には合わないわね。謹慎処分が相当……いえ、放校処分にした方がよいのではなくて?」
興味がそがれたサヲリは、そそくさと窓を閉めてしまう。
「お嬢さま。人は誰しも、“若気の至り”というものがあるものでございますよ。我が校の校訓は、『
「はあ、そんなものですか……」
一瞬、ヘルメットを被り金属バットを握り締めた廣瀬遥夏の姿が、彼女の脳裏を
(……まさかね?)
「校内でバットを持って暴れ回るなど、かなり尋常ではない事態のような気がしますわね」
つい先ほど、屋上で遥夏に織子を焚きつけたことなど、とうに忘れてしまっているサヲリであった。
「そうですね。怪我人が出てしまう前に、当直の土方教諭にでも一報入れておきましょう」
「ええ……お願いします」
校門を出ると、正面にそびえ立つ巨大な朱色の鳥居に差し掛かる。
極東学院の敷地内を出入りするには、必ずこの場所を通過しなければならない――鳥居自体が、
(問題はあの子、
生徒名簿には、気になる記述は特に見当たらなかった。ただ、一点だけ……担任による家庭訪問時における家庭環境調査票には、すべて『父兄不在のため、完遂できず』となっていた。しかし、両親共働きが当たり前のこのご時勢にあっては、ごく普通にみられる事柄であり、押し並べて問題視すべき点でもない。
それが一般の生徒であれば……のことだが。
池神織子は最近になって、執拗にサヲリの身辺を調査している節がある。先刻の屋上にて彼女のデジカメをチェックした際、気づかぬ内に撮られていた写真が何枚も含まれていたことを思い返した。
(しかも彼女は、廣瀬遥夏と親密な関係にある。面倒だけど、このまま放っておくわけにもいかないわね)
サヲリを乗せた車は海沿いを東に向かい、神威市内を望む高台の大邸宅へと入っていく。驕奢な造りの門をくぐり、やや荘厳過ぎる玄関前に横付けされると、二十代半ばと思しき女性がそれを出迎えていた。
白地に赤い楓の刺繍が施されたアオザイに身を包んだ彼女は、車が停車するのを見届けると同時に後部のドアを開く。するりと足が伸びて、サヲリは車外へ降り立った。
「おかえりなさいませ」
出迎えた彼女の名は、
そもそも『神矢家』は、江戸の頃より北陸地方を中心に旅籠経営で成功を収めてきた豪族の家柄で、それに従ずる者たちもまた、何代にも渡って『神矢家』を支えるのが習わしである。楓華の家も例に漏れず、彼女自身も幼いサヲリの遊び相手としてこの家に入ってからは、青春時代の日々を彼女の成長と共にあった。
両親不在の今、神矢家を預かるサヲリが一番に信頼を寄せる存在――そして彼女の、忠実なる僕であった。
本日もいつもの如く……常に、最愛の主人の傍らにいることができない現実に打ちひしがれる楓華。その切なさにも似た感情に酔いしれながら、彼女はひとりモンモンとした時間を過ごしていた。
そんな楓華は、今日に限っていつになくかなり苛立っていた。先から連絡を取ろうにも、意中の相手は一向に電話に出ようとしないのだ。もう、とっくに授業は終わっている時間にもかかわらず……今日は特に、生徒会などの実務がないことも承知していた。
まさか、彼女の身に重大ななにかが起こった……? いや、そんなことなどあろうはずもない。万が一にもそんな事態となれば、彼女の身辺を(本人にすら気づかれぬよう)警護させている者たちから、“いの一番”で知らせが届くことになっている。
様々な不安を巡らせながら、楓華の指はリダイアルをやめようとはしなかった。五十七回目の発信でようやく彼女と繋がる……だが、その想いとは裏腹に、たった二十三秒で通話は一方的に切られてしまう。
こちらが用件を伝え、彼女がそれに応えただけ……たった、それだけの内容。掌に収まるモバイル・ギア――その画面を何度も確認してみたが、表示が変わることなどなかった。
『通話時間:二十三秒』……なんて理不尽なことだろう。
十分ほどの間に五十七回も電話を掛け、いざ繋がると二十三秒で切られてしまうこの現実――それは自らが選んだ、“私とあの子との関係”なのだ。致し方ないと思う反面、それにしてもこの仕打ちはひど過ぎる……とも思えてしまうのだ。
いったい貴様は、何に対して苛立っているのか……? 客観視する自分が、俯瞰から見下す。ともあれ、この気持ちを整理するためにも、なにか『仕返し』をしなくては……と、彼女が帰宅するまでの間、その策を練ることで楓華は暗澹たるひと時を過ごしていた。
水縞楓華という人間は、神矢サヲリにとっての一番の側近でありながら、かなり面倒な性格を持った従者であった。
出迎えた彼女にカバンを渡し、サヲリは無言で邸内へと向かう。
「お食事はいかがなさいますか?」
「そんなこと……まだ、仕事が残っているのよ。先に後始末をつけてしまうわ」
「畏まりました」
(やかましく何度も電話してきたのは、あなたの方ではなくって? 食事などしている場合でないことくらい、百も承知のはず……本当に面倒な
このやり取りが、楓華の『仕返し』だった。
サヲリは徹底した完璧主義者ではなかったが、面倒とは思いつつも物事を後回しにはできない性格――そのことを理解した上での、細やかな『仕返し』であった。
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