叙の三 炎の河童に記念日を ③


     ☆



 辺りは、陽が落ちたばかりの宵の口――“炎のカッパ事件”から一時間後、彼女たちの姿は神威市郊外のショッピングモールにあった。


 そこは会社帰りの買い物客や下校途中の学生たちで、そこそこの賑わいをみせている。遥夏はすっかり落ち着きを取り戻し、今では織子と二人で帰宅途中の寄り道三昧を楽しむほどになっていた。


 雑貨屋、CDショップとハシゴをした後、ふらりと立ち寄ったゲーセン。クレーンゲームのケージの中、無秩序に積み上げられた“河童のマスコット人形”が遥夏の眼に留まる。


 もう話してしまってもいいかな……そう思い立つと、遥夏は不意に昔話を語り始めるのだった。



「あれは小学校に上がる前だったから、もう十年以上も前のことなんだけどさ……その頃の私って、三重のおじいちゃんにいたのね」


「ふうん、そうなんだー。遥夏って高二の時、オリコのクラスに転入してきたじゃん? それより前の話って、これまで聞いたことなかったよねー?」


 そう話しながらクレーンゲームの前に陣取った織子は、ピンクのガマ口からありったけの百円玉を積み上げると、冬服の袖を捲った。


「よし、戦闘準備完了ニャ!」


 さっきまでの興味はどこへやら……織子は、真剣な眼差しで河童の群れへと狙いを定めると、続きを話せといわんばかりに、遥夏に向かって『カモンカモン』とジェスチャーを送り続けてくる。その様子に呆れながらも、遥夏は話を続けた。


「小さかったからかなぁ……記憶も曖昧なんだけど、それがマジで絵に描いたようなド田舎でさ。あるのは山と川と田んぼと畑だけで、近所に年の近い子もいなかったから、いつも一人で遊んでいたんだって……そう聞いてる」



     ☆



 一年前までは、毎晩のように繰り返していたその夢を、遥夏は今朝方久々に見た。


 それはたぶん、どこかの誰かによって書き換えられた、彼女の……彼女ではない、『遥夏の記憶』――いや、正確に言えば、



 廣瀬遥夏は、二年前から陽之巫女の影の存在として生かされてきた。


 偶然なのか、必然なのか……二人は外見上だけではなく、生まれた日、産まれた場所、果ては血液型まで一緒だった。まるで運命づけられた双子のように……彼女たちに違いがあるとすれば、ひとつだけ――『天空詠みの巫女』の証である、『陽之巫女』という身分。


 この世界の命運を左右する力を持つ者と、それを持たざる者。“ただの人”と、“人ならざるモノ”の御霊を持って生まれた……ただ、それだけのこと。


 本人に告げられることもなく、そういう運命さだめを人知れず背負わされてきた。この土地に時、もうひとりの自分の記憶に書き換えられた。


 故に遥夏は、本当の自分の記憶を知らない。知っているのは、ほんの僅かな他人の記憶。



 そのことを知った時、彼女は……。



     ☆



「カッパねェ……」


「そう……河童」


「三重ってどの辺?」


「ん? たぶん、西の方……かな?」


「ふーん、おじいちゃんの名前は?」


「え? 名前? いや、なんだったかな……よく覚えてない。どうしてそんなこと聞くの?」


「ん? いや、なんでもないよ。ただ、遥夏の過去をちょっと知りたかっただけだから」


 いつもとは違った、意味深な表情を浮かべる織子。それが遥夏には、妙な引っかかりに思えた。


(なにが言いたいの? なにを聞きたいの?)


 喉の奥まで出かかった台詞を、遥夏は必死に飲み込んでいく。



 彼女オリコにとっては、他愛もない話(だと思う)――をしている内に、織子は『河童』を見事吊り上げていた。難なく穴に落とすと、景品取り出し口から無造作に掴み出し、今度は意気揚々と天に向かってそれを掲げる。


「カッパ、取ったどー! 」


 その後、“河童”は織子のスクール バッグの持ち手へと無事に繋がれた。


「――で? その後どーなったのよ?」


「なにが?」


「遥夏とカッパくんのことだべさ?」


 二人は織子が買ってきたペットボトルを開け、プリントシール機の中へと入っていく。


「それがさー、よく覚えてないんだよね。その後のこと……テヘペロ」


「いや、遥夏じゃ可愛くねーし」


織子あんただって、かなりキモいんですけどー?」


「オリコは可愛いもん! 男子にだって、超モテモテだもん!」


「あ、男の子だったのかな? あの子……」


「はぁ? 男の子ー? カッパじゃなくて……? ふーん、それが遥夏ちゃんの淡い『初恋物語』でしたー! ちゃんちゃんってわけだ?」


「――バ、バッカじゃないの! ないない! 違うわよ!」


 とりとめのない会話の中、プリントシール機のシャッターは切られ続けていく。そして案の定、河童のデコレーションをされた挙句に『炎のカッパ記念日』とポップに描かれ、プリントアウトされた。



 流石にもう帰ろうと、二人はゲーセンを後にしていく。


 ショッピングモールの外に出ると、街はラッシュアワーの流れるライトに彩られていた。互いの家へと向かう途中、彼女たちの行く手を遮るように、ひとりの男子が歩道の真ん中で佇んでいる。


 フードを目深に被り、全身黒ずくめの服装……どこか古い時代の雰囲気を漂わせたその男子は、遥夏の前に立ちはだかるやいなや、ボソッと呟くように声を掛けてきたのだった。


「あんた、陽之巫女の……だろ?」


「……?」


(なに? 誰? でも、どこかで会ったような……)


 遥夏は一瞬、そんな気がして立ち止まる――だがしかし、直ぐさま無視してその場から立ち去ろうとした。男子は咄嗟にその腕を掴み、強引に自分の方へと引き寄せる。


「なによ! あんた⁉」


 腕を振り解こうとしたが、彼の力は尋常ではなかった。


「堕巫女と違うのか……?」


「だから、なんなのって!」


 やっとの思いで腕を振り解き、遥夏は男子の傍から離れる……というより、飛び退いた。


(うわー、ヤバイ奴だ……バットは土方ひじかた先生に没収られちゃったし、ここは……)


「織子、いこう!」


「へっ……?」


「戦略的撤退よ!」


 野次馬に紛れながら、二人の様子をカメラに収めていた織子の手を取ると、遥夏はその場から一目散に駆け出していく。黒ずくめの男子は、その後を追うことはなかった。二人の姿が人ごみの中に消えてなくなるまで、彼はずっとその場に立ち留まったまま、遥夏たちが向かった先を眺めている。


「まあいいさ……これからは、いつでも会える」


 そう呟くと、彼もまた雑踏の中へとその身を委ねていった。



     ☆



 遥夏は走りながら、これまでのことを思い返していた。


(いったい今日はなんなのよ! 神矢サヲリは私の過去を知っていたし、変な男には絡まれるし……これが厄日ってやつ?)


「ちょっとー、遥夏ー! すとーっぷ‼」


 一キロほど走った所で織子の声がようやく届き、遥夏は走るのを止める


「あんたの……体力に……ついていけるわけ……ないってば……」 


 遥夏より遅れること十メートルほど後方で、息を切らした織子は電信柱に掴まることでどうにか立っていた。立ち止まった遥夏は、足踏みをしながら無意識に左腕へと手を当てる。


 ――ズキン


 先刻、男子に掴まれた二の腕に痛みが走った。袖を捲るとそこに黒い痣を見つけた遥夏は、チッと舌打ちをする。


 思えば今日は、“負けた感”でいっぱいだった。


 生徒会長からは、一方的に馬鹿にされた気がする。絡まれた男子からは、逃げ出してしまう始末。織子を巻き込まなくてよかった……でも、謂れなき敗北感で、なぜだか涙が込み上げてくる。


 そして、悔しいのはそれだけではなかった。



「ねぇ織子、私ね……ちゃんとした記憶ってないんだ……」



「へっ? なにが?」


「でも、いいんだ。これからは体力の時代だから!」


 そう言い残すと、遥夏は再び駆け出していく。ひとり、その場に取り残された織子は、最早動く体力など残ってはいなかった。


「し……尻子玉、抜かれてしまえー‼ 」


 置いてけぼりを食らった織子の叫びが、夜の住宅街に木霊するのだった。

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