叙の三 炎の河童に記念日を ②


「――どう、ただでは済まさないって?」


 やや離れた場所から、二人のものではない“声”がする。振り向くと、校舎と屋上を隔てる扉の前に、ひとりの女子生徒の姿があった。


「遥夏!」


 織子にそう呼ばれた仁王立ちの女子生徒、廣瀬ひろせ遥夏はるかは制服姿にもかかわらず、頭には野球のヘルメットを被り、その右手には金属バットが握られていた。


 いつの頃からか、遥夏は織子の危機を感じ取ると、咄嗟にその辺りにある物で武装し、駆けつける……といった、一風変わった“癖”を持っていた。


 以心伝心――『親しい友だち』と呼ぶには、いささか距離が近すぎる。それほどまでに、二人の心は通じ合っているのだろうか? 『親友』と呼べる者をサヲリは、二人の不自然な関係性を多少なりとも不審に思う。


 にでもなったのかしら……そう思うと、少しばかり意地悪をしてみたくなるのが『人情』というものだ。


「そうね……」


 サヲリは、手にした織子のデジカメを、屋上から外に向かって投げ捨てる――


「えっ? 嘘!」


 否――実際は、投げ捨てる振りをして、へたり込んだままの織子の首へとカメラのストラップを掛けた。同時に、(遥夏を意識しながら)はばかることなく、そっと耳打ちをした。


「なんか感じ悪いな……」


 不敵な態度のサヲリへと歩み寄る遥夏は、その美麗な顔へ――彼女の鼻先へと、バットを向ける。


「やれ、生徒会長様だ。やれ、理事長の娘だっていった所でさ、なんでも好き勝手やっていいわけはないわよね?」


自分に有利な状況ができた途端、織子はそそくさと遥夏の背後へと隠れた。


「はーるーかー! 聞いて、聞いてー! オリコはぜんぜん、まったく、これーっぽっちも悪くないんだよー! なのにさー、生徒会長ったら織子の大切なカメラのデータを――」


「あんたは少し黙ってて!」


 しかし、遥夏は語気を強めて織子の言い訳を遮る。この状況下で、彼女の言動ほど当てにならない物はない。そんなことなど、これまでの付き合いの中で充分承知していた。


 ただ……帰宅時にはいつも一緒にいるはずの織子の姿が、今日に限ってどこにも見当たらず、教室の彼女の席にはカバンだけがとり残されている……それを見た瞬間、遥夏の脳裏に危機的状況に陥っている彼女の姿が、なんとはなしに伝わってくるのだった。


 “屋上”――無意識のうちに場所は限定され、ほどなく陰湿なイメージが遥夏の脳内を渦巻いていく。そうなると、もういたたまれなくなるのだった。気づけば、“陸上部のスプリンター”よろしく、自慢の駆け足で屋上へと向かっていた。


 本人は『純粋』と言い張って認めないが、その実かなり単純な性格で、元々物事を深く考え込まない性質タチ。『閃き=即、行動』の人種――それが、廣瀬遥夏という人物であった。


 途中、擦れ違ったとなりの席の野球部員、武山たけやまさとるからヘルメットと金属バットを半ば強引に借り受けると、それを速やかに装着。最後の階段は、二段ごと段差を飛ばして駆け上がり、遥夏は織子の窮地を救う救世主となった。


 その行動原理の大本には、“思いつき”と“思い込み”だけしか存在しない。それはどっちが『是』で、どっちが『否』であるかなんて事実は、遥夏にはまったく関係がないことだった。


 結果――なぜ、今、ここで、こうして、生徒会長を相手にバットで威嚇しているのか? いつも、衝動だけで咄嗟に行動に出てしまう性格だけに、遥夏自身もその意味は理解していなかった。


 織子が無事でいてくれさえいれば、それでいい――そこにあるのは正義なのか、はたまた嫉妬であろうか……遥夏とサヲリの間には、理由わけもなくひたすら長い沈黙だけが流れていた。


(なにか、“暗示”みたいなものにでも懸けられているのかしら? 堕巫女おちみこである池神織子なら、それくらいはやってのけるのかもしれない)


 その重々しい空気を断つように、サヲリはようやく笑みを浮かべながら口を開く。


「廣瀬さん……ずいぶんと物々しい姿だけど、なにか誤解をなさっているんじゃない?」


(なにも知らない、愚かな娘……)


 サヲリから零れた笑みは、どこか人を見下す態度のようにも思える。そしてその冷笑の持ち主は、今度は遥夏の傍へ歩み寄ると、そっと囁くように耳打ちをするのだった。


「私はもう、理事長の娘じゃないのよ」


「な……?」



 そうだった――



 一ヶ月ほど前、前理事長の神矢晃比古はダラス経由でフロリダへ向かう途中、“旅客機の消息不明事件”に巻き込まれて、現在は行方知れずとなっている。つい先日の始業式で、理事長代行に就いたサヲリの祖父、神矢かみや宗義むねよしから全校生徒にその報告があったばかりだった。


 無意味に振り上げたバットは、振り下ろす対象を失った途端、彼女の手から滑り落ち、『カラン……』と空虚な音を立てて床に転がる。


 遥夏は眼の前を通り過ぎていくサヲリに対し、なにひとつ返す言葉を持たなかった。


 卑怯な女。人の揚げ足を取り、身内の不幸をネタに嫌味を言う汚い女……遥夏は、そんな風に思った。


 馬鹿な女。勢いだけでまったく計画性がない、猪突猛進だけの単純女……サヲリは、そんな風に思った。


 屋上からの帰り際、扉の前で二人の方に振り返ったサヲリは、モバイル・ギアのカメラで彼女たちのツーショットを写していく。それはさながら、“勝利を祝う記念写真”のようであった。


「あなどれんな、生徒会長……」


 Wピースを下ろしつつ織子は呟く。しかし、彼女のそんな軽薄な台詞など、業腹で仕方がない遥夏の耳には入らなかった。



     ☆



 廣瀬遥夏と池神織子は、帰宅するため生徒玄関へと向かう階段を下りていく。


「ねえ、織子。あいつ……あの生徒会長、あんたになんか耳打ちしてたよね? あれを見た瞬間、かなりムカついたんだ。どうせ、私の悪口かなんか言ってたんでしょ」


「生徒会長さん? えーっとねー……ああ、遥夏に『河童の話』を聞いてごらんって言ってたのよ。たぶん、覚えているはずだからって……なに、河童って?」


「――!」


 遥夏は絶句した。


「……し、知らない……なんの話? まったく身に覚えがないわ」


 河童の話が出た途端、急に挙動不審となる遥夏。それを見た織子の直感レーダーは、彼女がなにか隠し事をしているのでは……と、認知する。


「ねー、遥夏。河童って、あのカッパ? ねえ? ねえー? オリコ、とっても興味シンシンニャんだけどー?」


 遥夏の眼には、織子の頭からピコピコと動く“猫耳”が生えているのが見えた。こうなると彼女のしつこさは、想像を超えた粘着性を持つことになる。


「ねーってば、ねー。カッパを見たの? それとも会ったの? やっぱ、頭に皿あった? 体は緑色してた? 水掻きついてた? 甲羅背負ってた? キュウリ食べてた? ねー、ねー、教えてよー。サヲリんが、遥夏に聞けって言ってたんだよー」


(どうして今更……なんで、そんなことを彼女あいつが知っているのよ? つーか、って誰だよ)


 道すがら、しつこく聞いてくる織子を、ずっと無視し続けていた遥夏。だが、生徒玄関まできた時に、彼女の“イラッ”は限界を迎えた。


「あー、もー、うっさいなー!」



 ――ガン‼



「へっ……?」


 生徒玄関にたむろしていた帰宅生たちは、一斉にその音へと注視する――見ると、遥夏のバットが織子の顔面、数センチ横で壁にめり込んでいた。


「河童……? ええ、そうよ……夢か幻か、確かにそんな記憶はあるんですけど? それがなにか? 私は相撲だって取っちゃいないし、尻子玉だって抜かれちゃいないわよ!」



「あ、あれー? ちょ、ちょっと、遥夏さん? ちょ、ちょっと落ち着こう……ってか……ね? オリコ、あともうちょっとで、死んじゃうから」


(えーん(泣)、遥夏がキレたー! 超ゴエーよ! 尻子玉ってなにー? 遥夏、超詳しいけど、なんだか響きがでやだー! 超聞きたいけど、超聞けねー! でも、なんでカッパが地雷なのー? もー、サヲリんのバカー‼)


「二年から一緒の(ガン!)、あんたにだって話したことないのよ(ガン!)。もちろん、あんたにだけは(ガン!)、絶対秘密にしておこうって(ガン!)、心に決めていたんだけどさ(ガン!)……そんな私の秘密を(ガン!)、どうしてあの女が知ってんのよ?(ガン!)」


 遥夏が呟きながらバットをガンガンガンガン振り下ろす度、コンクリの壁はどんどんどんどん削られていく。身の危険を感じた織子は、この危機的状況を回避するべく思いつく限りの、手段を講じていくのだった。


「わかった、遥夏! 代わりに、神矢サヲリのとっときの秘密、教えちゃうから!」


 あいつは絶対、脇が臭い……とか、今朝のテレビの星占いで、最高にラッキーでハッピーだったのは牡牛座の遥夏で、最悪だったのは蟹座のサヲリだった……とか、その時の、遥夏のラッキーアイテムは、『金属バット』じゃなくて『黄金バット』だった……とか、ついさっき、屋上で『UFO』を見た(かもしれない)……とか、所詮、人生なんてこんなもんだ……とか、云々かんぬん……。



 この時、廣瀬遥夏の頭から“怒りの炎”が引くまでに、小一時間は掛かったという。 

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