叙の二 深淵に光の行進曲を ②
クルーたちがもんどり打つほど激しく揺れる船内で、ライフジャケットにタイトスカートといった出で立ちながら、池神は慣れた様子で身体を固定すると、通信機のマイクを手に渦中の彼らに呼び掛ける。
「向井君、大丈夫? そっちの状況はどうなの?」
――その頃、向井が誇るEX―マリナー五〇〇〇は、度重なる大きな振動に加え、それによって巻き上げられた泥による視界不良と格闘していた。
「船体に異常はみられない。だが、磁場が発生しているせいかソナーがまったく働かない! 視界も全然利かない状況だ!」
衝撃と共に起こった潮のうねりに翻弄されながら……それでもノイズ越しにだが、相手の声は互いに聴き取ることができた。
『どうする? こっちでケーブルごと引き揚げる?』
「いや、状況によってはそっちを巻き込み兼ねない。それに、途中でケーブルが切れたら元も子もないしな……引っ張り上げるのは最終手段まで取っておきたい。ここはなんとか、自力で上がってみせるさ!」
海底で発生した異変は、徐々に海上へと拡大を始めている。そして、それを裏付けるかのように、なぜか中心を光り輝かせている巨大な渦が、池神の覗く双眼鏡からも見て取れた。
「まさか……海中でプラズマが発生しているの?」
一刻も早く、この場から離れなくては……そう感じた池神は、自分より経験豊富であろう向井に、その判断を委ねる決意をする。
「わかったわ。ここはすべて向井君に任せるから、その代わり……絶対、無事に上がってきてよ!」
『ああ、了解した!』
その時、優太は“焦り”や“憤り”といった感情を、生まれて初めて経験していた。
緊急を要するこの事態に……その切迫した場面で、なにもできずにいる自分自身に……結局、何をどうしたら良いのかもわからずに、彼はただ、じっと向井からの指示を待つよりほかなかった。
片や、そんな緊迫した
(俺は今、コイツとひとつになる。やれる……ああ、大丈夫だ)
フー……と、深く息を吐く。再び瞼を開くと、向井は優太の肩をグッと掴んだ。
「よし、浮上するぞ! なぁに、俺に任せておけば大丈夫だ」
黙って頷く優太に笑みを返すと、向井は操縦桿を握り直す。
「優太! とっとと“腕”、引っ込めれや!」
「は、はい!」
激しい流れに逆らわないよう、ゆっくりと船体を立て直し慎重に舵を取っていく。
「いいコだ……」
だがしかし……そんな向井の気持ちとは裏腹に、艇内のそこかしこでアラームが鳴り響き、あちらこちらで警告灯は点滅を繰り返す。時間が経つにつれ、それらの音量と速度は増すばかりで、それと同調するかのように彼らの緊張もまた、
その刹那、二人が縮込めた足元の小窓から、強烈な“光の束”が艇内へと差し込んでくるのだった。
「「――!」」
向井は、咄嗟にノイズだらけのモニターの中へ、必死にその正体を探す。
「今度はなんだ⁉」
彼らの乗った潜水艇は、瞬く間に光の渦の中へと包まれていくのだった。
それはまるで、今ここに……この瞬間に、海底より産声を上げたかのような……巨大な、そして眩い“光の球”がそこにはあった。さらに、それはゆっくりと――まさに威風堂々、彼らの目の前を通り過ぎていく。
これはなにかの儀式なのか……そう思わせるほどのマッコウクジラの群れが、その周りを取り囲みながら随伴していく。悠々と、または厳かに……。
「…………」
優太は、ついぞその光景に魅入ってしまっていた。しかし、“檄にも似た怒号”が彼を現実へと引き戻す。
「――記録だ‼ 記録‼ おい、優太!」
「……あ、はい!」
けれども、この一大ページェントはそれだけでは終わらなかった。その“黒い物体”は、光の球の一群を追うかのように、巻き上がった泥を掻き分けながら姿を現していく。
「こいつは……」
彼らはノイズ混じりのモニターを、呆気に取られながら見守った。そんな中、向井は驚嘆しながらも、どこか安堵したものを感じていた。なぜなら、その“黒い物体”は誰もが知っている、人の造りしモノに姿形が酷似していたからにほかならない。
海底での映像は、海上の屈斜路丸にもリアルタイムで送られていた。
船内では、クルー全員が押し黙ったまま、喰い入るようにモニターを凝視している。
「でかいな……」
すると、それまで固唾を飲んで静観していた者たちが、堰を切ったようにざわめき立っていく。
「自衛隊じゃないよな? 米軍か?」
「いや……大きさからいってロシアの原潜だろう?」
「新型のテストとか?」
「そんなことより、これって立派に領海内侵犯じゃないのか?」
「確かに、この海域で演習だなんて……」
「兎に角、海上保安部に連絡を!」
「自衛隊の方がよくないか? だって相手は――」
バーン!
「…………」
彼らを一瞬で凍りつかせた音の正体は、池神が蹴り倒したダイニングテーブルであった。見ると、その上にあったはずの大量の資料やファイルが、床一面に散らばっている。
「まずは潜水艇の回収! 次に、この海域からの速やかな離脱! それから海上保安部へ通報! わかった?」
「了解!」
その場にいたクルー一同が、池神の指示に声を揃えて応答していた。
一方、その頃の『海底組』といえば、悪夢のような時間が過ぎ去るのをただじっと待つしかなかった。
さながら“蛇に睨まれた蛙”状態で、彼らはその場から一歩も動くことができないでいる。そんな状況……ほんのニ、三分ほどの出来事が、もうかれこれ三十分以上は続いているような感覚に陥るのだった。
「こりゃあ、とんでもねぇもんと出くわしちまったな」
向井はゴクリと息を飲む。その時、一筋の閃光が彼らに向けて放たれた。
「――‼」
スクリューが停止したのを皮切りに、ライト、モニター、センサー……次々と潜水艇の動力が失われていく。
あ、終わったかも……そんな絶望感が優太を襲った十秒後、生命維持装置『
「こんなこともあろうかと……だべ?」
潜水艇の駆動システムが復旧していく中、動揺を隠し切れぬまま向井は呟いた。
三分後――すべての動力系統が復旧を果たすと、脱力感が全身を一気に駆け抜けた二人は、フゥー……と、深い溜め息をつく。死ぬほど長く感じた緊張の場面から、彼らはようやく開放されたのだった。
モニター越しの『御一行様』は、すでに小さな“点”となって微かに映っている。その画面を呆然と見つめていた優太は、思い立ったように「あっ!」と声を上げた。
「……なんだよ?」
怪訝な声で向井は応える。
「あ、いや……あの……追っかけなくていいんスよ……ね?」
「バーカ、こんな“紐付き”の
そう言うと、向井は手元にあった海底地形図を丸めて、優太の頭をポコっと叩いた。
「あー……やっぱ、そうっスよね?」
(追いかけていって、いったいなにをしようってんだ? あんな思いをしたばかりだってのに……まったく、いい根性してやがるぜ)
となりで申し訳なさそうにしている若者の言動に、向井は驚きと少しばかりの頼もしさを感じた。
「なあ、優太……勇ましいのは大いに結構。だが、無茶は絶対に駄目だ。ここじゃ、それが命にかかわってくる。そのことを、しっかり覚えておくんだ」
「……はい」
頭に巻いたタオルの鉢巻を解きながらひと息ついた向井は、それで汗を拭いつつ海上と交信を始めた。
「向井だ。こっちはなんとか無事だ。五分後にウインチを回してくれ。これより浮上する!」
『了解よ。まずは無事でなによりだったわ。熱いコーヒー、用意して待っているわね』
「バラストタンク、ブロー開始。これより帰還するぞ!」
「了解」
辺りは静寂を取り戻し、EX―マリナー五〇〇〇は今度こそ海上に向かって上昇していく。一時は引退を通り越し、沈没すら覚悟させた旧式の潜水艇であったが、図らずもまだ当分の間は現役でいられることを証明した、今回の事件であった。
「優太、“オムツ”は無事だったか?」
「はい、どうにか」
「マジかよ? 偉え奴だなー。俺は少し、ちびっちまったぜ……」
未だかつてない緊張からの反動か、向井は「ガハハハ」と声高に笑うのだった。
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