第10話 王女は料理を見られてる
学園の休日は土曜日と日曜日。
その他祝日や、夏と冬の長期休暇などがある。
朝食を済ませた王女は、自室のベッドでゴロゴロ過ごし時間を潰していた。
「暇ねぇ〜。ネオはなにしてるかしら?」
「……バイトですよ。この時間は下町にあるスズキ商会です」
侍女は不自然に間をあけて発言した。
しかし、王女は特に気にしていないようだ。
「バイトなんかしなくても、お小遣いならあげるのに……」
王女はそう呟き、アイテムボックスから一冊の通帳を取り出す。
その通帳の名前欄にはアイリス--ではなく、ネオと書かれていた。
王女はそれを開き、少年の功績を眺める。
スズキ商会の給料は、月に一回なのでまだ増えてないが、少年は日雇いのバイトにも行っているのでその分増えていた。
「頑張ってるわねぇネオ」
「……あーはい。そうですね」
他人の通帳を眺める主人に、侍女は若干引いた。
愛とは綺麗で恐ろしい。自分はまだ大丈夫なはずだと行動を省みる。
(うん、大丈夫。私はただ見ていただけです。たまたま目に入ったんです。決してストーカーではありません)
侍女はほっと安堵の息を吐いた。
なぜアイリスがネオの通帳を持っているのか……。
その理由は明白。銀行の役割も持っている商業ギルドに、王族の関係者がいるからだ。
そして、裏で王族を支援する一族。布陣は完璧だ。
「はぁ〜ネオに会いたい。そうだっ! ねぇリサ--」
「ダメです」
「まだ何も言ってないでしょっ!」
「下町にあるスズキ商会に行くって言う気でしょう? 今日はダメです」
リサの言う通り、今日はまずい。
なぜなら、ネオとルティアが一緒のシフトなのだ。
しかし、このままでは主人は間違いなく暴走し、目を掻い潜ってまで愛しの少年に会いに行くだろう。
話題を逸らさねばと考えた侍女は、「そういえば……」と切り出し王女に話を持ちかける。
「アイリス様、選択授業で家庭科を選考したとおっしゃっていましたよね?」
「ええそうよ。貴女は音楽だったかしら?」
「はい、学園で家庭科を習っても、あまり意味がありませんので」
「それもそうよね」
「で、アイリス様」
「なによ?」
ずいっと侍女は王女に近づいた。
「包丁の扱いは大丈夫ですか?」
思えば、これまで主人が包丁を握っていた所を見たことがない。
というか、台所に立っているところすら見ていない。
「ちょっとリサ、馬鹿にしないでくれる? 私を誰だと思ってるの? 剣の腕なら、お婆様についで二番目よ。包丁だって同じ刃物なんだから心配ないわ!」
その言葉を聞いて、侍女は即答した。
「すぐに料理の練習をしましょう」
侍女は無理矢理王女の手を引き、台所へと連れて行った。
「ではアイリス様。こちらの食材でオムライスを作ってください」
王宮の台所には、卵に野菜、ブロックベーコンが置かれていた。
エプロンを身につけたアイリスは、それらの食材を見て嬉しそうに語る。
「オムライスってアレよねっ! チャーハンを卵で包んで、ケチャップをハートにかけるアレでしょっ!」
王女の頭の中では、ネオの名前をハートで囲んだオムライスが完成していた。
「えぇ……まぁ……」
侍女は面倒だったので否定しなかった。
そしてここにはリサ以外の者たちもいる。
昼食を作るために仕込み中のシェフたちだ。
彼らはアイリスにツッコミを入れる代わりに、その場でずっこけた。
「まあ私の実力を見てなさい! きっと驚くわよ!」
王女は右手に包丁を持つと、卵をまな板の上に載せた。
確かに全員驚いた。それからどうするの?
と……。
「--ふっ!」
スパンッ--と、卵は真っ二つに綺麗に切れた。
白く綺麗なまな板が、黄色く染まっていく。
調理場ではどこからか拍手が起こった。
それは料理に対してではなく、アイリスの剣技に対してだ。
「お見事ですアイリス様。私はこんなに卵が綺麗に斬れる音、聴いたことがありません」
リサは剣技に対して拍手した。やはり主人の剣の腕は凄いものだと。
料理の腕は置いておくとして、素直に良いものが見れたと思った。
「ふふんっ、そうでしょう!」
「それで、その後はどうするのですか?」
「たしか卵を溶かすのよね……。もう溶けてる見たいになってるけど、研究所に行ってくるわ」
リサも含め、今度はその場にいた全員がずっこけた。
「ちょっと貴女たち、ここは調理場よ! 制服汚しちゃダメじゃない! 床って結構汚いのよっ!」
一番基本をわかっていない王女に、一流のシェフたちがツッコミを飛ばされた。
「まさかここまで酷いとは……」
「リ、リサ、貴女。酷いって……見てなさい! --ふっ!」
王女は野菜を上に放り投げた。
「はあああああああっ!」
目にも留まらぬ速さで包丁を振ったアイリスは、落ちてくる小さく切られた野菜をボウルに入れる。
野菜が全て均一に斬られている点で、剣の腕は相当な実力だと伺えるだろう。
「「「「「おぉ〜〜〜〜!!!」」」」」
パチパチパチと、アイリスに喝采と拍手が送られた。
さすがは王家の中でも二番の実力者。
こんなことは一流の料理人でもなかなかできない。
「アイリス様。よく聞いてください」
侍女は王女の肩を掴み、顔を真っ直ぐに見て言った。
「美味しい料理を作りたければ、ここにいる一流シェフたちの指示に従ってください。それが良き妻というものです」
王女は、その言葉に感銘を受けた。
「そうよね……そうよね! 私みたいな素人が作る味よりも、一流シェフの味を毎日食べたいものよねっ!」
「はい、きっと喜ばれます。いつも買っている食材で、普通に美味しいものが食べられる。アイリス様、頑張って素人並みにはなってください」
「ちょっとリサ! 素人並みなんて半端なところは目指さないわ! なるのなら料理長レベルよ!」
「ええっ⁉︎」
料理長はもうすぐ齢六十三になるが、人生で一番驚いた。
「そうですか。では料理長、アイリス様の教育をお願いします。私は用事があるので、そちらの方を片付けてきます。アイリス様、何かあれば呼んでください」
「わかったわー!」
リサは頑張ってくださいと言い残し、足早に厨房を出て行った。
アイリスが料理の勉強を続けている間、リサはとある人物の部屋を訪れる。
部屋の扉をノックし、返事を聞いて入室した。
「どうしたのリサ? アイリスが厨房で何かやらかした?」
リサの訪ねた人物は、アイリスの母親であるアリアーゼだった。
そして相変わらず情報収集が早いと感心してしまう。
(まあ、城の中のことなので、朝メシ前なんですけどね)
自分もそれくらいはできる。と謎の対抗心を燃やして侍女は反論した。
「いえ、アイリス様は頑張っています。今日はアリアーゼ様と、そこに隠れている母に用事があってきました」
リサが見ているのは、クローゼットの影だ。
視線の射止めるその影からは、メイド服に身を包んだ赤髪の女性がスッと出てきた。
リサの母親、リリスだ。
「バレちゃったわねリリス」
「まあ、嬉しい限りです」
笑い合う二人に、リサは極秘で調査していたことを打ち明ける。
どうしても、リサの情報収集能力を持ってしても、分からないことがある。
それは動機。
なぜ他国の王妃とその娘を助けたのか。
報酬を貰った形跡もない。
なぜこんな得もないこんなことをしたのかと……。
「うふふ……」
王妃アリアーゼは、侍女リサに微笑んだ。
その美しい微笑みに、リサは魅入ってしまう。
「あの……アリアーゼ様。貴女がルルア様を助けた理由は?」
彼女はなぜ助けたのか。
国全体を危険に晒すかもしれないのに、なぜこんなことをしたのか。
その問いに対し、王妃は成長中の侍女長の娘を見て言った。
「王妃だと、親友を助けちゃいけないの?」
返ってきたその言葉に、侍女は驚き、母親を見た。
王族、引いては国を陰から守ってきた彼女たち。
迷いなくそう宣言する王妃に、侍女は強く胸を打たれた。
プリムラ王国の書庫には、勇者の言動が記録された書物が、いくつかの種類に分かれて何冊も大切に保管されている。
それはリサやリリスの先祖たちが記録したものだった。
王族に連なる者たちは、必ずそれを読むという。
その中の一つに、こんなものがある。
それは、勇者が王になって少し経った頃のこと。
隣国でできた貴族の友が、策略に嵌り反逆者に仕立て上げられた。
もちろんその情報は勇者に届く。気の毒だが隣国の問題。誰もが何かしようとは言わなかった。
しかし勇者は言った。
『
アリアーゼが嫁ぎ王妃になった時、書物に目を通し一番心に残ったのがそれだった。
「いえ……この度は失礼しました。応えてくれてありがとうございます」
侍女は深く頭を下げたあと、部屋を出る。
「どの子も成長してるわねぇ」
「多謝です」
リリスは空のカップに紅茶を注いだ。
その紅茶を一口飲んだアリアーゼは、いつもより少しだけ美味しく感じるのだった。
--リサー! 大変よ!
それを受け取ったリサは、アイリスの影から飛び出した。
彼らの視線の先には、床に達しようかとするほどの切れ間。
その間には薄く切られたベーコンが挟まっている。
「アイリス様、何をなさったらこうなるんですか?」
「ち、違うのリサ! このベーコンブロック、中々切れなくてちょっとだけ力加減を間違えたの……そしたら、まな板貫通して、台所まで切っちゃった。あはは……はは……はぁ〜……。ごめんなさい」
王女は謝罪をし、料理の修行を続けた。
物覚えは早いアイリス。
昼食に出したオムライスは、アリアーゼに少し塩っぱいと言われたが、無事一通りのことは覚えられたという。
そこはピカピカのトイレだった。
見た目は汚れ一つないピカピカのトイレ。
だが--
「これじゃあダメだ。今日渡す分は、減らさせてもらう」
「ええーっ⁈ そんなぁ〜!」
うぅ……今日の夕飯と明日の朝食を少なめにして、お昼を……。
ああーっ! 珍しい本があったからって、僕のバカぁ〜。
新たな火種!
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