第8話 侍女長(母親)は侍女(娘)に見られてる

「あーーーーーーーーーっ!」


 その女は、奇声をあげてうずくまった。

 幸いなのは、その部屋が完全防音なことだろうか。きっと奇声を聞いた者たちは、何事だとワラワラ集まるだろう。

 その奇声をあげたのは他でもない、王女アイリスだ。

 彼女は自宅である王宮に帰宅するなり、侍女のリサを引き連れ自室へと向かった。

 総重量約八kgの少し重めのカバンを置き、堅苦しい制服をハンガーに掛ける。制服を脱いだ彼女は、下着姿のままベッドへとダイブした。

 愛しの少年に似た抱き枕を抱え、顔を埋めると奇声を発したのだ。


「ねお〜……」


 強く抱かれる抱き枕。ブラジャーに包まれた形の良い乳房は、その抱き枕に押し付けられた。足をバタ足のように暴れさせ、んーんー唸っている。


「アイリス様、早くお召し物を着てください」


 そんな王女に、侍女モードへと切り替わったリサが、少し低めの声で諭す。既に学園の制服からメイド服へと着替えていた。

「うん……」と、元気なく返事をしたアイリスは、高そうな衣服ワンピースに袖を通す。ため息をついたと思ったら、またすぐにベッドへと寝転んだ。

 目を瞑り深呼吸をする王女。ひとしきりリラックスした彼女は、哀しそうに呟いた。


「今日、なにもできなかったわ。失敗しちゃった……」


 それは先ほどの倶楽部体験。

 計画に狂いが生じ、どこか居たたまれなくなった彼女は、逃げるようにその場を去ろうとした。

 しかし、予想だにしない出来事が降ってわいた。それは、望んでいたようでそうでないような……。もう頭の中が真っ白になったのだ。


「なんだか、隣にいただけで満足しちゃったのよ。本当は、もっと話したかったのに……」

「アイリス様……」


 ネオに似た抱き枕を抱え、それを見ながら王女は本心をぶつけた。穏やかなその声にも、薄っすらと後悔が滲み出ている。

 侍女はどこか居たたまれなくなった。


「でも同時に、なんだか嬉しかったの。不思議よね。もうどうしたらいいかわからない」

「アイリス様……」


 少年の普段見ないあの横顔は、全てがどうでも良くなるほどのインパクトを与えていた。授業中の困り顔が、とても懐かしく思える。

 侍女は心の中で応援した。主人の恋が叶いますようにと--。


「あの時、ネオが声をかけてくれなかったら、私はどうしたかしら? 想像できないわね」

「アイリス様……」


 王女は「はぁ〜あ〜」と、天井を見上げながらため息を吐く。抱き枕の頭部が、その柔らかそうな谷間に埋められた。

 リサはアイリスに同情した。その感情は自分もわかると、心の中で主人を励ます。


「もうほんと……計画が狂いさえしなければ、少しくらいお話できたのに……」


 少年が忘れてしまった昔のことも、少しくらい触れることができたのに……。

 と思ったアイリスは、ここで、その発言で、唐突に全ての元凶を思い出した。


「そうよ……。計画が狂わなければ……」

「アイリス様……?」


 アイリスの声が若干低くなり、乙女チックな表情は、どこか影を落としているように見える。

 幸せオーラ全開の主人から、何やら負のオーラが発生している。


「私のセリフを全部掻っ攫った挙句、ネオのことを褒め落として……」


 それは膨張する。空気を入れられた風船のように、どんどん膨れ上がっていく。そして--その薄い膜--それは、いつしか爆ぜた。

 王女は高らかに叫ぶ。


「全ての元凶は、あの女よ!」




「仕事の内容は大体こんなところ、わかった……?」

「はい! ありがとうございますルティアさん!」


 あの女!


「それにしても驚きました。まさかバイト先がルティアさんと一緒だなんて」


 倶楽部体験終了後、少年は新しいバイト先であるスズキ商会に出勤した。現在進行形で発展を遂げるスズキ商会は、他にも色々な事業を展開している。

 そんな名誉あるスズキ商会で少年を待っていたのは、美人でとても頼りになる先輩--元王女のルティアだった。


「私も……。新しく入ってくる人が、ネオ君でよかったよ……。でも、あんなに驚くとは思ってなかったなぁ……。よいしょっ……」


 ルティアは重い荷物を持ち、台車に載せた。その表情は、少年を驚かせた時を思い出しているのか、それも相まって余裕そうに見える。

 一方……


「すみません。後ろから声をかけられるのは苦手で……。よいっ……あ、あれ? ふ、ふぬーっ!」


 同じ重さの荷物だが、不思議なことに男である少年の方が余裕がない。歯を食いしばり、赤を真っ赤にさせながら頑張って持ち上げる。

 そうこうしているうちに、ルティアはどんどん荷物を積み上げていく。


「それからチーフには気をつけて、あの人歳下好きだから……。よいしょっ……」

「は、はい……」


 ぜぇぜぇと肩で呼吸をしながら返事をするネオ。もはや荷物に振り回されている状態だ。

 その台車に載るのは、ネオの持っている荷物で最後だろうか? 力を振り絞り、少し高めに積まれた積荷の上にそれを載せる。

 その後、体力が限界に近かった少年は、ふらつくようにバランスを崩した。

 こちらに少年がヨレヨレと倒れてくる。元王女はそっと少年の壁になる。中性的なネオの顔がルティアの瞳に映るほど、二人の顔は近かった。




「あーーーーっ‼︎ 今思い出すと、すごく腹が立ってきたわ! 私の前でネオとイチャイチャ会話して……あれは私の役目だったのにーっ!」

「アイリス様ぁ……」


 ベッドの上でジタバタし始める王女様。先程の乙女オーラ全開の空気はどこへやら……。

 侍女は力の入らない声をアイリスに投げかけた。


「ねえリサ! 私はどうしたらいいと思う?」

「さっさと告白すればいいかと……」

「ネオはあの女とものすごく親しそうに話してたの。もしこれからずっと一緒にいられたりしたら、もう発狂ものよ! 私の入り込むスペースがないわ!」

「そんなことはないかと……」


 王女が既に発狂しているのは、現在進行形で少年と元王女が一緒にいるかららしい。侍女のツッコミを無視してまで、被害妄想? を拡大させている。


「さらによ。あの倶楽部は共同作品もあったりするの。それでもし一緒に作業してたり、何かの拍子に二人が触れ合ったりしたら、もう超発狂ものじゃない!」


 少年似の抱き枕が、形が凹むほどに強く抱きしめられた。




「--大丈夫……?」


 超発狂もの!

 バランスを崩した少年は、元王女に抱きかかえられる形で支えられた。


「うわーっ! す、すみません!」


 顔を赤くし、ルティアからすぐに離れたネオ。元王女は特に気にしていない様子だ。


「気をつけてね……。それじゃあ次は、こっちのやつを……」

「は、はい!」


 元気よく返事をしたネオは、ルティアと一緒に仕事をこなしていく。指示を出され、助言を受け、時に談笑し……。

 それはまるで、どこぞの王女がやりたかった光景だろう。


「あ、あのルティアさん」


 バイトの時間も終わる頃、ネオはルティアに声をかけた。


「あの時はありがとうございました」

「あの時……あっ、王女様の?」

「はい! ルティアさんが教えてくれなかったら、なんて声をかけていいかわかりませんでした」


 あの時。アイリスがネオの隣に来たとき、少年もまた、心臓がとても速く鼓動していた。

 緊張し、何を話せばいいのかわからなくなった少年は、元王女に助けを求めたのだ。


「気にしなくていいよ……。部室あそこは物を作る場所……。ああするのが一番良い……」

「そうですよね」


 少年のカバンには、今日作った小皿が入っていた。その小皿は若干凹凸おうとつが目立ち、見る者が見れば、商品にすることはできないと言うだろう。


 アイリスから見れば、すごく集中して見えた。だが実際、ネオの手元は緊張で震えていたのだ。

 物作りが得意だった少年にとって、作品以外に気になった要素。

 王女が隣にいれば、誰もが緊張するだろう。


 でも、少年の抱いた感情はそれだけだろうか?

 それはきっと、純粋な少年が気づくことができないもの。

 そして、それは少年の唯一の自尊心プライドにも刺激を与えた。


 --いつか、アイリス様が見ている時に、最高の作品を作ろう。


 今日のことを、ネオは忘れない。

 凸凹デコボコで不恰好な小皿は、御守りのように、大切にカバンの中に入っている。




「はぁ〜」

「治りましたか?」

「うん……」


 爆発が治った王女。落ち着いた彼女は、いつもの冷静さを取り戻し始めていた。

 少年に似た抱き枕は、優しく抱きしめられている。

 そして、アイリスはアイテムボックスから小皿を取り出し、それを眺めた。愛しの少年の隣で作った、凸凹デコボコとした不恰好な小皿だ。


「これも上手くできなかったのよねぇ。刃物の扱いは得意だったのに……。リサ、貴女はどれくらい上手くできたの?」

「アイリス様と対して変わりませんよ」

「そうなの?」

「はい。みんなそうだと思います。普段からやっていれば別ですが、綺麗にできる人はそういません」


 侍女の言葉を聞きながら王女は思った。

 ネオも同じだといいなと。

 アイリスは、その小皿をカバンに入れた。初めて少年の隣で作った、初めての作品。それは完璧とは言えなかったが、王女はなぜか嬉しく思った。


「あっそうだ。ねえリサ、あの女について何かわかった?」

「あーそれは……もう少し時間をください。確認しなければならないことがあるので」


 リサには確信に近い推測が成り立っていた。しかし、まだ推測の段階であり、それをアイリスに話すわけにはいかない。

 一つだけわからないこともある。だから一旦保留にした。


「そう、わかったわ。んーっ! ネオは今頃何をしているかしら?」


 背伸びをした王女は、夕食を食べるため自室を出る。夕食は家族揃って食べるのが王家の決まりだ。

 広い食堂には、アイリスとリサ以外全員が揃っていた。

 留学や独り立ちした者もいるので、完全にとはいかないが、先代国王から小さい子供まで王家勢揃いだ。その数は三十人近くいるだろうか。


「うむ。アイリスも来たな。では夕食にしよう」


 多くの給仕たちが、各人の机上に夕食を置いていく。その中で、リリスは自分の娘であるリサに見られている視線を感じた。

 母親は娘の成長を少し嬉しく思い、微笑んだ。

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