第7話 王女は平民に誘われる


 その日、恋する王女に吉報が訪れた。


 自分の隣には黙々と木を削り、小皿を作る平民の少年。その手つきは、とても器用で洗練されているように見えた。見る見るうちに、原型が模られ不恰好なデコボコが整えられていく。

 物作りは少年の特技だった。村では子供ながら、日々何かを作っていた少年。その腕は大人たちも認め、道具を直してくれと少年の所まで持ってくる者もいた。


 トクン……トクン……と、王女の耳には心臓の音が鳴り響く。誰かに聴こえてないだろうかと心配し、一人に聴こえて欲しいと思った。

 不思議と、この時だけは木を削る音も、周りの会話も聴こえない。赤くなりそうな顔を、周りに悟られないよう堪える。俯ける物があってよかったと、顔を上げずに手を動かす。


 時折チラチラと、王女は少年の顔を見た。その横顔は普段の頼りない感じはなく、何かに熱中する真剣な表情まなざし

 喋りたい、話したい……。もっと声を聴いていたい……。

 しかし、ギャップを感じるその表情かおに、王女はさらに惚れてしまう。

 まぁ……今日は、これでもいいなぁ……。

 王女は少年と同じよう、黙々と作業に没頭した。隣にいる幸せを噛み締めて、溢れてしまいそうなそのむず痒い気恥ずかしさを胸にしまって……。



 なぜこうなったのか。それは、少年から王女への一言から始まった。


「ア、アイリス様も、一緒に作りましぇんか?」


 王女は少年から差し出されたそれらを、落とさないよう大切に受け取ったのだ。




 それは数時間前に遡る。


 --パシンッッッ‼︎


 若干音が反響するような部屋で、何かを叩く音が響いた。

 その部屋には手洗い場に大きな鏡がついており、多くの女性がメイクを直したり、身嗜みを整えたりするのだろう。

 多くの小さな個室があるそこは、全てのドアが開かれており、いるのは鏡の前にいる女生徒のみ。

 その女は自分の頬に手形のモミジを作っていた。綺麗な白い肌が痛みで赤くなっている。頬を叩くその行為は、女にとって気合いの入れ直しだった。

 そこに、一人の女生徒が登場する。


「何をしてるんですか? アイリス様」


 頬を叩いた女の侍女--リサだ。

 彼女は呆れたように抑揚のない声を主人にかけた。


「何って気合いを入れてるのよ」


 鏡に映る自分の顔は、頬がだらしなく緩んでいた。

 恋する王女の脳内は、さながらお花畑な妄想が浮かんでいる。もしかしたら倶楽部では少年と……。


「でへへぇ〜……」


 --パシンッッッ‼︎‼︎‼︎


 そんな主人を見て、侍女は一言言い放つ。


「楽しみなんですね」

「うん……♡」


 その瞳は嬉しさか痛みか、涙のせいで輝いていた。

 クラスでは相変わらず眺めるだけの日々を過ごしたアイリス。だが今日は違う! 今日こそは眺める以外のこともしたい!

 絶対に距離を縮めると意気込むアイリスは、工芸部の部室へと足を運んだ。



 そして、時を同じくして少年も--


 --パシンッ!


「ふぅー……」


 頬に手を打ち、自分に喝を入れていた。


(リサさんにも言われたじゃないか。今日こそアイリス様と何か話そう。一言……一言でいい)


 倶楽部活動で、王女様に自分から挨拶をする。できることなら目を見て言うのだ。


 別に少年は人見知りというわけではない。ただ、やはり綺麗な女性にはきょどってしまう。心臓がバクバクと速い鐘を打ち。身体が硬直してしまうのだ。

 特にアイリスはそうだった。初めて会った時にキツイ印象を受けてしまったが、あの容姿に絆されていた。

 恋愛に疎い少年は、それが一目惚れから始まった恋心だとは気づかない。


(よし! 頑張るぞ!)


 少しでも自分を成長させようと意気込む少年は、工芸部の部室へと足を運んだ。




「あらリサ。貴女上手じょうずねっ」

「ありがとうございますアイリス様」


 昨日と同じく、アイリスの仕事は六グループの巡回だった。昨日の体験入部は、上位貴族の子息もいたため一グループの時間を決めていたアイリス。

 発言することにも注意を払い、常に笑顔を貼り付けていた。


 どんな時でも王族としての責務を果たす。そんな王女を見た部長の九十九火鎚つくもひづちは、自分の方が滅入ったほどである。

 昨日とは違う若干リラックスしたような王女の笑み。楽しく談笑する彼女を見て、部長の火鎚はこう思った。


(今日くらい、王族の務めを忘れて気楽に参加してほしいものだ)


 心配無用。既にその考えに至っている時点で、計算高い王女の策略に落ちている。


「それじゃあ私は行くわね。またお話しましょう」

(平民の俺なんかに、あんな笑顔で話してくれるのか。俺はまた惚れた!)

(隔てなく皆に優しくするアイリス様。尊い……)


 盛り上がっている生徒には悪いが、もうこのグループにアイリスはやってこない。こんな時でも彼女の考えることは一つ。


「貴女、それじゃあ指を切るわよ。わからないなら先輩に教わりなさい。この殿方は頼りになる優しい先輩よ」

「あははっ! アイリス様は口が上手い! どれ、見せてみろ」

「あ……はい。お願いします」

(ふふ、もうこのグループに用はないわ。早くネオのいるグループに行かないと!)


 ネオのこと。

 今回立案したアイリスの計画は、なるべく長い時間ネオの隣にいること。こうして自由に移動できるポジションにあるアイリスだけができる特権。

 しかし、一直線に少年の元へ参じれば、それは怪しい。

 だから考えた。どうすれば限られた時間の中、自然と長い時間ネオの隣にいられるかを--。


(さあ、次が貴方のいる所よネオ♡ 私と話し愛ましょう)


 このグループが終われば、次はいよいよ少年の元へ。ウキウキする心を抑えて談笑するアイリス。

 しかし、そんな王女の耳に突如、ある会話が木霊する。


「君、ネオ君だっけ……? 器用だね、上手……」

「え? そ、そうですか?」


 振り向き見たその光景に、王女は目を見張った。まさかネオに目を付ける者が他にもいたなんて……。

 しかもそれは元王女のあの女ではないか。

 素朴感を醸し出しているが、顔立ちはそれなりに綺麗な女性。当然少年も美人に褒められ照れてしまう。


(ああーーーっ! ネオに言おうしてたセリフ。先に取られたーっ!)


 ここで王女の計画に、初めて狂いが生じた。


(で、でも、まだ大丈夫よ。あれは上っ面だけの褒め言葉。もっと掘り下げていけばいい--)

「--はい。ヨフジ村の出身で、壊れた農具とか、直してたんです」


 王女の刻が一瞬止まった。


(ちょっとネオ! なんでそんな素性を知らない女に、ポンポンポンポン個人情報話しちゃうのおぉぉぉっ! そいつアレよ! 元王女なのよ! スパイか何かかもしれないでしょうっ! というか、そんなに話してたら私が話すことなくなるじゃないっ!)


 ご乱心になる王女。

 現在、ルティアのことはリサが調査中であり、少しばかり苦戦していた。それもそうだろう。その情報を操作したのは他でもない自分の母親なのだから。


 一方で--


(やっぱりこの子……。昨日スズキ商会に面接に来た……)


 元王女も少年のことを思い出していた。王族だったこともあり、人の顔はそうそう忘れない。倶楽部体験が始まる前、自己紹介された時から薄っすらと思い出していた。

 そしてルティアは口元を綻ばせ、自分を印象づけようと思いついた。それは、この後起こる出来事に少年がどんな反応をするかという面白半分の出来心。

 少年をからかうことにした元王女は、もちろん見られる。あの女に--。


(あっ! あの女! 今くすりって笑ったわ! 絶対! 絶対に笑った! 誰も見てないと思って笑ったわ!)


 ネオを取って食おうって魂胆ね! そうはいかないわ! 私が側に行って守らなきゃ!


「その話。また後で聞かせてくださる?」

「はい! いくらでも!」

「では……」


 王女は態度を外に出さず、静かにそのグループを去る。その先に見るのは、一人の女と少年だった。



「--へー、そんな節約術が……。ルティアさんってすごいですね」

「そんなことないよ……。たまに衝動買いしちゃうし……」

「わかります……。僕も偶に甘い物を買ってしまって、お財布が空に……」


 ネオの話す貧乏譚に、そのグループは笑いに包まれていた。同じく日々を節約しているルティアのことを、少年はしっかりとインプットし、色々教えてくれる良い先輩と認識した。

 そこへ颯爽と、一人の女が現れる。


「私も、混ぜてもらっていいかしら?」

「ア、アイリス様っ⁉︎」

「どうぞごゆっくりしてください!」

「わたくしここまで出来ました。どうでしょうか?」

「いいと思いますよ」


 知るわけないでしょ! 今はそれよりも大事なことがあるのよ!

 少年の隣に座ったアイリスは、さっそく少年以外の者たちからアプローチを受けた。

 その意中の少年はと言えば--


「ルティアさん、あの……」


 隣にいる元王女に話しかけていた。

 アイリス高級パンルティア元高級パンにサンドイッチされているネオ。選んだのは元が付く方だった。


(どうして……どうしてなのネオ)


 完璧だったはずの王女の計画は、元王女によって想定外の結果となり、王女の心は沈んでいく。

やり場のない状況に、このまま逃げ出したくなった。王女は、一言だけ言い残しそこを去ろうとする。

 しかし--


「あ、あの……ア、アイリス様」


 --しかし、想定外というのは、本人も分からない所で、認知しないタイミングで起こる。だからそう言うのだ。

 席を立った王女の目の前には、木材と道具を持った少年がいた。こちらを真っ直ぐ見る顔は朱に染まり、若干手が震えている。


「ア、アイリス様も、一緒に作りましぇんかっ⁈」


 --噛んだ!

 部室にいる全員がそれを聞き、部長の九十九火鎚は笑いを堪えている。だが同時に、少年の勇ある行動に感服していた。

 不器用ながらも誘ったのだ。誰もが憧れるあの美麗な王女アイリスを、自らの意志で--。


 その誘いに、美しい王女は手を伸ばす。

 きっと恥ずかしかったのだろう--赤かった顔がさらに赤くなっている。

 きっと振り絞ったのだろう--小心な勇気を……。

 だから嬉しい……。だからもっと見てほしい……。


「ええ、そうですね」


 アイリスはネオから贈られたそれらを、落とさないよう大切に受け取った。

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