第5話 侍女は平民に尊敬される
シクシク……
グスッ……シクシク……
シクシクシク……シクシク……あぅ〜……
一人虚しく、王女はメソメソと涙を流す。突っ伏している枕のシーツは、涙で大きなシミが作られた。
誰もいない保健室に鳴り響く女の泣き声。ホラーじみたその現象に、入室した養護教諭の女教師は身体を震わせた。
(ああ……ベッドで誰かが泣いてるのね。びっっっくりしたわ……。というか誰よ、この朝の時間に泣いてるのわ)
恐る恐る閉められたカーテン開け、こっそり覗く。
(--王女様あああああああああっ!!!)
そこにいるのはなんと王女ではあるまいか!
飛び出そうな大声を、咄嗟に手で口ごと覆う。同時に--何があったらあのアイリス王女が泣くのかしら--と、興味を持たずにはいられなかった。
今も泣き止まず、枕に突っ伏している王女様。
完全復活するまで、もうしばらくかかりそうだ。
モーニングティータイム。
アースランド学園では、一限目の授業が終わると、少し長めの
この制度は、勇者の憧れでもあった。自国にいた時は、夜遅くまでゲームや漫画・アニメなどの娯楽に暮れ、朝食はいつも掻き込むように食べ終える。椅子に座ってゆっくり朝食など、小学生以来やったことがない。
だからだろう。テレビの特番で見た、外国の学校にあるこの制度がとても素晴らしいものに思えた。
当時この制度を学園に導入したときは、学力アップのためと勇者は語った。それはもうアツく。
しかし真意は、自分と同じような子がいたら可哀想だ。ご飯くらいゆっくり食べさせてあげたいという思いだった。
かくして勇者の思惑は功を成したのか、学力がアップしているかは全体的に見て怪しいものの、今では教師や生徒たちの人気の時間帯となっている。
その時間、少年は十
安いのに甘くてうまい! 懐事情が寂しい倹約家な少年には、スズキ商会の駄菓子は唯一の糖分補給剤だ。
この後にある小テストも、これで問題なく臨める。
ポキッと麩菓子が折れると、一人の女生徒が近づいてきた。こちらに向かっていると認識した少年は、急いで咀嚼し飲み込む。
「ねえ君……ネオ君、だっけ?」
「あっ、はい、そうです。貴女は確か--リサさん」
「正解!」
人差し指を立て、ウインクをしながらリアクションをとったリサ。
アイリス以外の生徒に始めて話しかけられた少年は、嬉しさが込み上げていた。満面の笑み。
やっと僕にも話しかけてくれる子が……。
そんなネオの表情を見て、侍女は少しばかり申し訳ないと感じた。こちらが笑顔で語りかければ、嬉しそうに反応してくれる。普通に良い子ではないか。
(アイリス様もこれくらいフランクに……ダメか)
アイリスもウインクや笑顔を見せてネオに話しかければいいのでは?
一瞬そんなことを考えた侍女だったが、すぐにそれは切り捨てた。
もともとアイリスがネオに対して冷たく接しているのは、貴族たちに殺されないためでもある。
まあ、若干というか、かなり私情も入っているようだが……。
(なるべくこの時間内に終わらせないと……)
さっさとあの砂漠のような心をいつものお花畑に戻さねば。時間をかけるほど面倒なことになるのは間違いない。
リサの予想は当たっていた。今保健室には、アレンを含め、噂を聞いた何人かの貴族たちが押し寄せている。
割合は男の方が多い。理由は単純。アイリスに良い印象を抱かせ、王族に借りを作ること、あわよくば結婚したいからである。
王子であるシウルグが、牽制として先に入室しているのがせめてもの救いだろう。
この時間内にアイリスが復活できるかは、全て侍女にかかっている。
「ネオ君も工芸部に入部するんだよね? 昨日部室前で見かけたよ。私もそうなんだぁ」
へぇ〜。リサさんも工芸部に入部するのか……。でも……。
「あ〜、実は僕、考え直そうかなぁと……。なんというか、畏れ多い感じがして……」
ネオはアイリスを神聖視し過ぎている。否、アイリスのみならず貴族たちに対する評価も高い。
リサはネオのその価値観に気がついた。
別に悪いことではないのだが、今の状況においてその価値観は邪魔である。もっと和らげてほしいものだ。
「ネオ君。一緒に工芸部に入部しよう。私、アイリス様に誘われたから入部するんだよ」
「えっ? アイリス様に?」
そういえば、アイリス様が平民を誘ったと噂になっていた。よもやリサさんのことだったとは……。
「うん。私も平民だけど、アイリス様が誘ってくれたおかげで、ちょっとだけ自信がついたの。だから、今度は自分から話しかけようと思うの」
「……リサさんって、凄いですね。カッコいいです」
ネオはリサに尊敬の念を抱いた。同時に、同じ平民なのに、自分はなんとちっぽけなのだろうと反省する。
「ネオ君も、よくアイリス様に挨拶されてるよね」
「あっはい。まあ、隣の席だからかもしれませんが……」
そうだ。そういえば学園が始まってから挨拶されなかった日は一度もない。一日一回は必ず挨拶されている。
「ならさ、今度はネオ君から挨拶してみようよ。大丈夫、挨拶しただけで首が飛ぶなんてもう昔のことだから」
今の時代、そんなことをすればやった方の首が飛ぶ。
「そ、そうですね。でも、その……」
歯切れの悪いネオにリサは「どうしたの?」と聞く。すると、少年から返ってきたのは意外というか、一般的な男の子のセリフだった。
「アイリス様を前にすると、ちゃんと見れなくて緊張するん……です」
………………ん?
「それは、アイリス様が王族だからですか?」
思わぬ少年の反応に、侍女として返してしまったリサ。
「あ、いえ、違くて、あでも、それもありますが……あんな綺麗な人、今まで見たことがなくて」
……ん?
「その……うまく言えないんですけど……とにかく緊張してしまって……」
リサのぽかーと開いた口からは、見えない砂糖が零れ落ち、腿の上に小山を作っていた。
ツッコミどころ満載のお花畑思考とは違い、こちらは純度100%の純粋な自覚のない恋心。
ネオは一目惚れしていたのだ。
アイリスの容姿にトキメク男子は多いだろう。女子ですら羨望の眼差しで眺めるほどだ。
「どうすれば緊張せずに話せますか?」
--もうやめてください!
保健室では少年を想う王女。その少年は王女に一目惚れ。両者の想いを知った侍女の心は、メープルシロップとハチミツと砂糖が混ざったような、甘ったるいもので覆われた。
でも、一目惚れされている--すなわち好き避けの可能性があると理解させることができれば、王女はすぐにでも復活するだろう。
ならば行動起こすのみ。
「ごめんネオ君。途切れ過ぎてよくわからなかったから、もう一度言ってみて」
--カチッ………………………。
「じゃあアイリス。そろそろ授業が始まるから行くね」
「うん……ありがとうお兄様」
はぁ〜と
どうでもいいヤツらは振り向いてくるのに、本当に振り向いて欲しい男は自分からは何もアクションを起こさない。
身分的なものがあるので仕方ないだろう。でもせっかく席が隣なのだ。授業中にチラチラ見たり、それでお互いに目があったり。頬が染まったり……。
たまには向こうから挨拶してくるとか、何かあってもいいじゃない!
ネオにとって自分は魅力がないのだろうか? 王族として、王女としての認識しかされていないのでは?
--コンコン。
そんな暗い思考に陥る王女の元に、一匹のコウモリが窓を叩いていた。足で何かを掴んでいる。
(あれはリサの使い魔。それに、掴んでいるのはボイスレコーダー? 何かしら?)
窓を開けてそれを受け取ったアイリス。使命を果たした使い魔のコウモリは、煙のように消えていく。
(どう考えても聴けってことよね?)
--ピッ……。
音が漏れないよう耳元に当てそれを聴くと、王女の心は潤っていった。
『アイリス様みたいな綺麗な人、今まで見たことがなくて……。前にすると、緊張してしまうんです。どうしたらいいんでしょうか?』
一滴も雨が降らない砂漠に、大洪水が巻き起こり……
『……そんなっ。嫌いだなんてことはありません。アイリス様を嫌いな人はいないと思います』
そこはオアシスへと変化する。
『えっ? 僕ですか? それは……好き、ですけど……というか』
--ツー……、ツー……。
好きです……好きです……好きです……好きです……。
そのオアシスは、お花畑へと急速に変貌を遂げた。
ボイスレコーダーをアイテムボックスにしまったお花畑王女様。完全復活!
「お世話になりましたーっ!」
保健室を飛び出し教室へと向かうアイリス。誰もいないのをいいことに、スキップまで始めてしまう。
「んふふ……♪ ふふふふふ……♪」
なんか、急に元気になったけどどうしたの?
女教師の独り言は、虚しく空に溶け出した。
裏話。
「--というかリサさん。アイリス様のことが嫌いですなんて言えないじゃないですかっ。僕処刑されちゃいますよぉ」
「あ〜そこは言わなくてよかったかなぁネオ君。まあ聴けるところは聞けたからいいけど」
「……? なんの話ですか?」
「こっちの話だよ。気にしないで!」
この後、元気になった王女が教室に来た。嬉しそうにネオの隣に、自席に座るアイリスを見て、リサはホッと安堵した。
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