そういう関係 4
どうする。
さあどうする。
どうする俺。
この状況で今こいつを家に上げても良いものか。
こないだと全く同じ展開になるんじゃないのか。
どうしよう。
いやでももう鍵開けちまったし、ここで帰れって言ったら不自然じゃないのか。
いや、もうこの際不自然でもいいんじゃ……あんなことされた後だし警戒するのも当然じゃないか、いや、でも、そんなにあからさまに警戒心剥き出しにしたら流石に慎二も傷つくんじゃ、いや、こいつは多少傷ついたほうがいいような、いやでも、そもそもこいつに俺がこんな調子狂わされてるなんて気づかれたくない、逆に調子に乗らせてしまう気がする。
うおおどうしよう。
俺がぐるぐる考えながら固まったままでいると、右側からカンカンと鉄階段を上がる小気味良い音が聞こえ、ひょっこりとエリカさんが現れた。
「何してるの?邪魔なんだけど」
一切悪意のなさそうな調子で軽く暴言を吐き、慎二にそこを退けとばかりに手をひらひらさせて動かそうとしている。
俺ははっと思い立って、慎二の傍をすり抜けると、ぐいっと思いきりよくエリカさんの肩を抱いた。
「おかえりなさい、遅くなってすみません」
「は?」
いきなりのことに目を丸くしているエリカさんに、これ以上喋らせないように慎二に早口で捲し立てる。
「悪い、俺ちょっと今日は用事があるんだ、またな」
そのまま慎二を通りすぎてエリカさんの部屋の前まで逃げた。
自分ちの鍵を開けたままだが、そんなのは慎二が居なくなったあとでどうにでもなる。
慎二は、呆気にとられたような、俺の意図に気づいて微かに怒ったような顔をしていた。
眉間の皺に心の中ですまんと謝る。
察しが良いのはエリカさんも同じで、何のことはないような態度で黙って玄関を開けてくれた。
そのまま家主を押し込むようにして部屋に滑り込み、エリカさんを抱き込んだままそっと玄関ドアを閉める。
慎二が視界から消えたことに取り敢えずほっとしていると、首筋の辺りを柔らかい髪が擽った。
「で?」
あ……。
「こんな時間になんの用なのかな、あきらくんは」
抱き締めたままだった。
エリカさんの声はからかうように軽い。
「えっとですね、」
「口説きに来たの?襲いに来たの?大胆だねえ」
胸に手を当てられて、耳元に唇を寄せられる。
今目線を下げれば、挑発的な上目遣いと柔らかい谷間が見えることだろう。
いつもの俺だったら、このまま調子に乗って「そうだよ」って言っていただろう。
じっくりとその光景を堪能して、腰に腕を回してキスでもしていたかもしれない。
だが、今はそんなことするわけにはいかない。
ドアの向こうにはまだきっと慎二がいるし、それよりも何よりも、背後にもオッサンの気配がする。
怖くて振り向けない。
「わざわざ人んちまで人の女口説きにくるたぁ、良い度胸だな、なあ、あきら」
うわあ……。
声、低いなー……。
「いやいや、とんでもないです。そのぅ……」
なんかないかなんかないかなんかないか言い訳!
「……よるめし……つくりにきました」
精一杯回転させた頭で取り敢えずそれだけ言ってみると、二人は弾けたように同時に笑いだした。
「もう食べたしぃ!今何時だと思ってんの」
「お前もうちょっと他にねえのかよ!」
あ、良かった成功した。
恐る恐るエリカさんから手を離して後ろを振り返ると、陽平さんが奥のテレビの前で笑い転げていた。
ものすごくだらけた格好をしている。
恐らく始めから怒っていたわけではないのだろう。
二人とももしかしたら酒も入っているのかもしれない。
「何してんだかお前ら」
「多分人助けかな。成り行きで」
陽平さんとエリカさんが、楽しそうに会話をしている。
初めて会ったときから思っていたが、彼らはなんだかんだ仲が良さそうだ。
それにしても、この人ら本当に俺を男として見てねえな。
キスしても抱き締めても全然気にされていない。
「はあ笑った。ねえちょっと、あれこないだのお友だち君でしょ。いいの?」
エリカさんがまだ残った笑みをそのままにサンダルを脱いで、部屋に足を踏み入れる。
袖を引っ張られたので、釣られて一緒に上がらせてもらった。
「いいんです。いや、まあ良くはなかったかもしれないけど、ちょっと、どうしようかと思ってたんで。正直助かりました、すみません急に」
「いいよ、面白かったから。こないだお使い頼んだお礼よ。なあに、また襲われそうだったの?」
「ちょっと考え込みすぎちまって。もうちょっとオブラートに包んでもらえませんか」
小綺麗に片付けられた二度目の部屋に入れてもらうと、陽平さんがやっと起き上がった。
「おうあきら。こないだ有難うな」
「いえ、大したことしてないんで。俺の方こそ変な話してすみませんでした」
「いや、飯を準備してもらうなんて十分大したことだよ。お前今仕事終わりなのか、まあ座れや」
「じゃあ遠慮なく。でもあいつ帰ったらすぐ帰るんで」
「まあそう言うなって。飯でも食ってけ。おおい、なんか食うもん出してやれよ」
「いやいやいいっすよ、俺邪魔だろうし」
取り敢えず座ってはみたものの、考えてみればここは二人の空間なのだ。
自分が邪魔者なのは自覚している。
「邪魔じゃないわよ。陽平とずっといると苛々するから、いてくれたら嬉しいよ。親子丼でもいい?」
台所のエリカさんを見ると、後ろ手に髪を纏めていた。
本当に夜飯を出してくれるつもりなんだろうか。
エリカさん、うなじも綺麗だ。
陽平さんはエリカさんに苛々すると言われてもなんということはないようで、冗談混じりにうるせぇなんて悪態を吐いている。
俺は、正直、このふたりの作り出す空気を好きだと思う。
会えばいつも笑っていて、心に余裕のある感じ。
話していると安心感があるような、心地よさがある。
きっとお互いがお互いのことを本当に好きなんだろうな。
エリカさんは悪態をつくから若干怪しいし、陽平さんのほうが表現がストレートな分割合が大きく見えるけど。
「何見てんだよ気持ち悪いな」
陽平さんが訝しそうに横目に見てくる。
「いやあ、お二人って、仲良いんだろうなって思って」
きっと彼らは俺の理想の関係性なんだろう。
羨ましく感じたりする。
「そうでもないわよ、付き合いが長いだけ。はいこれ、簡単なものでごめんね」
「あ、すいません」
エリカさんが簡易テーブルを出して、丼とレンゲを運んできてくれる。
綺麗に盛りつけられた親子丼だった。
あまりの良い匂いに、急に堪らない空腹感が襲ってくる。
ありがたく手を合わせて一口頬張ると、自分で作るのとは違う、出汁の効いた優しい味がした。
「あきらくんの腕には負けるかもしれないけど」
「全然こっちのが美味いっす」
「良かった」
口に運ぶ手が止まらない。
ふたりは寄り添うようにして座って、エリカさんが慎二がイケメンだったと、さっきの出来事を陽平さんに話している。
陽平さんの目は、果てしなく優しい。
「二人って仲良いんですね」
さっきも言ったことをもう一度口にすると、次は陽平さんが反応した。
「まあな。確かに付き合いだけは長いからなあ。初めて会ってからもうどんくらい経つよ」
「うーん……じゅう、に、年、くらいかな」
エリカさんは空で数を数えるように目線を上げた。
「おお、もうそんなになんのか。俺がここ来てからは大体5年くらいだしな」
「言われてみると本当に長いわね」
「結婚しないんですか?」
俺が素朴な疑問を投げかけると、何故か急に空気が止まった。
あれ、俺、そんな変なこと聞いた?
「……あれ?」
酸素が減ったように重苦しく感じる一変した雰囲気に、途端に親子丼の味も分からなくなる。
……なんだ、この空気。
改めてふたりを見ると、エリカさんは渋い顔をして目を逸らし、陽平さんは俺を見てにやりと笑った。
「そうだな、こいつとは結婚はしねえわ」
「なんでですか」
「だって俺、してるし。結婚」
「へ?」
「既婚者よ、俺」
「………………は?誰と」
にやり、陽平さんは悪そうな顔で笑った。
「お前の知らない女と」
………………は?
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