そういう関係 3
その一言で、なんだかやはり大人だなと思った。
そんなのは当たり前のことだが、なんというか、親とか教師とか、そういう自分よりも一段上にいる立場の人に感じられて、何故か少しだけ嬉しくなった。
こどもの頃に庇護されて甘やかされた感覚を思い出したのかもしれない。
「そうっすね」
おかげで俺は幾分落ち着いた気持ちを取り戻した。
すとん、と、何か胸の支えが取れたようだった。
そうなんだよな、生きてりゃいろいろあるんだ。
妙に納得してしまって、途端に慎二とのことなんて大したことではないような気がしてきた。
おかげでこのもて余した思いを誰かに聞いて欲しくなって、陽平さんなら聞いてくれるかな。
そう思って、話してみた。
好きだと言われたこと。
駄目ならもう会わないと言われたこと。
いつもそうして圧し殺しているんだろうと思ったこと。
そうして返ってきた答えが、「ばあか、んな訳あるか」である。
「へ、」
「ったりめぇじゃねえか。空気に飲まれすぎなんだよ、お前は」
陽平さんは持っていたピザを一口で頬張ってから、ぐびぐびと豪快にお茶を飲んだ。
「冷静に考えてみろ。いつもそんな気持ち圧し殺してる奴がいきなり襲いかかってそんなスムーズに最後までできるかよ。男もイケるって言ったんだろうが。そしたら経験してるってことじゃねえかよ。何を圧し殺してるんだそいつは。全然だろ」
俺は、絶句した。
頭の上にバケツが落ちてきたような気分だった。
全くもってその通りだ。
「お前絶対詐欺に遭っても気づかないタイプだな」
陽平さんが呆れたように一瞥をくれる。
「え、でも、じゃあ……」
じゃあ、どういうことだ。
「俺、もしかして騙されてる?」
慎二に?
意味わかんねえ。
「騙されてるっつーか、そういう落とし方なんじゃねえの。知らんけど。もしくは、」
手に持ってるピザがさっぱり減らない俺に、陽平さんは人の悪い顔でにやりと笑ってみせた。
「相当思い詰めるほど惚れてるとか?お前に」
「…………まじか」
「おおい、高橋さーん、ばあちゃん、終わったよ庭の草むしり。ったくこんな天気の良い日に頼みやがって。おいこら縁側で寝んなばばあ、飯食ったのかよ、布団出してやっからちょっと待って。ついでに皿洗ってやっから5万用意しといてよ。……500円じゃねえよ!5千円だよガキの駄賃じゃねぇんだからさあ!」
慎二には会うこともなく、1週間が過ぎた。
恐ろしいくらいに何もなくて、静かだった。
連絡がくることもないし、社長はいつも通りいい加減だし、得意先のばあちゃんは相変わらず縁側が好きだった。
「7月のはずなんだけどなあ」
灼熱。
なのに紫陽花が咲いている。
どうした四季。
地球はそろそろ終わりかもしれない。
近所だからと自転車で来たのが間違いだった。
作業着の長い袖を捲っても一向に涼しさは感じない。
ハンドルを握る腕がちりちりと焼けていく。
雲のない上空にはヘリコプターが爆音を響かせてどこかへ飛んでいた。
「あつ……」
物置みたいな雑然とした会社に汗だくで戻ると、社長は事務所のクーラーの前で悠々とソーダアイスを食べていた。
「よっ、おかえりー」
回転椅子をくるりとこちらに向ける。
四角い顔に若干出てきた腹が本人曰くチャームポイントらしい。
人の良い笑顔に迎えられて腹立たしさが込み上げる。
「俺もアイス頂戴」
仏頂面で手を出すと本気で嫌そうな顔をされた。
「ええー、嫌だよあといっこしかねえもん」
「それ昨日買ってきたやつっすよね。一人でどんだけ食ってんだよ」
汗水垂らして働いてきた唯一の社員に対してこの仕打ち。
腹壊してしまえと念じながら自分で冷凍庫を開けると、昨日俺が買ってきたはずのソーダアイスは本当に1本しか残っていなかった。
また買いに行かなくては。
「また買ってきといてよー」
間延びした調子で社長が最後の一口を食べ終わる。
俺は自分の椅子に腰かけて個包装のビニールを破った。
「暇なら自分で買ってきてくださいよ。そんなに俺が事務所にいるの嫌ですか」
「嫌だなあ、そんなわけないだろう。あきら大好きなのにー」
軽口とはいえキモいわオッサン。
ソーダ美味い。
大好き、ねえ。
「なあなあ社長、俺のどこが好きー?」
社長の口調を真似して聞いてみると、社長は真顔に戻って「どうした、暑さで頭やられたんか」と心配してきた。
俺は冗談の一環だと分かっているので特に気にするでもなく、そうそう人生の路頭に迷いそうでさ、と適当な返事をした。
社長はまたすぐに表情筋をゆるめて、そうねえ、と何故か少しだけなよなよとしてみせた。
「俺の代わりに馬車馬のように働いてくれるところだな」
「あっそ」
そうだな、あんたそういう人だよ。
「そういえばあきら」
「なんすか。あ、はいこれ5千円」
「慎二遊びに来てたよん、さっき」
なに。
自分の意思とは無関係に肩が跳ねた。
取り敢えず5千円渡す。
「……なにしに?」
努めて平静を装ったつもりだが、やべえアイス落とすところだった。
「だから遊びにだって。お前いなかったからすぐ帰ったけど。……なんだい喧嘩でもしてんの?」
「いや、別に」
動揺を隠そうとアイスを頬張る。
俺があからさまに反応したせいで、社長は何か察しのついたような顔をした。
「ははーん。痴情のもつれだな」
「ははは馬鹿言ってんじゃねえや」
なに言ってんだかこの人は。
その通りだよ。
「慎二、何か言ってました?」
「いんや別に」
「そすか」
俺に直接連絡することなくいきなり会社来るとか。
……なんだろ。
と、思っていたのが今日の昼過ぎ。
夜になってアパートに帰ると、俺の部屋の前にそいつはいた。
「よお、遅かったな」
玄関ドアに凭れて座り込み、片手を上げる慎二は、いつも通りの弛い顔をしていた。
後ろで一つに括っている中途半端な長さの茶髪も変わらない。
あまりにもいつも通りで、それを見た俺は何だか急に怒りが込み上げてきた。
「あーあー、そういう奴だよお前は!」
「え、なに怒ってんの」
俺はこの1週間わりと真剣にお前のことを考えて落ち着かない毎日を過ごしたというのに!
なんだその、なんかありましたかみたいな態度は!
完全に不意打ちで、どんな態度に出るべきか考えてた自分が阿呆みたいだ。
「……全然連絡ないから、どうしたもんかと思ってたんだよ」
「ああ悪い、俺さあ、なくしたんだよね、スマホ」
「はあ?」
なんだその理由。
っつーか大丈夫かそれ。
「……馬鹿なのか」
「まあね。結構本気で焦ってた」
へらりとした顔のどこにも本気さは感じられないが、焦って、た?
俺が頭の上に疑問符を浮かべると、慎二はまたへらりと笑った。
「マットレスの下から出てきたわ。意味わかんねえだろ」
本当にな。
どうやったらそんなとこに入るんだ。
そしてよくそこから見つけたな。
「そりゃ良かったな。昼間会社来たんだって?お前いつからここ居んの」
言いながら、座り込んでいる慎二をそのままに、尻ポケットから出した鍵を玄関のドアノブに差し込む。
慎二は上目遣いで微笑んできた。
「うん。会いたかったからさ」
「……」
数多くの女たち、いや中には男もいるんだろう、が、この表情にやられてきたのだろう。
そう思えるほどにあざとい。
俺もうっかりときめくところだった。
あーびっくりした。
「……そうくるか」
思うだけのはずの言葉は、小さく口から零れた。
「なにが? ……ああ、だって、」
慎二は、始めきょとんとしてから、すぐに俺の心中を察した。
よっこいしょ、と腰を上げて、立ち上がり、玄関ドアとサンドイッチ状態の俺に向かって甘い声を出した。
距離が近い。
「だって俺、まだ振られてないし。会いたかったから、会いに来た」
「……」
やべえ俺、完全に狙われている。
思い出すのは1週間前の夜。
焦りが止まらない。
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