そういう関係 2

「ばあか、んな訳あるか」

と、陽平さんは俺が買ってきたピザを頬張りながら呆れたように言った。


 何故このオッサンと2人でピザなんか食ってるかというと、事の発端はやはりエリカさんだった。

 あのあと早々に慎二を追い返して、俺は暫くふて寝をしていた。

 社長から呼び出しの電話もなかったし。

 思いの外熟睡してしまっていて、起きたら夕方だった。

「うわ、4時過ぎてんじゃん」

 今日ぐだぐだだな。

 明日は流石にしっかりしねぇと。

「あっ、ちぃ」

 作業服のままだったから上着だけ脱いで、何か飲み物でも、と冷蔵庫に意識を向けた時、玄関ドアがこんこんと音を立てて、その向こう側からあきらくーん、と、俺を呼ぶエリカさんの声が聞こえてきた。


「どうしたんですか」

 タンクトップ1枚でそのまま玄関を開けると、そこにはエリカさんがいた。

 今朝までのラフな服装ではなく、膝下までの黒くて薄い細身のワンピースを着ていた。

 腕は丸出しの癖に首もとは隠れている。

 身体のラインがくっきり分かって、見えないと分かってはいても思わず胸元に目がいく。

 甘い匂いがふわりと香る。

 ピアスにネックレスに、化粧まできっちりして、なんだか着飾っている。

 マスカラの黒と、口紅の赤がセクシーだと思った。

「ごめんね、もしかして寝てた?」

 エリカさんは毛先の縺れを気にするように指で摘まみながら、一方で腕時計を見ながら時間を気にして急いでいるみたいだった。

「いや、大丈夫ですよ、起きたとこだし」

「ごめーん、悪いんだけどさぁ、ちょっとお願いきいてもらえないかなあ」

「いいですよ、俺に出来ることだったら」

「あのね、ごはん買ってきてほしいの、10時くらいに」

 そう言ってエリカさんは、長財布から一万円札を1枚取り出して俺に渡した。

「どういうこと?」

 俺が浮かんだ疑問をそのまま口に出してその万札を受け取ると、あのね、と話し出しながら、エリカさんは長財布を、それとあまり変わらない大きさのバッグにしまった。

「準備して出ようと思ってたんだけど、ちょっと早く来てって急かされちゃって、陽平のごはんがないのよ。10時くらいに帰ってくるから、それくらいに何か用意してやって欲しいの。うち今、すぐに食べれるものなくって。ピザとかそんなんでもいいよ、あきらくんの好きなものでいいし。余ったお金はあげるから。ごめんねお願い! 行ってきまーす」

と、俺の返事も聞かずにエリカさんは、ベージュのハイヒールで忙しない音を響かせながら階段下へ消えて行ってしまった。

 俺の手に万札1枚渡したまま。

「……なんじゃそりゃ」

 取り敢えず部屋に戻り、受け取ったそれを机の上に置く。

 仕事柄、人に頼られるのは嫌いじゃない。

 でも10時って。

 何時間あると思ってんだよ。


 で、結局俺がどうしたかというと、わざわざピザ屋までピザを買いに行った。

 理由は3つあった。

 ひとつは、簡単に言えば何を買えばいいか分からない。

 陽平さんの好みとか、量とか、一切なにも言わずにエリカさんは去って行ってしまい、選ぶものに困ったから。

 ふたつめは、単純に暇だったから。

 みっつめは、預かっている他人の金なんだから、浮かせる部分は浮かすべきだと判断したからだ。

 店に直接買いに行けば、2枚目がちょっと安くなる。

 そんな訳で俺は少しばかり涼しい夜道を、歩いて15分の距離にあるピザ屋までお使いに行った訳だ。

 家に着いたのは9時半を少し過ぎた頃だった。

 隣の部屋にはまだ明かりがついていなくて、しゃあない後でもっかい様子を見に出るしかないか、と自分の部屋へ入った。

 結局陽平さんが帰ってきたのは、それから1時間経った頃だった。

 玄関を開ける音が聞こえたから、すっかり冷めてしまったピザを持って隣のインターホンを押す。

 出てきた陽平さんは一瞬だけ誰だお前みたいな顔をしてから、おうお前か、どうした、と、驚いた様子を見せた。

「エリカさんに頼まれてお使いしてきました。はいこれ、夜メシ。冷めてますけど」

 貰った包装そのままにまるごと渡すと、陽平さんは一気に顔が綻んだ。

 分かりやすいなー。

「まーじか、助かった、有難うな」

「いえいえ、あとこれ、お釣りです」

「はいよ」

 陽平さんは受け取った金額を確認する素振りを一切見せず、小銭だけポケットに放り込んだ。

 そして渡したうちの千円札5枚を、ババ抜きのようにして俺の前に開いて見せた。

 にやり、片頬だけで笑う。

「いくらにする?バイト代」

「うーん」

 エリカさんは全額くれると言った。

 でも恐らく陽平さんはそれを知らない。

「じゃ、ありがたく」

 俺は2枚抜き取った。

「謙虚なやつだな。まあ入れや、一緒に食おうぜ」

 そう言って陽平さんはドアを更に開いた。

 そんなつもりは毛頭なかったから断ると、陽平さんはあからさまにしょげた。

「なんだよお前付き合えよ。想像してみろ、仕事帰りの疲れたオッサンが一人寂しく冷めたピザ食ってる姿」

「ああー……」

 軽く想像出来て、思わず嘆息してしまった。

 それは確かに……

「ヤバいっすね」

「だろ、ついでだからお前ちょっと相手しろって」

 陽平さんは楽しそうに親指をくいっと部屋の中へ向けた。

 仕方がねえなあ、タダ働きすっか。

「んじゃ、遠慮なくお邪魔します」


 部屋の中には無数の本が散らばっていた。

 読んだものをそこに置いたままでいるような印象。

 ざっと見るに、どうやら先生っていうのはあながち嘘ではないのかもしれない。

 数学の先生?

 この見た目で?

 嘘だろ。

「悪いな散らかしてて。そこら辺適当に避けてくれ」

「良いんですか、勝手に触って」

「構いやしねえよ、全部俺のだしな」

 良いと言われたので、取り敢えず乱雑に散らばるそれらを重ねて隅に寄せた。

 床の上だけど。

 部屋の中は散らばった本以外はきれいに片付けられていた。

 俺の部屋とは違って、2脚の椅子のついたテーブルが置いてある。

 自分の部屋と左右を逆にしただけの同じ間取りなのに、随分と違う印象を受けた。

 陽平さんはテーブルの上に冷めたピザを広げて、

「おう2枚もあんのか、食いきれねえわ。まあ座れや」

と、慣れた様子でコップとお茶を用意し、温めることなく食べようとしている。

「いやいや、チンしましょうよ」

 もー、手のかかるオッサンだなあ!

 仕方がないから俺が電子レンジと平皿を拝借して温めてやった。

 温めすぎて酷くどろついてしまったチーズを伸ばしながら、夜中にほぼ他人のオッサンとピザを食っている。

 微妙だ。

 ここにエリカさんが交ざっていればまた違っただろう。

「そういやエリカさんどこ行ったんすか。すげえお洒落してましたけど」

 椅子に腰掛けて遠慮なく1枚頬張ると、目の前で同じようにしながら陽平さんは、

「ああ、小遣い稼ぎだよ」

と言った。

「知り合いがやってる小さい飲み屋にな、カラオケしに行くんだ。美味いもん飲んで食って歌って、その場にいる客から小遣い貰って帰ってくる」

「いいなあそれ」

「ま、女だから出来ることだわな」

 陽平さんはさも自分のことのように得意気だった。

 まるで俺の女はいい女だからなとでも言いたいかのように。

 なんかいいなあ。

「毎晩なんですか」

「いやいや、月に1回か2回だよ。客受けが良いみたいで、重宝されてるみたいだけどな」

「へーぇ」

 エリカさん歌上手いのか。

 どんなん歌うんだろ。

「ところで青年」

 きたな。

 ぜってぇ答えねえぞ。

「あきらです」

「おうあきら。昨日のこと面白そうだから聞いても」

「陽平さんって、おいくつなんですか。なんか、エリカさんと年離れてますよね」

「おう、12違うからな。俺は今年で41だよ」

 陽平さんは俺の答えたくないアピールに早速気付いたらしく、にやにやしながら素直に教えてくれた。

「ってことは、エリカさんは」

「数えてやるな、あいつ結構気にしてんだ」

 苦笑を漏らしながらもう一切れ掴む陽平さんの手は、結構大きい。

「で? 尻のほうは大丈夫なのか」

「……はあ、まあ、おかげさまで。今朝二人に笑われたおかげで精神的ダメージのが酷いですけど」

「そうか、そりゃあ悪かったなあ」

 陽平さんはそれから特に笑うでもなく、お茶を一口飲んでから、

「ま、生きてりゃいろいろあるわな」

と、宥めるような穏やかさで言った。

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