そういう関係 1

「謝りに来たんだけど、ごめん、お客さんいるんだな」

 タイミングの悪さを理解したのかあからさまにしょげかえる慎二に俺が「おう、帰れ」と言ったのと、エリカさんが部屋の中から「どうぞー」なんて軽く間延びした声を出したのはほぼ同時だった。

 おかげでどちらも聞き取れなかったらしい慎二はきょとんとした顔で「へ?」と言った。

 なんであんたがどうぞ言うんだよ。

 そう思いながらぐるりと首を回して後ろを見ると、エリカさんがのんびりとこちらに歩いてきた。

「いいよ、あたし帰って寝るから。あきらくん、ごちそうさまでした」

 にっこり笑ってまたね、と手を振る。

 またがあるのか。

 サンダルを履いて慎二の横をすり抜け、振り返り様に

「痴話喧嘩は静かにやってね、お邪魔しました」

 なあんてにこりと笑いながら言ってくれるもんだから、慎二が動揺して顔を真っ赤にした。

 鼻唄混じりに隣のドアが閉められたのを確認してから、慎二がそのドアに向かって「……誰」と呟く。

「お隣さん」

「仲良いんだな、なんか、すげえ美人」

「ほぼ初対面だけどな」

「へ?」

 いつも勝手に入ってくる慎二は、今日はまだ部屋の中に入ろうとはしなかった。

 俺に招き入れられるのを待っている。ったく、

「入んのかよ」

 身体を横にずらして玄関に隙間を作ると、慎二は少し考える素振りをしてから、うん、と頷いて部屋に足を踏み入れた。

 俺よりも少しだけ背の高い細身が、狭い玄関ですぐ隣に並ぶ。

 中途半端に伸びた後ろ髪をひと括りにしていて、目線に丁度うなじが当たる。

「変なことすんなよ」

「しないよ、謝りに来たんだってば」

 眉を下げて微笑む慎二は、いつも通りの優男だった。


「お邪魔しまーす」

 昨日のように適当に靴を脱いで部屋に上がる慎二の後を追う。

 部屋に戻ると、机に広げていた二人分の食器はシンクに纏めて置かれていた。

 ビールの空き缶も。

「え、あきらもう酒飲んでんの」

 それを目敏く見つけた慎二は酷く驚いた様子で、俺は軽くなったそれを持ち上げて揺らした。

「さっき貰ったんだよ。朝から酒なんか飲んだの初めてだけど、気分良いかもな」

「へーえ」

「……で?」

 こいつ昨日の今日でよくうちに来れたな。

 なに考えてやがんだ、っつーか、どんな神経してんだか。

 俺が若干苛ついた雰囲気を醸し出したのを敏感に察知した慎二は、慌てて空き缶から手を離してその場に座り込んだ。

 そしてそのまま勢い良く台所の古い板の間に頭を下げる。

「ごめん!」

 正座じゃなくて胡座な辺りが腹立たしいが、そんな細かいところまで気にしてみみっちい男にはなりたくなかったから取り敢えずは黙っておく。

 俺が悪かった、ほんとにごめん。

 下を向いて多分誠心誠意だろう謝る慎二になんだか逆に憐れみを感じてきてしまって、俺は深く息を吐いた。

 なんだかなあ。

 殴る気でいたけど、こんな頭下げられるとすごく殴りにくい。

「取り敢えずさあ、」

 自分も慎二の前に胡座をかいて、ついでに態度悪く肩肘もつく。

 掌で顎を支えながら慎二の茶色い後頭部を眺めた。

 根本までちゃんと茶色だ。

 台所で何やってんだか、俺ら。

「俺はもういろいろと恥ずかしくて生きていけないことになってんだけど、どうしたもんだと思う」

「……は?」

 いろいろってなんだ、とでも言いたそうな顔が下から覗き込んでくる。


 慎二は、俺が大学に入った頃からの友達で、卒業して2年経つから、もうわりと長い付き合いだ。

 細身の長身に優しい笑顔を浮かべるわりには思いの外頑固で、小さなことでの言い争いなんかしょっちゅうだ。

 それでも何だかんだお互いに良い距離を保ってきた。

「っつーかお前仕事は?」

「俺今日もともと休みなんだ」

 腰を戻した慎二は、相変わらず眉を下げたままでいる。

 彼女がいた時期だって知っているし、男が好きだなんて話も聞いたことがない。

 なのにこれ。

「あっそ。……あー、で、あのさあ、あんま聞きたくないんだけど、昨日は何がどうなってあんなことになった訳? 慎二さんよぉ」

「え、っとですね、それは、そのぅ……」

 慎二はあからさまに目を泳がせた。

 聞いた自分がいうのも難だけど、本当は本気で聞きたくない。

 慎二がなに考えてんのかも何故俺がいきなりケツ掘られたのかも聞きたくはない。

 っつーか最早思い出すのも嫌だ。

 今こうして改めて顔突き合わせてんのも本当は嫌だ。

 あんな姿見られて、あんなことされて、俺は今よくこれだけ冷静でいられると思う。

 それでも慎二は大事な友達だし、なかったことにできるならなかったことにしたい。

 それよりも何よりは、自分があんな目にあった理由だけは知っておかなければならない気がする。

「んだよ、言わなきゃ分かんないだろ」

「言ってもあきらに分かるかどうか……」

「お前俺のこと馬鹿にしすぎだろ」

「だってお前馬鹿じゃんよ、俺昨日ちゃんと拗らせてるっつったじゃん」

「だーから何をどう拗らせたらあれに繋がるんだっつーの」

 俺が問い詰めると、慎二はいよいよ情けない顔になって頭を掻いた。

 駄目だこいつほんとに馬鹿だ。

 口の中でぼやいたのが聞こえた。

「なんだとオイ」

「なあこれ全部言わなきゃ駄目?」

「お前謝りに来たんじゃないのかよ。俺どう納得すればいいのかわかんないじゃん」

 口ごもる慎二に呆れて溜め息が出そうになる。

 本当に何しに来たんだこいつは。

「だからぁ、要するに、あのー……」

 苛ついた声で頭をガリガリ掻いた後、慎二は腹を括ったかのように急に真面目な顔をして、こっちをまっすぐに見た。

 ふわり、薄いカーテンが風に浮く。

「引くなよ」

「なんだよ」

「俺あきら好きだ」

「は?」

「ずっと言うつもりなかったんだけど、自分で昨日やらかしちまったから……」

「……俺?」

「お前」

「好きだ?」

「好きだ」

「……」

 ……なんですと。

「やっぱ引くよなあ」

 慎二は寂しそうに口の端だけ微笑ませて、俺から静かに目線を逸らした。

 いや引くっていうか、

「まじかよ」

 知らんかった。

「まじだよ、意味は昨日身をもって知ったろ」

「まじかよ。……え、いつから? っつーかお前女と付き合ってたじゃん」

「俺実は男でも女でもいける」

「まじかよ! そんなん全然言ったことねえじゃん!」

「言うか! 言えるわけねえだろそんなもん」

「まじかよ」

 やべえ俺さっきからまじかよしか言ってない。

 これは馬鹿だ言われても仕方ないか。

 いやでも他になんて言えば……

「あーあ、絶対言わないつもりだったんだけどなあ。っていうか他にどんな理由があると思ってたんだよ」

 慎二は諦めたように眉を下げて苦笑を浮かべた。

 身体を起こして床に後ろ手をつく。

 そんな寂しそうな顔されても……

「俺、なんかの弾みの勢いとかなら、なかったことにして元通りになりたいと思ってたんだけど……」

 想定外の展開にしどろもどろ。

 今度はこっちの目が泳ぐ番だった。

「俺もだよ。まあ弾みっちゃ弾みだしな。でもさあ、今口に出して言っちまったから、やっぱ、なかったことには、してほしくないかな」

「……ですよね」

「ですね。でも、まあ、」

「ん?」

「俺は正直もうギリギリだったから、こんなことになった訳でさ、でも付き合ってくれとか、まあ気軽には言えないしさ、あきらが駄目なら、もう会わないほうがいいかな、って、今は思う」

 俯きがちな瞼に、ああこいつ、もしかしたらいつもこんなんなのかな、と、少し分かった気がした。

 自分押し殺して、諦めてきたんだろうな、いつも。


 でも急にそんなこと言われてもなあ。

 ……どうしよう。

 考えたこともなかった。

「悪い、困らせて」

「いや、ああ、うん、まあ……」

 やべえ、なんて返せばいいのか分からねえ。

 目が泳ぐ。

 どこ見りゃいいんだ。

「……友達じゃ駄目なのか」

「生殺しじゃねえかよ」

 慎二が息を吐くようにして笑ったのが聞こえる。

 そうだよなあ。

 でもそんないきなりお付き合いしますか一生の別れですかみたいな選択迫られても。

 俺、友達がいいなあ……。

「悪い、ちょっとこれ、時間くれ。頭が追いつかない」

 気まずくて顔が見れなくて、頭を両手で抱え込んで顔を隠した。

 年季の入った板の間の模様を食い入るように見つめてみる。

「ごめん」

「謝んな、俺好きになったのが間違いだったって言われてるみたいでそれはなんかムカつくわ」

「……。そっか、有難うな、あきら」

 顔が見れない。

 なんだこれ。


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