へんな人たち 3

「ちょっと大丈夫? あきらくん」

 くすくす。

 エリカさんが楽しそうに笑う。

 よく笑う人だな。

 デリカシーないけど。

 俺はもう一度缶ビールに口をつけた。

 なんか腹減った。

「大丈夫じゃないですよ。さっきので俺相当メンタルやられたし。すいません俺ちょっと、飯食って良いですか。空きっ腹だと悪酔いしそうで」

 よっこいしょ、と腰を上げると、エリカさんはああどうぞどうぞ、と軽く言った後で、ねえねえあきらくん、と甘えた声をつけ足した。

「あたしもお腹すいたなあ」

 ……まじで?

 目線をやると、あざとい上目遣いが完全に俺の朝飯を狙っている。

 食う気だ。

「……たいしたものないですよ」

「食べていいの」

 いやいやだってもう完全に食べる気満々じゃねえかよその顔。

「……ごはん味噌汁漬け物」

「やったー!」

 俺はまた軽く溜め息を吐いた。

 嬉しそうな顔しちゃって。

 なんなんだこの人。

 本気で俺の朝飯食う気かよ。

 俺らほぼ初対面なんですけど。


 それから俺たちは、缶ビール片手に質素な朝飯を挟んでいろいろな話をした。

「あきらくんはお仕事何してる人なの。簡単に休めるんだね」

「俺便利屋です。電話一本でいつでもどこでもある程度なんでもしますよのやつ」

「へえ凄いね、じゃあなんでも出来るんだ」

 エリカさんは切っただけの沢庵を箸で摘まんだ。

 つられて自分も沢庵に手を伸ばす。

「まあやらざるを得ないというか。とは言っても、実質は近所のじじばばの使いっぱしりみたいなもんですよ。重いもの代わりに買いに行ったり、掃除の手伝いしたりとか。社長がいい加減な人で、報酬ほぼ独り占め状態の代わりにわりと融通効かせてくれるんです。なんにもなきゃ会社いてもすることないし。呼ばれたら行きますけどね」

「それでこんなボロアパートに」

 味噌汁辛くないだろうか。

「そうそう。んじゃあ次は、エリカさんは何してる人なんですか。っていうか、昨日振られたばっかって言ってたの、あれなんなんすか、俺信じたのに」

 そうだ、昨日のあれは何だったんだ。

 俺はあのキスで物凄く期待したのに。

「嘘じゃないよ、ほんとだってば! ヤケ酒しようと思ってコンビニ行ったんだからぁ。っていうかあたし無職」

「無職!? ああそっか、陽平さんでしたっけ、一緒に住んでるんですかっていうか、だからおかしいでしょうがあんた誰に振られたんだよ」

「好きになった人に振られたに決まってんでしょうが、振られた振られた言わないでよ、傷つくでしょ」

 エリカさんはさも腹立たしげに左手を拳にして机をタンタンと叩いた。

「ああすいません。ん? じゃあ陽平さんってどういう関係なんですか。俺てっきり恋人かと」

「うーん。そこ説明に困るのよね。あながち間違っちゃいないけどなんか違うというか」

 なんじゃそりゃ。

「もしかして聞いたらまずいようなややこしい関係だったりするんですか」

 ビールを一口。

 だいぶ空になってきた。

 酔いはあまりない。

「別にややこしくはないよ、陽平があたしのこと好きでうちから出ていかないっていう感じかな」

「そんな言い方したらストーカーみたいじゃないっすか」

「ストーカーみたいなもんだよ。あきらくんも気を付けた方がいいよ、あいつ強姦魔だから」

「え……」

「あはははははははは!」

「冗談きついですよ」

「で? あきらくんの昨日のお相手ってどんな人?」

 きた。

「陽平さんってなんの仕事してるんですか」

 ご飯がなくなる。

 味噌汁は残ってる。

 エリカさんは前のめりだ。

「学校の先生。彼氏? 彼氏なの?」

「ぜってぇ嘘だ。二人は付き合い長いんですか」

「じゃあ塾の先生。ねえねえどうやったらあんな喧嘩腰からそういう雰囲気になるわけ?」

「先生自体がすげえ嘘臭いんですけど。どうやって知り合ったんですか」

 そのわくわくした顔やめてくれ。

「引かれるから内緒。ねえねえ面白そうだから教えてよぉ」

「話題逸らそうとしてんだから察してくださいよ、結局陽平さんの仕事わかんねえし」

「じゃあ危ない人。絶対やだね。だって絶対面白いもん」

 適当だなあ。

 でもそれが一番納得。

「食い下がるなあ」

「当然でしょ。あたし今結構喋ったよ。だから次はあきらくんの番じゃない?」

 そしてずるい。

 くそ、やられた。

 味噌汁最後の一口。

「くっそぉ……。昨日の、あいつは……そのー、友達です、友達」

「お友達に襲いかかったってこと?」

 んな訳あるか!

「逆に決まってんでしょ! 襲いかかってきたんですよ!」

「くっ、ふふ……それは……大変だったね」

「エリカさん本気で笑いすぎですからね」

「お尻大丈夫?」

「全然大丈夫じゃねえですよ! 二人のお陰で更に酷いわ」

「ごめんってば、あー可笑しい。ごちそうさまでした! 美味しかったー、あきらくん料理上手いんだね」

 エリカさんは箸を置いてきちんと手を合わせた。

「味噌汁だけでそんな判断されても。まあ作ってくれる人いないですからね」

「偉いなあ。毎日来たくなっちゃうわ」

「そのうち襲いかかりますよ。おっぱい見えそうだし」

「襲いかかってもいいけど、ちゃんと気持ちよくしてね」

「んなこと言われたら逆に手ぇ出しにくいわ」

「あっはっはっはっはっはっはっはっは!」

「それに陽平さん恐そうだし」

「そっか、それは残念」

「思ってねえでしょ」

「そんなことないよ、失恋直後で傷心中だし」

「なに言ってんすか、全然そんなふうには見えないですよ」


 エリカさんは案外話しやすくていい人だった。

 きっと陽平さんは、エリカさんのこんな明るいところが好きなんではなかろうか。

 俺がエリカさんと楽しく盛り上がって尻の違和感をすっかり忘れた時、部屋の中に安いせいで無駄にでかいインターホンが響いた。

 ボリュームを下げる機能はついていない。


「あれ、お客さんだよ」

「誰だろ、すいませんちょっと」

 すっかり空になったビールの空き缶を机に置いて、俺は機嫌のいいまま玄関に向かった。

 どうせ宗教かなんかの勧誘だろう、ドアスコープなんて今まで覗いたことはない。

「はいはーい、どちらさ……ま……」

 靴も履かずにそのままガチャッと勢いよく玄関ドアを開けると、そこには宗教の勧誘のおばさんではなく、何故か拗ねたような顔をした慎二が立っていた。

 顔の輪郭に沿って伸ばされた髪が、汗で若干湿っているように見える。


「社長さんが今日休みって言うから……」

「慎二……」


 部屋の中から、エリカさんが、ん? と声を漏らした。

 あーばれた。

 慎二のその拗ねた顔も気になる。

 お前なんっつータイミング悪いんだ。

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