第29話 (ミライ)

 頭からザパッと水をかけられて、我に帰った。見ると、ジンが大きな桶を抱えている。

「もう十分だろ。逃げるぞ」

 私の腕の中には、皮膚のただれた子供がいる。火傷の傷が痛々しいけれど、頭が一つ、腕が二本、足が二本ある通常の人間の形をしている。クリーチャーの分解には、成功したんだ。

 私の皮膚もやけどで引き攣れていて、クリーチャーが腕の中でもがくたびにその刺激を敏感に拾って、チリチリと痛む。

 船を焦がす炎はさっきよりも強くなっている。あちらこちらから燃える木片が降ってきて、火の爆ぜる音が絶え間なく続く。急がなければ。

「そうだね。行こう」

 私は、クリーチャーを抱え直して辺りを見回す。どこかに、逃げ場を探さなければ。

 クリーチャーをジンに預けて、私はレンの上の瓦礫に手をかける。重たくてびくともしない。

「僕のことはいいから、置いて行きなさい。逃げ遅れてしまうよ。結構傷がひどいみたいだ。瓦礫をどけてもらったとしても、自力で立てそうもない」

「いや!」

 私たちを取り巻く炎は、どんどん勢いを増す。熱い空気で肺が焼けそうだ。息をするのも苦しい。

「置いて行きなさいって言ってるだろ。君たちだけなら、まだ間に合う」

 レンの口の端から血が垂れている。手足は脱力していて、動く気力もないみたいだ。服の端に炎が燃え移っている。

「ジン、クリーチャーをお願い。先に逃げて」

「いいけど、お前はどうするわけ」

「レンを引きずっていくわ」

「わかった」

 船を出たジンを見送って、私は瓦礫をどける作業に戻る。レンは、やめろ、と大声で怒鳴った。

「やめるんだ。君の設計をしたのは僕だ。どの程度の力を出せるかはわかっている。君には、瓦礫をどかすのも、僕を担ぐのも無理だ」

「いや」

 なんとかなりそうな大きさのものを選んでどかす。火傷まみれの手から、皮膚が剥け落ちる。

「僕が憎いだろう。面倒ごとに巻き込まれて苦しむのはわかっていたのに、僕の勝手な都合で君を作ったんだから」

「私はあなたが好きだよ」

 頭の上から灰が降ってくる。さっき濡らした服はとっくに乾いて、あちこち焦げて穴だらけだ。

「そう思い込んでるだけだ。そんなはずはない。ごめんよ。君の苦しみは全て僕のせいだ」

「またそうやって、私のことはなんでもわかってます、って顔して決めつけるんだね」

 ガラガラと船が崩れる音が響く。急がないと、船そのものが崩れて私たちは潰れてしまう。

「あなたは、きっと色々と誤解している。私はあなたが好きだよ。あなたは私にいろんなことを教えてくれた。私はあなたを通して世界を見てるの」

「君の方こそ色々誤解してるんじゃないかな。僕は君が思ってるような人ではないよ」

「そうだろうね。それでもあなたは、私に世界をくれた人だよ」

 喉に熱い空気が触れて、痛みが走る。煙たい。でも、黙る気にはなれない。

「一号だって、あなたが思ってるほどあなたのことを嫌ってるわけではないの」

 どかっ、と炭化して脆くなった壁が吹っ飛んで、新鮮な空気が入り込んでくる。

「よし、生きてるな!」

 壁が壊れてできた穴から顔を出したのは、一号だ。

「ほらね」

 一号は、レンの上の瓦礫を蹴っ飛ばしてどかすと、即座に私たちを両手で抱えて走り出す。私には小さい瓦礫をどけるので精一杯だったと言うのに、一号はひとっ飛びで一気に私たちを燃える船から救い出した。

 船の外では、ジンとクリーチャーと、一号の仲間たちが座り込んで船を見上げていた。私たちは、その一団の中に投げ込まれて尻餅をついた。

「なんで助けてくれたんだい?」

 レンは、不思議そうに一号を見上げる。一号は、不機嫌そうに顔をしかめて答えた

「お前に聞きたいことがあるからだ」

「何を話したって、言い訳にしかならないよ。そんなの、君だって聞きたくないだろう?」

「いいから答えろ!」

 火事場から救出されてホッと一息ついたのもつかの間、二人の間に緊迫した空気が流れる。でも、そんなことはおかまいなしに、ジンの頭の上にシーチキンが飛んできて、キー、と一声鳴いた。

「おっ、お前、どこ行ってたんだよ」

「ゴメンヨ。ミンナ、ゴメンヨ」

「なんだよ、ずいぶん殊勝なことを言うじゃねえか」

 ジンが羽を撫でようと手を伸ばすと、シーチキンはその手を思いきりくちばしでつつく。

「いてえな! なにすんだよ!」

「その鳥……、お前らが買ったのか」

「えっ、知ってんのか?」

「しばらくこの船に住み着いてたんだが、うるさいから売り飛ばしたんだ。余計なことばっかり覚えやがるから」

 鳥がまた鳴く。

「イチゴウ、ミライ、ドウカシアワセニナッテネ」

 その言葉を聞いて、一号とレンが固まった。シーチキンは、なおも言葉を続ける。

「サミシイ。……ミンナ。ミュウ。……レン」

「黙れ!」

 一号が怒鳴ると、シーチキンはぴょんと飛び上がって、ジンの後ろに隠れた。

 レンが、困った顔で頬をかいて、一号を見上げる。

「お互い、独り言を勝手に覚えられちゃったみたいだな」

「チッ、やっぱりうるせえ……。今ここで焼き鳥にしてやろうか……」

「ちょっと火力が強すぎるんじゃないかな。黒焦げになっておいしくなくなるよ」

「食いてえんじゃねえんだよ。殺してえんだよ」

「ふふふ。わかった。いいよ、一号。君の聞きたいことに答えよう」

 一号は燃える船を背にレンを見下ろして、一度深く息を吸い込んだ。

「なんで俺を作った?」

「君みたいな強くてかっこいいヒーローがいたらいいな、って思ったんだ。世界で一番すごい人間を作ろうとして、君ができた」

「俺ができた時、どう思った?」

「すごいことが起こるって思ったよ。君と世界を変えるつもりだった。……だから、今思うとちょっとやりすぎたね。ごめん。君を強くすることに必死になって、無理をさせた」

「なんで二号たちを殺したんだ。信じてたのに」

「あの時僕は、あの子たちの殺処分を取り下げるように直談判に行って、聞き入れてもらえず牢に入れられていたんだ。ごめんよ。みんなを助けられなかった」

「……なんで俺には錬金術、教えてくれなかったんだよ」

「君にとって僕が必要なくなるのが怖かったんだ。君になくて僕にあるものがなくなったら、君は僕の元を去ると思った」

 二人が一緒にいた頃のことを、私は知らない。ちょっと、一号が羨ましい。レンは一号を手元に置きたがったけど、私のことは初めから手放すつもりだった。一号には強い人になってほしいと期待したけど、私は非力に設計された。お兄ちゃんばっかりずるい。

「なんでそんなにめんどくさいこと考えてたんだよ。俺は、あんたが喜ぶと思って頑張ったのに」

 一号は、私とジンを交互に見て、お前らは動けるか? と聞いた。

「全員街に戻って、医者に診てもらえ。火傷はほっとくと治りが遅いし跡が残る。レンは俺が担いでってやるから」

「君はいいのかい?」

 ちょっと雑に小脇に抱えられたレンが、一号に聞いた。一号は、その質問を鼻で笑う。

「おかげさまで頑丈にできてるもんでな」

「これからどうするつもりだい?」

「さあな」

「隠し工房の場所、覚えてるかい?」

「迷いの森の地下だろ? それがどうした?」

「あそこに、道具一式と少しのお金が残っている。それを持って、西の渓谷の先にある学院に行きなさい。ヴィクター・プレラーティの弟子だと言えば入学させてくれるだろう。ちょっと揉めるかもしれないけどね」

「人間の街に住めってか」

「あそこはちょっとおかしい人しかいないから、君が混ざっても馴染めると思うよ。僕の母校だ。そこで、錬金術の基礎を学びなさい。そうしたら、ホムンクルスが作れるようになる。僕が教えてもいいけど」

「ヘドが出る。今更お前に習い事なんて」

「そう言うと思ったよ」

「いいのか? 戦争になるんだろ? 俺は作ったホムンクルスたちを引き連れて、人間を皆殺しにするかもしれないぞ」

「やらないよ。君は争いが嫌いだ。もし仮に、人間とホムンクルスの間に争いが起きたら、僕は必ず君達に味方する」

「はっ、頼りにならねえ味方だな」

 そうして、私たちは街のお医者さんへ向かった。

 医者のおじいさんは、火傷だらけの私たちを見て目玉が飛び出しそうなくらい驚いていた。どうしたんだ、傷の具合は、と慌ただしく処置を受けている間に、いつのまにか一号はいなくなっていた。

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