第16話 (ミライ)
船内に戻ると、一号は私を広い船室に連れて行った。街で私たちがとった宿の部屋よりひとまわり大きい。
床には中身が詰まった布の袋が転がっており、所々に中身の石灰が溢れている。木の板の壁も、飛び散った液体が張り付いたシミでずいぶん汚れている。部屋の中央には、ひと抱えほどもある大きな瓶が設置されている。ちょうど、私が生まれた瓶みたいだ。
「ここは?」
「俺の工房。ここで、色々試してるんだが、全然うまくいかない」
まさかと思って瓶の中を覗き込む。そこには、膝を抱えた半透明の人間が座り込んでいた。透き通った白い皮膚の下に、筋肉の繊維や血管、骨が透けて見えている。
「こいつは、長生きしてくれるといいんだが」
「一度、作るのをやめにしない?」
私が言うと、一号は不服そうに顔を歪めた。
「諦めろってことか?」
「そうじゃないよ。このままでたらめに作っても、死んじゃう人を増やすだけ。一旦やめにして、レンに作りかたを聞いてから再開するの」
レンは、私が買ってきた鳥を旅に連れて行くことに反対した。連れ出せば死んでしまうからだ。この人も、このまま瓶から出せばきっと死んでしまう。
ここまで考えて、ちょっと胸がモヤモヤした。レンのことをもう信じられないと思ったけど、結局のところ、私の判断基準は彼にあるんだ。
「いいや、できるはずだ。俺はそういう風に作られてる。俺は、レンの最高傑作、らしいから。俺は、なんでもできるように設計されてる」
「ダメだよ。どんなにすごい人だって、やり方を知らないことなんてできっこない」
このままだと、一号は仲間を殺し続けることになる。そんなのは、あんまりだ。
「やり方がわかったら私も手伝うからさ」
ギョッ、と一号が目を見開いた。信じられない、と言った顔で私をまじまじと見る。
「お前、錬金術できるのか?」
「うん、教えてもらったから」
「誰に?」
「レンだよ」
一号は、目を見開いたまま黙りこくってしまった。なにをそんなに驚いているんだろう。
「俺には教えてくれなかったのに」
「えっ、じゃあこれは?」
「見て覚えた……ってほどでもないな。ただの見様見真似だ。ちょっと、俺の質問に答えろ」
「わかった」
「あいつはお前になにを教えた?」
「生きていくのに必要なことを」
「あいつが俺に教えたのは戦い方と生き物の殺し方だけだ。食事はなんだった?」
「その日に山で採れた山菜とか、動物の肉とか魚とか」
「俺はいつも栄養剤だったし、あいつを怒らせた日は砂だった。あいつの手伝いとか、させられたか?」
「うん。時々。でも大したことは任せてもらえないわ」
「俺はしょっちゅうあいつの徹夜に付き合わされて、眠らせてもらえなかった。それどころか、実験台にされてあっちこっち切り開かれたり薬飲まされたりしてたよ」
本当に、同じ人の話なんだろうか。でも、一号が嘘を言っているとも思えない。
一号は、質問を続ける。
「お前にできることが増えたり、お前が頑張って成果を出した時、あいつはどうしてた?」
「うーん、そうだな。えらいねって褒めてくれたよ」
一号の口から、乾いた笑いが漏れた。
「おかしいと思ったんだ。時々、話が噛み合ってねえし。俺が後をつけてた間、お前らは仲良さそうだったし。お前には、番号じゃなくて人間みたいな名前がついてるし」
負の感情が一号の中で膨れ上がっていくのがわかった。鋭い目が、ギッと私を睨む。
「答えろ。俺たちとお前はなにが違うんだ。俺たちのことは、備品扱いして利用するだけしたら始末したのに。どうしてお前には、そんな、人の子みたいな」
気圧されて、息を飲む。憎まれている。はっきりとそう感じた。
「もしかして本当に恋人なのか? 悪い冗談だと思ってたが」
「違うよ。私はそうなりたいけど、レンは応えてくれない」
「はっ、羨ましいぜ。恋人になりたいくらい、あれを好きでいられるなんてな」
座っている目が、私を見据えている。やばい。どうやら一号を怒らせてしまったみたいだ。
「お前、なんで俺のところへ来たんだ? 俺とは違ってまともに育てられたんだろ?」
「……レンのことが、信じられなくて」
「じゃあ、いい方法があるぜ。あいつが、お前のことをどう思っているか試す方法が」
一歩、一号がこっちへ歩み寄って来た。私は、一歩後ずさる。一号が、背中の剣に手をかけた。
「もしもさあ、お前が死んだら、あいつは悲しむと思うか?」
強い殺意を感じて、私は走り出した。部屋の出入り口側には一号がいるから、部屋の奥へ逃げるしかない。背後で、剣が鞘走る音が聞こえた。
足元に転がっている布袋を飛び越えて、部屋の奥へ走る。でも、このままだと部屋の隅に追い詰められてしまう。逃げ切るには、なんとかして一号の剣を避けて、工房の出入り口まで辿り着かなければいけない。
うなじのあたりに風を感じて、エイっととっさに前に転がる。腐りかけの床に手をついて体制を立て直し、また走る。狙いを外した剣が工房の戸棚を破壊したのが音でわかった。
「逃げるなよ。死体はちゃんと、あいつのとこに送り返してやるからさ」
「来ないで! 人殺し!」
手近にあった戸棚から適当に瓶を何本か取り出して、背後に投げた。一号は、危うげなくそれらを全て剣ではたき落とす。割れた瓶の破片が飛び散る。
やばいやばい。本気で殺される。なんとかして逃げないと。
でも、どこへ?
レンは、私が一号と仲良くなるのを望んだ。でも、それは叶わなくて、現状こうなっている。私を作った目的は、達成されなかった。その私が戻って行ったところで、レンは歓迎してくれるだろうか。もしも、レンに「もういらない」なんて言われてしまったら、立ち直れない。
部屋の隅に追い詰められて、壁を背に一号と対峙する。怖い。剣を構えた一号が、一歩ずつ距離を詰めてくる。
一歩後ずさると、腐った床が抜けた。私は床下へ落下し、下の部屋の床に叩きつけられる。
「いてて」
暗い部屋だ。一つだけ吊るされている小さなランプが、弱々しい光で部屋の中を照らしている。どうやらここは船底らしい。下から、板を突き破ってゴツゴツした岩がのぞいている。この壊れた部分から、なんとかして外へ出られないだろうか?
私が落ちてきたところから、一号も飛び降りてきて、ダンッと音を立てて綺麗に着地する。
「ひょえっ!?」
「どこへ逃げようってんだ? お前に行くところなんてねえよ。俺たちは、どこへ行っても受け入れられない。こんな生まれ方をしたのが運の尽きだ。ぶっ殺してやる」
「そんなに悲観することはないよ」
「……何が言いたい」
「他の人は知らないけど、少なくともレンはあなたを大事に思ってる」
「勝手なことぬかしてんじゃねえ。俺の話聞いてたか?」
「私が作られた理由、わかる? あなたのお嫁さんにするために作ったんだって。レンはあなたを一人にしないために私を作ったの」
一号が黙り込む。暗くて、よく表情が見えない。永遠に続くかと思った沈黙の後、一号は乾いた笑いを漏らした。
「なんだよ今更! 今までなにも与えなかったくせに! 罪滅ぼしのつもりなら見当違いもいいところだ!」
一号が怒鳴った声に呼応するように、部屋の壁が動いたように見えた。いや、そんな、まさか。見間違いだろう。
「お前も一緒に怒ってくれるのか? お前は優しい子だな」
キャッキャと高い笑い声が聞こえた。見間違いでも聞き間違いでもない。なにかいる。
「一号。そこにいるのは何?」
「こいつは唯一の成功例、ってとこだな。なんとか一人だけ生きててくれてるんだ。偶然生まれた、突然変異の怪物だけど」
小さなランプの薄明かりの下に、肉塊が蠢くのが見えた。大きい。手や足、目玉がたくさん。人間のパーツが不規則に絡み合ったいびつな怪物が、一号の後ろに控えている。無数の口が、きゃらきゃらと楽しげな笑いをもらす。
「かわいいだろ? 名前はクリーチャー。俺の味方はこいつだけだよ」
あう、とあどけない喃語が暗がりから聞こえた。
「やれ」
ガシャン、とランプが落下して、辺りが真っ暗になった。クリーチャーが動いた拍子に落ちたんだ。勘に任せて飛び退くと、さっきまで私がいた場所からバキバキと木が割れる嫌な音が聞こえた。
本気で殺される。次は、どこから来る?
息を殺して、耳をすませる。大降りの雨音に混じって、ウゥゥ、とクリーチャーが呻く声が聞こえた。
「……イ! ミライ!」
クリーチャーの声と、雨と、雷の音に混じって、私を呼ぶ声が聞こえた。
「ジン!?」
クリーチャーが地面を蹴ったのが音でわかった。慌ててその場から飛び退く。クリーチャーが突進してきて、木が裂ける音が聞こえた。どこかが壊れたらしく、部屋の中に雨が降りこんで来る。
怪物から遠ざかりたくて、後ずさる。今のでわかった。どうやら、暗くて見えていないのは向こうも同じようだ。私の声に反応して襲ってきた。できるだけ、音を立てないように遠ざからないと。
ゆっくり、一歩一歩後退する。焦ってはいけない。音を立てれば、簡単に船の壁を破壊する体当たりが、こっちに飛んで来る。
とっ、と背中が壁に当たった。ダメだ。もうこれ以上は離れられない。どうやって逃げよう。
「ミライ!? そこにいるのか!?」
すぐ後ろ、木の壁越しにジンの声が聞こえた。腐りかけた木材の隙間から漏れ聞こえて来る。見つけてくれた。でも、今はまずい。きっとこの声はクリーチャーにも聞こえている。
「ジン、危ないから離れて!」
次の瞬間、ドタドタとばたつく重い足音が、こちらに向かって走ってきた。私はジンが巻き込まれずに済むのを祈りながら、エイっと飛びのいてそれを避けた。床に手をついて、転びかけた体を立て直す。ささくれが手のひらに刺さった。
「ミライ! 大丈夫か!」
さっきより声が大きく聞こえる。クリーチャーの突進で壁が割れて、少しだけ隙間ができていた。
出入り口ができた。でも、あそこを通ろうと思ったら、クリーチャーのすぐ横を通らなければいけない。何か、チャンスはないだろうか。
キー! と甲高い声が耳をついた。ばさっと空気を含んだ羽音がして、なにかが船の中に飛び込んで来る。この声は、シーチキンだ。クリーチャーが、鳴き声の方へ向かっていく。
「ヤーイヤーイ!」
「今だ! 来い!」
私は、壁の裂け目に向かって走り出す。かろうじて通れそうな隙間に体をねじ込む。
あと少しで出られる! と思った時、私の手首を掴むものがあった。ゴツゴツした、硬くて荒れた手。一号だ。
「どこへ行く気だ」
「そんなの私だって知らないわ!」
私は手近にあった木片を握り、一号の手の甲に突き刺した。一号がひるんだ一瞬の隙に手を振りほどき、なんとか船の外へ出る。
外は、やっぱり大雨だった。私とジンは、闇雲に走ってとにかくその場から遠ざかる。
ピシャッと、雷が一瞬あたりを照らし出した。その一瞬、進行方向の入り江に洞窟があるのが見えた。
「あっ、あそこへ入ろう!」
私たちは洞窟の中へ避難して、服を絞る。ぼたぼたと愉快なほどの量の水が足元に落ちた。
「びっくりしたぜ。こんな雨なのに、部屋に戻ったらいないんだからよ」
「ごめんなさい。探しにきてくれてありがとう」
「レンも心配してたぜ。あんまり顔は合わせたくないかもしれねえけどさ、雨が止んだら宿に帰ろう」
「帰っても、いいのかな」
私は、どうしたらいいんだろうか。
私が一号に拒まれた、って知ったら、レンはがっかりするんじゃないだろうか。
ばさっ、と羽音が聞こえて、シーチキンが飛んできたのがわかった。
「ミライ、ドコニイルンダ」
「あれ、私の名前?」
「ああ、こいつ、すごく物覚え良くてさ。あたしやレンが話したことをすぐ覚えるんだ」
「へー。すごいね」
そっと、シーチキンの翼に触れてみる。ツヤツヤした羽の表面で、弾かれた水が玉になっている。シーチキンがぷるっと身を震わせると、勢いよく水滴が飛んだ。どうやら私の手が邪魔なようで、くちばしでガジガジと私の手を噛んだ。
「ねえジン。私、どうしたらいいかな」
「話くらいなら聞くぜ? どうせ雨止むまで暇だし」
「うん、ありがとう」
少しだけ、心が楽になった気がした。
「あのね」
私は、つっかえつっかえ、宿を出てからあったことをジンに話し始めた。
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