第15話 (ミライ)

 夜の海岸を、一号と二人で歩く。雨を吸った服が重い。身体中に水が張り付いているようで、寒い。足元で転がっている裏返った頭蓋骨のくぼみに、雨水が溜まっている。

 一号は、骨を踏んでしまわないように、器用にひょいひょいと進んで行く。とととっ、と軽やかに進む一号の身のこなしは、私にはとてもまねできない。一歩一歩、ちょっとずつ進んで行くしかない。ゴツゴツした足場を、たくさんの骨を避けながら歩かなければいけない。おまけに雨まで降っていて滑りやすい上に、月が雲で隠れていてあたりは真っ暗だ。

 一号が持っているカンテラの明かりが、私の前でゆらゆら揺れている。それが唯一の道しるべだ。

「ごめん、ちょっと待って」

「ん? ああ、悪い。もうついたぜ。ほら、見ろよ」

 一号が、私をせかすように手招きする。足元ばかり見ていた私は、顔を上げて息を飲んだ。

 ピシャッと空が光った。雷だ。その光で一瞬、大きな船が照らし出される。街で見かけたどの船よりも大きい。また光った。船体の木材はあちこち割れているし、マストに引っかかっている帆は大きなボロ雑巾のようだ。停泊している、というよりは打ち上げられた、という感じで、船首が岸に乗り上げて傾いている。船底は海岸の岩に削られて、大穴が開いている。

 船の屍が一面骨で埋め尽くされた海岸に打ち上げられている様は、怪談に出てくる幽霊船のようだ。

「結構いいとこだぜ。動かねえから船としてはダメだが、住むところとしてはまあまあ上等だ」

「ここに一人で住んでるの?」

「いや、仲間が一緒だ。紹介するから、行こうぜ」

 一号は、上から垂れてきている太いロープを指した。登れということらしい。ロープを掴むと、荒い繊維が手のひらに刺さってチクチクした。

 ぐっ、と腕に力を込めて、体を持ち上げようとする。上がらない。

「無理じゃない!?」

 二の腕が、かつてないほど働いている。思い切り力を込めて上へ行こうとするけど、少しも進まない。

「んー! んー! どうやって登るの!?」

 それを見て、一号は目を丸くした。

「嘘だろ?」

「いやほんとなんだって。そいやー!」

 渾身の力を込めてみるけど、やっぱり少しも進まない。

「あー……。そっか、お前は戦闘しないの前提で設計されてるんだろうな。だから筋力が弱いんだ。来い。おぶってやるよ」

 手招きされるまま、一号の背に乗る。鎧が固くて冷たいし、捕まっていようにも手が滑る。何より、背中にはすでに先客がいる。人の腕ほどの長さの無骨な剣が、一号の背中には背負われている。柄も鞘も傷とシミだらけで、使い古されていることがわかる。一号の背中に乗っかると、どうしても剣のあちこちが体に食い込んで、座りが悪い。

「ここ、持ってろ。俺の胸の前。ベルトがあるだろ? そこに掴まってるんだ」

 確かにそこには、背中の剣を胴体に固定しているベルトが袈裟がけになっていた。背中から手を回して、皮のベルトをぎゅっと握りしめた。

「これでいいの?」

「よし。すぐ登るから、ちょっとだけ我慢してろ」

「わかった」

 一号は、背負った私の重みを物ともせず、するすると猿のように一瞬でロープを登りきった。

「すごい! 私も鍛えたらできるようになる?」

「うーん、どうだろうな。まあ、今よりマシにはなるだろうけど」

 私を甲板に下ろすと一号は改まって、私の目をじっと見た。

「お前が来てくれて嬉しい。俺、もう世界に一人きりなんだと思ってたから」

「え? でも仲間がいるんじゃ」

「……見ればわかる」

 一号に誘われるまま、私は船内に入る。濡れ鼠になっている私と一号の足元に、小さな水たまりができた。

 割れたランプが不安定な光で室内を照らしている。煤けた部屋の中は、散らかって荒れていた。壊れた木箱や、割れた瓶、汚れた布があっちこっちに無造作に放り投げられている。でも、一番目を引くのは、あっちこっちに寝転がっている人間たちだ。申し訳程度に敷かれているぺらぺらの布団の上で、ぎゅっと身を寄せ合っている。真新しい無地の長衣は、街の服屋で見かけたものだ。粗雑な作りだけれどその分たくさん作れるようで、同じ型の服がたくさん店頭に出ていた。

「紹介する。俺の、仲間だ」

 一号は、布団の前に膝をついて、一人一人の顔を覗き込む。布団の上の人たちは、嬉しそうににっこり笑って、一号の手や顔に触れる。

「ただいま」

「あー」

「いい子にしてたか?」

「うぅ」

 みんな、赤ちゃんみたいな喃語を口にするばかりで、一号の言葉には答えない。

 その中に一人、ぼうっと虚ろな顔をして喃語すら発さない人がいた。金髪の、男の人。一号はその人の顔を見て、辛そうに唇を噛み締める。

「……そろそろなんだな」

 虚ろな顔の人は、返事をしない。一号がその人の頬を撫でた時、一瞬だけ目が焦点を結び、一号を見た。そして、体から力が抜けて、首がくたりと傾いた。

「どうしたの、その人」

「死んだんだ」

 一号は、死んでしまった人の瞼を閉じて、体を抱きかかえて、部屋を出る。どうするつもりなんだろう。私もそのあとについて行く。甲板の穴を避けて歩きながら船尾へ向かう。一号が歩くたびに、死んでしまった人の腕がプラプラと揺れる。

「どうして? どうして死んでしまったの?」

「上手に作ってやれなかったからだ」

 その言葉で、理解する。この人もホムンクルスだ。多分、一号が作ったんだろう。レンは、この近くでホムンクルスの製造が行われている可能性を話していた。では、レンの言う製造者が一号なんだ。

 船尾の端、海と船の境目に立った一号は、抱えた亡骸を海に差し出す。

「お前と、ちゃんと仲間になりたかったよ」

 最後にそう呟いて、一号は亡骸から手を離した。支えを失った体は、真っ逆さまに海へと落ちて行く。ドボン、と水音が聞こえて、亡骸が黒い海に飲み込まれたのがわかる。ここは、岩場と海の境界線だ。遠くまで浅く砂が積もっている砂浜と違って、少し先へ行けばすぐに深い海があるのだろう。あの人の亡骸は深く沈んで、海流に巻き込まれ、潮の流れに乗って海岸の骨の山にたどり着くんだ。

「ここでは、死んだ人間は海に流すんだって、レンから聞いた。あいつからまともにものを教わるのが珍しかったから、よく覚えてる」

「うん、私もさっき聞いたところ」

 これが、怪奇現象の正体か。あたりは真っ暗で、一号の顔がよく見えない。でも、声を聞けばわかる。きっとこの人は今、泣きそうな顔をしている。

「昔な、人間とホムンクルスが戦った戦争があったんだ。その頃は、多分まだお前は生まれてない。人間は、ホムンクルスを怖がって俺たちを殺そうとした。俺は、他のホムンクルスたちと一緒に、それに抵抗した」

 レンが言ってた話だ。ホムンクルスたちをたくさん殺処分したって。

「俺だけが生き残った。死んだ仲間たちの声が、未だに耳から離れない。みんな、死にたくなんてなかった。今でも夢に見る。死んでいった仲間たちが、「助けてくれ」「死にたくない」って呻くんだ」

 かける言葉も見つからない。私の大事な人は、この人にひどい事をしたんだ。

「だから、俺はさ。ホムンクルスの国を作りたいんだ。一緒に生きていく仲間がいて、人造人間だからって理不尽に殺されたりしない、そういう場所があったらいいなって。死んでいったあいつらが、「こんな所があったらよかったのに」って思っていたものを、実現したいんだ。もう、遅すぎるけどな」

 一号が、私の肩を掴んだ。力がこもっていて、痛いくらいだ。

「俺と一緒に生きてくれるか? きっと今、この世で俺と同じ立場なのは、お前だけ。お前のことをわかってやれるのは、俺だけだ」

 じっと、私の目に視線が注がれる。それがなんだか居心地が悪くて、私は目をそらす。

「あの人たち、布団の上にいた人たちは? あの人たちもホムンクルスなんじゃないの?」

 ギリッ、と歯をくいしばる音がした。ギリギリと、一号が奥歯を噛み締めている。

「あいつらは……。ダメなんだ。作ったそばから死んじまう。言葉を教える時間もない。さっき死んだやつを作ったのは、三日前だ。他のやつもじきに死ぬ」

「そんな……どうして?」

「わからない。だから俺はレンを探していた。きっとなにか、作り方の秘密があるんだ」

「それであの時、私をさらったの? 人質にするために? そんなことしなくても、普通に会いに行けばよかったのに」

 レンは、一号のことを悪く言わなかった。そんな回りくどいことをしなくても、よかったんじゃないだろうか。訪ねて行って聞けば、教えてくれなくはないと思うんだけど。

「馬鹿野郎。のこのこ顔だしたら殺されるに決まってるだろうが。俺は殺処分の対象なんだぜ?」

「……殺されはしないと思う。レンは、あなたが来るのを待ってた」

「まさか。顔も見たくないだろうよ。俺はあいつの汚点だ。忌まわしい過去そのものだ」

 二人の話が、食い違っているように思う。レンは、一号のことを「悪いやつじゃない」「話してみたら仲良くなれるかも」と私に説明した。一号の言うような、敵意は感じられなかった。

 ああ、でも、信じられない。レンは私に、平気で隠し事をするんだ。都合が悪いことは教えてくれない。ずっと私を導いていたはずのレンの言葉が、信じられない。

 ごうっと強い風が吹いて、大粒の雨が私たちに叩きつけられる。

「戻るぞ。あんまり冷えると良くない」

「うん」

 一号を一人にせず、一緒に生きていられるのは、私だけ。私はそういう風にできている。レンはそれを望んで、そのために私を作った。だったら、私はそれに応えるべきなんだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る