第13話 (ミライ)
宿屋の一階の食堂の、軽く煤をまとったランプの下で、私たちはテーブルを囲んだ。暖かみのある暖色の光の中、古い木のテーブルの上に料理と水が運ばれて来る。
晩御飯は、玉ねぎと魚の切り身をいい香りの油であえたサラダだ。木の実を絞って作られる油の爽やかな香りと、魚の身に乗っている動物由来の油のまったりとした香りが混じり合って、食欲をそそる。
「うお、あたしこんな料理初めて見る」
「ジンも? 私もだよ」
「内地では生の魚なんか食べたらお腹壊すからね。そりゃあ、あの街では見かけないよ。よし、ついでだし、魚以外の海のものも食べようか」
先に食べていなさい。と私たちに言って、レンは手をあげてお店の人を呼んだ。メニューを指差しながら、あれこれと頼んでいる。室内だというのにマントのフードを外さないレンを、お店の人は不審そうに見ている。
一口食べる。弾力のある魚の身に、まろやかな油が絡みついている。噛むと、シャリッと玉ねぎが音を立てて、爽やかな風味が現れる。おいしい。
もう一口食べようと、皿にフォークを突き刺したところで、レンが注文を終えた。私はフォークをレンの前に突き出した。恋仲の二人というのは食事を食べさせあいっこしてイチャつくと、本で読んだ。
「はいレン。あーん」
「僕は自分で食べられるよ」
「いいじゃん。食べてよ」
レンは困った顔をしていたけど、すぐに呆れたように笑って、私が差し出したご飯を食べた。
「うん、おいしい」
そこへちょうど、追加の料理が運ばれて来る。小さな火鉢の上に網がかけられていて、その上で巻貝が炙られている。上を向いた貝の口からは、プクプクと泡が噴き出していて、中の水分が沸騰しているのがわかる。香ばしくていい匂いだ。
「へえ、これも食い物なのかい?」
ジンが巻貝を不思議そうに眺める。火鉢の中で炭がぱちっと爆ぜて、ジンは慌てて身を引いた。
どうやって食べるんだろう。ひとまず手に取ろうとした私を、レンが止めた。
「熱いから気をつけて。かしてごらん。ちょっと食べ方にコツがいるから」
レンは、私の分の貝を掴んで、口のところにフォークを刺した。そして、くるっと鍵を開けるようにフォークを回す。すると、中からスルスルと螺旋状の貝の身が現れた。
「へー、そうやって食うのか。なるほど」
それを見たジンも、自分の貝を手にとってフォークを突き刺す。
レンは、フォークを私の前に差し出した。ちょうど、さっき私がレンにしたみたいに、あーん、ってされている。
「ほら、お食べ」
「わーい!」
生まれたてでまだ食器がうまく使えなかった頃、よくこうしてご飯を食べさせてもらっていたことを思い出す。自分でもくるっとやってみたかったけど、逆らう理由もない。こうやって食べさせてもらうのは、嬉しいし。
「んでさ、二人はなにしにこの街に来たわけ? 用事があったんだろ?」
口の中のものを飲み込んでから、ジンが聞いた。レンは、自分の分の巻貝をフォークで引っ張り出しながら答える。
「この街で不思議なことが起きてるからって、友達に調査を頼まれたんだ。どうやら錬金術師の領分の話らしくて」
レンはかいつまんで、ジンに事情を話す。その間に、真っ赤なカニが三つ運ばれて来た。ジンはレンの手の動きを真似して、黙々と殻を剥きながら話を聞いている。私も真似をして、カニの足を折った。関節を逆向きに曲げると、ずるずると白い身を引っ張り出すことができる。柔らかい身はほのかに甘くて、磯の香りがする。
「ほー、そりゃあ怖い。海岸に骨が、ねえ。でも、なんで骨が流れ着くのが錬金術師の領分なんだ?」
これは推測なんだけど、と前置きをしてから、レンは声を潜めて話す。
「海岸からそう遠くないところで、大規模なホムンクルス製造が行われている可能性が高い。だって、ほら。どう考えても流れ着く人数がおかしいだろう? この近くで、大量の人間が死ぬような事件は起きていないし、行方不明になった人がいるわけでもない。この事件で、消えた人間はいない。数が合わないんだ。だったら、どこかの誰かが人数を増やしている、と考えるのが妥当だ」
とん、とテーブルの上に、ガラスの皿に盛られた海藻の酢漬けが置かれた。ふくよかなおかみさんが、ニコニコ笑っている。
「観光の方? ごめんなさいね、せっかく来てくれたのに、海岸があんな感じで。前のもどうするかまだ決まらないうちに、また来ちゃって。でも、この街には他にもいいところあるから、楽しんで」
言うだけ言って、おかみさんはすぐに次のテーブルへ向かっていった。
「この前? 前にもあったの?」
まるで、以前にも似たような事件があったような口ぶりだ。
「ああ、そっちは大丈夫。原因も犯人もわかってるから」
「じゃあ、その犯人がまたやってるんじゃないのか?」
海藻の酢漬けを口に入れたジンが、酸っぱそうに顔をしかめた。私も同じように海藻を食べる。さっぱりした酸味が、いっぱいになりかけのお腹をしゃんとさせてくれる。
「違うよ」
「なんでわかるんだ?」
「前回の犯人は、僕だから。で、今回に関しては、僕はなにもしていない。単純な話だろう?」
なんだか、レンが遠い人のようだ。彼には私の知らない過去がある。
一号に言われたことを思い出す。「お前は、なんのために作られた?」私は、それを知らない。もしかしたら、この事件に関係があるのかもしれない。
「あんたが犯人?」
「そうだ。昔、僕はホムンクルスの製造方法を発見した。画期的な術だったから、みんなが注目した。僕は、どんどんホムンクルスを作った。でも、世の人たちは次第に、得体の知れないホムンクルスたちを怖がるようになった。錬金術組合……、錬金術師たちの自治組織みたいなものだね。そいつらは、僕を異端として処分し、ホムンクルス製造を、秩序を乱す禁忌と定めた。僕は、増えすぎたホムンクルスたちの処分を命じられて、……みんな死んだ」
知らなかった。そんなことがあったなんて。
「じゃあ、一度目に海岸に流れ着いた骨は……」
「僕が殺処分にしたホムンクルスたちだよ。引き取ってくれる墓地がなくて、海に流したんだ。僕が怖い?」
知らなかった。教えてくれてもよかっただろう。
「いや、別に? 怖くねえよ、あんたみてえなモヤシ。むしろ納得だぜ。じゃあミライはその時に作ったやつの生き残りってことか?」
「ううん。違うんだ。ミライは……」
「まあ、言いにくいならいいや。むしろ良かったのかよ。そんなことあたしに聞かせちまってさ」
「隠すようなことでもないからね。言いふらすようなことでもないけど、黙ってたからって過去は消えない」
私には隠してたくせに。話すタイミングなんて、いくらでもあったはずだ。
「なんで教えてくれなかったの?」
思わず、責めるような声が出た。レンに対してこんなモヤモヤした感情が湧くなんて、初めてだ。
「ごめんよ。ミライにはまだ早いと思ってたんだ。でも、いい機会だし話しておこうかと」
「早いってなに! ごまかさないで!」
レンは、都合の悪いことを私に黙っている。一号が言っていた通りなのかも知れない。私は、あまりにも知らないことが多すぎる。他にも、隠し事をされているかも。
「ごめん。どうか怒らないで。僕のかわいいミライ」
「もう一つだけ教えて」
予感がある。
これを聞いてしまったら、もう元のようには戻れない。唇がわななく。うまく、声が出せない。
「レンは、どうして私を作ったの?」
「一号のお嫁さんにするためだよ」
「……ひどい! 勝手に決めないで!」
私は椅子を蹴って立ち上がり、つかつかと早足で部屋に戻った。レンとジンが私を呼ぶ声が聞こえるけど、振り返る気にはならない。今はレンの顔を見たくない。
ベッドに飛び込んで、枕を叩く。
「ひどい」
最初から、勝手に決めてたんだ。だから私の気持ちに応えてくれなかったのか。レンには、初めから私と向き合う気なんてなかった。もう知らない。拗ねてやる。
コンコン、とガラスを叩く音がした。雨粒とは違う。不審に思って窓を開けると、一号がいた。
「迎えに来た。もう大丈夫だ」
一号が、私に手を差し出した。ずぶ濡れの手から、雫が落ちて床に点々と垂れる。
ああそうか。納得が胸に落ちてくる。だから、レンは人さらいが追ってきているって聞いても、平気な顔をしていたんだ。一号が私をさらって行くのを望んでいたから。
私は一号の手を取った。窓枠を飛び越えて外に出た途端に、豪雨が体を叩く。
レンの望む通りに振る舞えば、彼は喜ぶだろうか。
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