第3話 (ミライ)

 山を降りて、街道を進む。運良く通りかかった馬車の荷台に乗せてもらって、揺られながら外の景色を眺める。草原の向こうに地平線が見える。背の低い草を、風が撫でていく。

「どこへ向かっているの?」

「僕の昔馴染みのところだ。出発前に顔を出さないと拗ねてしまう」

 レンは、顔を隠すようにマントのフードを深くかぶっている。白い肌も、白く長い髪も、日の光に晒されることはない。

「そうじゃなくて、旅に出るからには目的地があるんでしょう? 最終的にはどこへ行ってなにをするの?」

「目的地なんてないよ。君に世界を見せるだけ。気に入った場所があればそこに住み着いたっていい」

「私のための旅なの?」

「そうだよ。僕のかわいい子」

「かわいい? 私のこと好き? 私に恋した?」

「してないなあ」

 馬車は町の中へ入った。レンが言った通りだ。人間がたくさんいる。

 馬車から降りる。送ってくれたおじさんにお礼を言って、レンは歩き出す。道幅の広い、赤煉瓦の敷かれた道だ。両脇では市場が開かれていて、色とりどりの売り物が並んでいる。

 密度の濃い赤色の干し肉、艶のある果物や野菜、麻を織って作った服に、動物の皮でできた靴。そういういろんなものを売っている場所があるということは、レンから聞いていたけど、実際に見てみると心が踊る。

「レン! あそこに綺麗な石を売ってる店が……。あれ?」

 雑踏の中に、私の声に反応する者はいなかった。早速はぐれたらしい。

 こういう時は、騎士か兵士か自警団か、その手の治安を守るのが仕事の人間に声をかければなんとかしてくれるとレンが言っていた。

「えーと……」

 そういう人間は、どこの地域であってもきっちりかっちりした雰囲気の服に身を包み、武装しているのが常らしい。

 辺りを見回す。絹のチュニックを着た貴婦人、木綿の上着を羽織った男の商人、麻のズボンを泥だらけにして走り回っている子供達。

「あの人かな?」

 黒い鎧を着た男の人が目に入った。髪も目も真っ黒で、わずかに見える肌が病的に白い。目立たない路地の奥で、じっと雑踏に目を凝らしている。見回りだろうか。

「すみませーん」

「今忙しい」

 男の人は、私の方には一瞥もくれず、雑踏から目を離さない。

 仕事をサボろうというのか。けしからん。

「人を探してるんですけど」

「忙しいって言ってるだろ」

「色白で、髪も白くて、目は金色で。あっ、でも今はマントつけてるからわかんないかも。あなたと一緒くらいの背格好の男の人……なんですけど……」

 話すごとに、甲冑の人の目が見開かれていく。

 そしてようやくこっちを向いて、男は固まった。

「ミュウ? お前ミュウか?」

 誰かと間違えてるんだろうか。知り合いに似てるとか?

「うん? 違いますよ」

 そう答えると、男は一度目を閉じて、息を吐いた。動揺しているんだろうか。

「お前はその男とどういう関係だ?」

「恋人です」

 嘘っぱちだけど、まあいいだろう。言い続けていたら本当になるかもしれない。外堀を埋めるというやつだ。

「恋人? お前が? あいつの?」

「あっ、もしかしてレンの知り合いですか? それは良かった」

 がっ、と強い力で手首が掴まれた。鎧の男の目には、強い殺気が宿っている。男は、暗い路地裏の奥へ私を引っ張って行こうとする。

「来てもらおうか。やつをおびき出す餌になってもらう」

「ぎゃー! 離せー! 人さらいー!」

 話しかける相手を間違えたようだ。どうしよう。多分勝てない。

 私の抵抗なんか物ともせず、鎧の男は私を小脇に抱えて歩き出す。困った。

 無駄だとはわかりつつジタバタもがく。せめて一矢報いてやりたいけれど、圧倒的な腕力の差が恨めしい。なにか、手はないか……。

「このー! すっとこどっこい! ふざけるなー!」

「やかましいやつだな。あいつがこんな女が好みとは知らなかった……」

「うっさい! いいでしょ別に!」

 カーン、と甲高い音が路地裏に響いた。カーン。もう一回鳴った。カーン。上空から飛んで来た石が、男の鉄兜にぶつかっている。

「おーい! そこの自警団の旦那! 人さらいだ!」

 屋根の上から、少女がこちらに石つぶてを投げつけている。近くに自警団がいるらしい。大声を出せば助かるかもしれない。

「たーすーけーてー!」

「あっ、こらっ! 暴れるな!」

 鎧の男が焦り始めた。チャンスだ。

「ひーとーごーろーしー!」

「殺すとは言ってないだろうが!」

「ちょっと! 変なとこ触んないでよ!」

「触ってねえ! ぶっ殺すぞ!」

「やっぱり殺すんだー! 助けてー!」

 屋根の上の少女が、町の大通りに向かって声を張った。

「そうそう! こっちだこっち! 急いでくれ!」

 甲冑の男は、チッと軽く舌打ちをすると、私をその場に放り出して去った。人のいない薄暗い方へ、足早に駆けていく。

「た、助かった?」

「よう、危ねえとこだったな。助けてやったからお駄賃くれよ」

 少女が、身軽にスタッと私のすぐ隣に着地した。すごく身軽だ。癖の強い赤毛がふわっと風で揺れた。ツギハギのボロ布を服のように纏っている。クリクリとした瞳が、山で見かけたリスみたいだ。

「助けてくれてありがとうね。ごめん。お金は持ってないんだ。でも、あなたは命の恩人だね。ちょっとレンに頼んでみる」

「連れがいるのか?」

「うん。私の旦那なんだけど」

「さっき恋人って言ってなかった?」

「言霊、っていうのがあるらしいじゃん? 言い続けてたら本当になるんだって」

 少女はカラカラと笑って、ポンポンと私の肩をたたく。

「なるほど、察した。あんたが勝手に言ってるだけで向こうにその気はないんだな」

「そんな人を哀れむような目で見ないで。いいの。いずれ本当になるんだから」

 少女の視線から逃れたくて、顔をそらす。街道の方を見ても、誰かが来る気配はない。

「……自警団の人、来ないね」

「あ? ホラに決まってんだろ。そんな都合よくその辺にいるわけない。で? その旦那はあんたをほっぽってどこ行っちまったわけ?」

「うん、はぐれちゃったの。どこかで見かけなかった? 白い髪に金色の目の背が高い人なんだけど」

「白い髪? 見てねえな」

「うーん、困った」

「しょうがねえ。乗りかかった船だ。探すの手伝ってやるよ」

「いいの!?」

「そいつからお駄賃ふんだくってやる予定だしな。あたしはジン。よろしく」

「私はミライ。ありがとう」

「そんで、その未来の旦那は、今のところ本当は、あんたとどういう関係なんだい?」

「うーん、親代わりだってレンは言ってる。彼、私を作った錬金術師なの」

「は? 錬金術師? 作った? あんたを?」

 私を見上げるジンの眉毛がつり上がり、目が大きく開く。そんなに驚くことなんだろうか。

「うん。私はホムンクルスなの」

「マジで言ってるのか? ホムンクルスってえと、鍋に材料突っ込んで人間を作るあれだろ? ホムンクルスを作るのは大罪なんだって聞いてるけど。あたしみてえな浮浪児でも知ってる」

「え? そんなことレンは教えてくれなかったよ」

「……そいつのところへ帰るの、やめたほうがいいんじゃないか? どう考えても稀代のワルだぞ」

「ダメ。帰る」

「でも、そいつは禁忌に触れた大罪人で、そのことをお前に黙ってたんだぞ」

「ミライ! こんなところにいた! 探したよ!」

 背後から、聞き慣れた声がした。振り返ると、レンがこっちへ走って来るところだった。フードの中の顔にはうっすらと汗が滲んで、髪が顔に張り付いている。

「レン!」

 その顔を見たら、今感じていた不安は一気に吹き飛んだ。レンが、この子が言うような悪い人のはずがない。

「ねえレン、この子になにかあげられない? 命の恩人だから、お礼がしたいの」

「この子? 誰もいないぞ?」

 そう言われて振り返る。いつのまにかジンは姿を消していた。

「あれ? さっきまでここにいたんだけど」

「なにかあったのか? 命の恩人って……」

「人さらいにさらわれかけたところを、助けてもらったの。お礼をしたかったんだけど、お金持ってなくて」

「人さらいだって!?」

 がしりと肩を掴まれ、顔を覗き込まれる。レンの目に、はっきりと焦りの色が見える。

「怪我はないかい!? なにもされなかった?」

「痛い痛い! 大丈夫だよ」

「ああ、良かった。一人にしてごめんよ。怖かっただろう」

「ううん。こっちこそ勝手に離れてごめんなさい」

 レンの腕が、私の背中に回る。暖かい。私もレンの背中に手を回す。ちょうど、私の鼻の頭がレンの鳩尾に当たる。

 こんなに優しくて、私のことを心配してくれるレンが、ジンの言うような大罪人のはずがない。

「行こう。遅刻気味だから、きっと怒ってる。昼前にはつくって手紙出しちゃった」

「これから会うっていう昔馴染みさん? 怖い人なの?」

「いいや? いいやつだよ。ただちょっとうるさいんだ」

 レンが、私の手を引いて路地裏から街道へ出る。急に明るくなって、私は眩しさに目を細めた。

 私の手は、指をひとまとめにされて握られている。はぐれないための予防策だろう。やっぱり私は子供扱いされているようだ。

「レンの手は大きいね。それに硬い」

「まあ、色々危ないもの扱うからね。火とか薬とか。皮が硬くなってるんだ」

「恋人繋ぎしていい?」

「どこで覚えてきたんだそんなこと」

「本に書いてあったの」

「そんな本あげたっけ?」

「あったんだからもらったんじゃない? ねえ、いい?」

「しょうがないな。離しちゃダメだよ」

「はーい」

 指を絡めて、硬く握る。暖かい。さっきまでよりも、触れている面が多いような気がする。形から入ってみたらそのうち本当になったりしないだろうか。

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