第108話 おじさん、別れを惜しむ

「なあ、いつでもかえってこいよな、カレン!」

「カレンちゃん、とおくにいっても、あたしのこと、わすれないでね」

「ボク、手紙書くから! いっぱい書くからねっ」

「……王都のお土産、楽しみにしてるからな」

「ああああああああガレンぢゃああああああああん、ざびじいいよぉおおおおおおお」


 山盛りの花束とプレゼント、そしてたくさんの友達に囲まれて、カレンは少し照れくさそうだった。


「みんな、ありがとー。ちょっとさみしいけど……でも、カレン、立派な魔法使いになってかえるから」


 母親譲りの黒い瞳に、強い意志をみなぎらせて、


「そしたら、また、一緒にあそぼうね。約束だよっ」


 ……カレンのお別れ会に参加してくれたのは、村の学校に通う生徒と教師だけじゃなく、その家族まで。

 結局、村を挙げての大イベントになってしまった。


 会場は、いつもの冒険者ギルド。


 居合わせた顔なじみの冒険者達も、一緒にテーブルを囲んでくれた。

 いつもだったら強引に勧められるエールは断るところだけど、今日だけは別だ。


「センセーとカレンちゃんの新しい門出に! あと、チヅル嬢ちゃんの幸せにっ」

「かんぱーい! あー、でもマジ寂しくなるよねー」

「そうだよなあ、この村に来たらカレンちゃんとアル先生に会えるー、って思ってたもん、オレ」

「アンタはチヅル目当てでしょうが、クソボケ!」

「……まあ、我々が王都に行くこともあるだろう。その時は、な」


 口々に別れを惜しんでくれるが、冒険者達の表情は決して暗くない。


 彼らはみな、旅人だ。

 今日の別れが永遠でないことは、よく知っている。

 再会が約束されていないことも、同じく。


「うううううぅうおえ、アル、アル、アルぜんぜぇ~っ!! いがないでよぉ~っ!!」

「ちょっとサリッサ、あなた泣きすぎじゃな――うわ、汚っ、鼻水! あとケチャップもついてんのよ、バカ! なすりつけんじゃないわよっ」

「ホントうるさいっすね、メリッサ姐さんは……アルフレッドの旦那、王都に行ったらウェル商会をご贔屓に! 辺境のアインからの紹介だって! 是非に!」

「こんな時に商売っ気を出すな、小娘が! まあお前さんにとっちゃ凱旋じゃ。たまにはこっちにも顔を出すんじゃぞ、アル坊」


 村人達にとって、別れは重いものだ。

 彼らの半数以上は、この辺境を出ることなく日々を暮らしていく。

 これが今生の別れとなることも、当然ありうるのだから。


「三年前。ボロボロだった僕達家族を受け入れてくれた皆さんには、いくら感謝してもし切れません。こうしてまた、暖かく送り出していただけることにも。本当に……本当に、ありがとうございました」


 我ながら、下手くそな挨拶だったと思う。カレンの方がずっとしっかりしていた。

 けれど、みんなは温かい拍手を送ってくれた。

 僕らの行く末に。


 ……一通りの挨拶回りを終えた後、酒場のポーチに出る。

 人々の熱気とたっぷりのエールで火照った頬を、冷ますために。


 春が近づいているとはいえ、日が落ちれば夜は凍てつく寒さだ。

 白く凍った吐息が、溢れる明かりの中で煌めきに変わる。


 ふと、思い出す。


(……そういえば。初めてこの村に来たのも、こんな季節だったな)


 三歳の冬。

 テレジア先生に手を引かれてやってきたときのことは、今でも覚えてる。

 思えばあれが、記憶に残っている最初の風景かもしれない。

 

 ……今日からここが、あなたの故郷よ。

 いつか出ていくことになっても、それは変わらないわ。


 先生はそれだけ言って、僕を迎えてくれた。


(厳しいけれど、優しい人だった。最期まで)


 宮廷魔法士として召喚を受け、王都に旅立つとき。

 テレジア先生は痩せてしまった手で、僕を撫でながら言った。


 ここは、あなたの故郷よ。

 いつか帰る場所が欲しくなったら……思い出しなさい。


(……はい。先生)


 僕は、ポーチの手すりに身体をあずけると、もう一度深く息を吐いた。


 と。

 投げつけられた分厚いマントを、反射的に掴み取る。


「明日から長旅だろ。風邪でも引いたらどうする」

「ありがとう、エレナ」


 自身はマントというか、毛皮そのものを肩に巻きつけながら、エレナが店内から出てきた。

 僕の視線に気づいたのか、金色に輝く毛皮を軽く持ち上げて、


「昔狩ったナインテイルズフォックスの皮だ。丈夫だし暖かい」

「そりゃあ、何百年と生きるモンスターだからね……」


 そういえば昔、王都の新聞に載ってたな。

 あの災害級モンスターを討伐した冒険者が十数年ぶりに出たとかなんとか。

 エレナのことだとは思わなかったけど。


「テレジア先生のことを、思い出してさ。こんな時だからかな」

「……悪いことしたよな。あたし達二人とも、死に目に立ち会えなかった」


 テレジア先生が亡くなったことを知ったのは、村を出て二年後だった。

 僕は自分の研究に夢中で連絡をおろそかにしていたし、エレナもまだ駆け出しで、辺境に戻っている余裕はなかったらしい。


「……次の仕事は決めたの? エレナ」

「いや。ギルドの連中は毎日のように依頼票を送ってくるけどな。もう、冒険者って気分じゃないし」


 ドミニクの裁判が終わったことで、僕は赦免された。

 それはつまり、エレナが請け負ってきた監視係としての仕事が終わった、ということでもあった。


「三年も屋根のあるところで寝起きしたら、あんな暮らしには戻れないぞ。暑いし寒いし臭いし虫やらモンスターやらに刺されるし、最悪だぞ、ホントに」


 笑いながら語る様子は、満更でもないように見えたけれど。

 僕はふと思い立って、


「教師は? オリガだって立派に育てられたんだし」

「アレは、アイツ自身の力だ。あたしは剣と鎧をくれてやっただけ」

「そうかなあ、きちんと指導してたと思うけど」


 ……二人の来訪者ビジターと渡り合い、砦を守るという偉業を成し遂げたオリガは、間もなくランク昇格を認められた。

 それでもまだユーリィには及ばないと、さらなる実績を積もうと村を発ったのは去年の秋頃。

 今は新しいパーティを組み――多少のドジでは動じない、おおらかなメンバーらしい――、南方で依頼をこなしているとか。


「さっき、マリーアンの奴にも似たようなこと訊かれてな。次が決まってないなら、つなぎの仕事を用意するとさ」

「流石、優秀な人材は逃さない人だ」

「まだ逃げないとは決めてない。条件次第だ」


 エレナは不敵に笑って、ジョッキを傾ける。


 彼女ほどの腕があれば引く手あまただろう。

 三年もこんな僻地に留まっていたことの方が、異常なのだ。


「アル。お前こそ、どうするか決めたのか」

「……いや。まだ」


 エレナの溜め息は深かった。驚くほど。


「だから、言っただろうが。理屈や考えはどうあれ、子供はチヅルが産むんだ。つまりチヅルの子だと誰もが考える。もっと言えば、子供には必ず父親が存在する。母親だけじゃ産まれてこない。これも常識だ。だろ?」


 エレナの言うことは疑いようもなく正論だ。

 少なくとも、事情を知らない多くの人々はそう考えるだろう。


「産まれてくる子供とチヅルを守っていくなら、今の、後見人って立場じゃなくて、もっと都合の良い立場がある。違うか」


 ぐうの音も出ない。

 合理的に考えていけば、結論は出ているのだ。


 それは僕も分かっている……つもりだ。


「お前な……なんであたしがこんなこと言わなきゃならないんだ。こういう、オトナの判断はお前の得意分野だろ、お父さん・・・・

「その言い方、感じ悪いぞ」

「わざとだ」


 そもそも僕がオトナだということも、判断を微妙にしているのだ。


 亡き妻の姪。十歳以上の年齢差。子持ちの未亡人。婚前妊娠。

 問題のある要素を挙げていけばキリがない。

 世間体というヤツを取り繕うのが目的なのに、取り繕えない部分が多すぎる。


「……じゃあオトナの話は、一旦脇に置いとくとして」


 ごとん、とジョッキがテーブルに置かれた。


「チヅルのことはどう思ってるんだ」

「大切な家族だ」


 だから余計に悩むんだ。


「彼女には未来がある。この世界で生きる自由がある」


 そしてもちろん、誰かと出会って恋をして、結婚して、子供を作る自由も。


「例え仮初めでも、僕と結婚して子供を産むってことは、彼女の未来にとってマイナスになる」

「また随分と卑屈な意見だな」


 こんなことは僕だって考えたくない。

 でも、世の中の人間みんなが、どんな過去も受け入れてくれる訳じゃない。

 チヅルさんがこれから出会う、たくさんの人達が。


「なるほど。お前の考えはよく分かった。それで? お前自身の気持ちは?」


 ……僕自身の?


「オイオイ、らしくないな、アル。今まで話してたのは、お得意の考え・・ってヤツだ。いつもお前が切り離す方・・・・・はどうなんだ、って訊いてるんだよ」


 なるほど、そういうことか。


 テーブルに置いたジョッキを手で示すエレナ。

 僕はその誘いに乗った――半分以上残っていたエールを、一気に飲み干すと。


「好きだ、愛してる! ……これで満足?」

「ただし家族として、とか付け足すんだろ?」


 今夜のエレナは、随分と意地が悪い。

 いつもなら笑って流してくれるのに。


(……もしかして)


 ふと、思い至って。

 僕は体重を預けていた手すりから身体を離し――エレナを抱き寄せた。


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