第106話 JK、命を宿す

 体調の変化に気づいたのは、あの日――アルフレッドさんが蘇生を果たしてから、三ヶ月ぐらい経った頃だった。


 何を食べても泥のような味がする。すぐ戻してしまう。

 臭いにやたら敏感になって、特に焼き立てパンの香りが苦手になった。

 眠気もひどくて、気づけば一日の半分以上をベッドで過ごしてしまうこともざら。


 率直に言って、最悪の体調だった。

 異世界にやってきてから一番辛い時期だったかも知れない。


 わたしの異変にいち早く気付いたのはアルフレッドさんだった。

 顔を真っ青にして風邪から異世界特有の風土病まで医学書の知識を総動員した挙げ句、村医者のグウィネス先生のところまで付き添ってくれた。


 診察が終わるなり部屋に飛び込んできて、


「それで先生っ、診断はっ!? ロドリゴ・ミリゴ病!? それか清熱症ですか!?」

「うん。普通にご懐妊だね。三ヶ月か四ヶ月ってとこかな。おめでとう、チヅルちゃん、アルフレッド」


 え。


 ……わたしは、頭の中が真っ白になった。

 これでもかってぐらい。


 隣を見ると、アルフレッドさんも同じような表情だった。

 漫画だったら背景に「ぽかーん」って書いてありそうなぐらい。


 その日、ストラヴェック家は、とんでもない大騒ぎになった。


「えーっ! 赤ちゃん!? すごい、チヅルおねーちゃん、おかーさんになるの!? すごいすごーい! おとなだー!」


 喜びを大爆発させるカレンちゃん。


「まあ、それは素晴らしい。お祝いをしないといけませんね」


 信じられないほど嬉しそうに微笑むル・シエラさん。


「どどどどどどどどういうことだッ、オイどういうこと、ど、どういうことだァァァァアルゥゥゥゥゥッ!!」

「ひどいひどいひどいっ、抜け駆けなんてズルいですよっチヅルさん!!」

「ナンダもう、もうイイのカ? エッチなの解禁なのカ、アルフレッド? それナラそうと早く言ってクレれば」


 それぞれのテンションでそれぞれに騒ぐエレナさんとユーリィさんとデズデラさん。

 あと、混乱したエレナさんに振り回されたせいで、部屋の隅でぐったりしているオリガさん。


「えーと。ごめん、あのね。まず誤解が無いように言っておくんだけど……僕とチヅルさんは確かに家族だけど、そういう関係ではありません」


 その通りなんだけど、みんなの前ではっきり宣言されると、何故かちょっと切ない気持ちになる。


「オイ嘘じゃないだろうな、アル? 下手に隠し立てすると、せっかく助かった命を無駄に散らすことになるぞ」

「ちょっとエレナさん、大人げなさすぎですよっ! 二人には二人のペースがあるんですから、ここはまず温かく見守って」


 動揺しすぎて真剣を抜きそうになるエレナさんを、ユーリィさんが止めてくれている。

 でもなんか微妙にちゃんと伝わってない気がする。


「あの、本当です、その、わたしとアルフレッドさんは、そ……そ、そういう、恋人的な、関係ではなくって」


 うう、恥ずかしい。

 顔が真っ赤になっているのが、自分でも分かる。


「……そういう関係って、なに? ル・シエラ」

「あとでお父さんに聞くのが良いですよ、カレンちゃん」


 カレンちゃんに裾を引っ張られ、にっこり微笑むル・シエラさん。

 喜んでいるのか面白がっているのか、どっちだろう。


「違うんです! その、というかアルフレッドさんが、とか、そういう以前に、わたし、あの、まったく全然……経験がなくて……」


 沈黙――何とも言えない妙な静けさ。


 うううう、なんで大勢の前で、こんな恥ずかしいことを告白しなくちゃいけないんだろ……

 隣に立っているアルフレッドさんの視線が辛い。


「えええと……ごめん、チヅルさん、その、僕のせいで、プライベートな話をさせてしまって」

「いえ、あの、平気です。アルフレッドさんにご迷惑をかける訳にはいきませんし」


 女神ムール・ムースに誓ってわたしには経験がないし、アルフレッドさんに責任も無い。


 じゃあ、一体どうやって妊娠したのか?


(……心当たりは、ある)


 わたしは、「温かく見守りますっ★」「でも抜け駆けはひどいですっ★」「ユーリィもそういう関係になりたいっ★」「でも子供は大丈夫ですっ★」「ユーリィ達にはカレンちゃんがいるしっ★」とかなんとか、虚ろな目で宙に向かって話し続けるユーリィさんの肩を揺さぶってから、


「ユーリィさん、お願いがあるんです」

「は、え、はい、お祝いは性別が分かってからの方がよいかと」

「そうじゃなくって! ……シズカさんに、会いたいんです」


 彼女なら――すべてを見通す【霊素眼エーテル・アイ】を持つシズカさんなら、わたしの仮説を証明してくれるはず。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ……ユーリィさんが冒険者ギルドを通じて王立魔法研究所に手紙を送ってから、数週間。


 村に到着したシズカさんは、馬から降りるなり、


「ママ! 結婚おめでとう!」


 訳の分からないことを叫びながら、わたしに抱きついてきた。


「だから違いますってば! そういうのじゃなくて――もう、手紙に書いたじゃないですかっ」

「そんなに恥ずかしがらなくてもいいよ。アタシ、心から祝福する。ホラこれ、王都で流行ってる育児書。あと貴族御用達のメゾンで仕立ててもらった赤ちゃん用の肌着と、それから職人手製の知育玩具と、絵本と、初等教育向けの教材と」


 この人、こんなにテンション高かったかな?

 『死の世界アンダーワールド』で会ったときは、もっと影を背負ってた気がするんだけど……


「だから、その! ……シズカさん。あなたの眼で、視てほしいんです。わたしのお腹を」

「……子供の性別って、この世界の医療技術だと、まだ分からないの?」


 違います! シズカさん、わたしの手紙を全然読んでない!


「この子が……どうやって出来たのか・・・・・・・・・・を」


 改めて説明を始めると、シズカさんはようやく真剣な表情に戻ってくれた。


「その。わたしも確信があるわけじゃないんです。でも、この妊娠は、普通のやり方……ええと、普通の方法で起きたんじゃないのは、分かってます。だとしたら」


 わたしとシズカさんが同時に思い浮かべたのは、遠い故郷――地球で最も有名な神話だった。

 天使に受胎を告げられた、預言者の母親。


「……それ、本気なの?」

「そんな歴史を動かすようなすごいことが起きたとは思いませんけどっ、でもここは神も魔法も実在する異世界だし……何かの奇跡があってもおかしくないかなって」

「まあ確かに、アタシ達のチートだって、もとは神様の奇跡みたいなもんだし、実際一度は死んだパパを蘇らせたり――」


 そこで、シズカさんはふと気付いたように、


「あ。もしかして、この子……あのとき・・・・に?」

「分からないんです。でも、計算は合うし、他の可能性は無いし……」

「無い? 可能性が? ……本当にゼロなの? パパと一緒に暮らしてるのに?」

「さっきから言ってるじゃないですか! もう!」


 みんな、わたし達のことをどう思ってるんだろ。


(少なくともアルフレッドさんは、わたしのことを)


 娘のように思ってくれてる。

 カレンちゃんと同じぐらい、大切に。


(じゃあ、わたしは――)


 好きなの? アルフレッドさんのことが?

 それって……恋愛的な意味で?


 ……とにかく。

 わたしはシズカさんを、アルフレッドさんの家まで案内した。


「パパ! ……会いたかったです」

「やあシズカ、久しぶり。元気そうで何よりだ」


 出迎えたアルフレッドさんを見るなり、シズカさんの頬は薔薇色に染まる。


 わたしに言わせれば、なんていうか、シズカさんの方がよっぽど可能性・・・がありそうに見える。

 だって彼女は美人で大人っぽくて、頭が良くて、意志が強くて、王立魔法研究所で最先端の魔法を学んでるし。

 何より、自分の気持ちに正直だから。


 そんな風に思ったのは、わたしだけじゃないみたいで。


「……やっぱりか、アル。やっぱりいたんだな――チトセ以外の女が」

「ええええ、なんでよエレナ!? どこからそんな結論に!?」

「その娘、お前のことをパパと呼んだだろうが。過去に踏ん切りをつけたのは結構だが、手元に隠し子を呼び寄せるとは……良い身分だな、オイ」


 物凄い勢いで、リビングの空気が凍てついていく。


 エレナさんは本気だ。

 本気で怒っている。だって、右手が剣の柄にかかっているから。


(……あの、エレナさん、落ち着いてください、全部誤解なんですけど……)


 って言おうとしたんだけど。


 声が出ない。喉が動かない。

 気を抜いたら、このまま気を失いそう。


 ……結局、寝坊したユーリィさんが家にやってくるまで、その場の誰もが動けなかった。

 動けば殺される、という確実な予感だけがあって。


「……なんだ。つまり、この娘――シズカも、アルの弟子ってことか? バカ、それならそうと早く言え! まったく、お前はいつも説明が足りないんだ」

「説明させてくれなかったのは君だろ、もう!」


 ようやく笑顔が戻ってきたエレナさんは、


「で? シズカ。お前なら分かるのか? チヅルの子どもの、父親が」


 それはそうなんだけど、厳密にはそうじゃなくて……

 答えに迷うシズカさん。


 アルフレッドさんは半分諦めた顔で、


「ああ、まあ、そんなところ。……でいいかな、チヅルさん」

「はい。その、大丈夫です」


 アルフレッドさんには、わたしの仮説を話してある。

 ある意味で、わたしよりもずっとシズカさんを心待ちにしていたと思う。


 シズカさんは、ソファに腰掛けたわたしの前に膝をつくと、まだ膨らみの目立たないお腹に手をあてて、


「それでは、始めます」


 左眼の眼帯を外した。


 ふわっ――と、つぼみが開くように、精緻な魔法陣が展開すると。

 すべてが光の粒となって、わたしの下腹部へと吸い込まれていった。


 ……しばらくして。

 シズカさんは黒革の眼帯を戻した後、深く息を吐いた。

 秀でた額には、玉の汗が浮かんでいる。


 【霊素眼エーテル・アイ】の使用には、高い集中力が必要になる。決して楽じゃない。

 もしかしたら、わたしの【奪う左手トゥ・ハンド】よりも疲労は激しいのかも。


「……分かりました」


 シズカさんは、わたしとアルフレッドさんを見上げて、はっきりと頷く。


「チヅルちゃんの仮説は、正しいです」


 これでようやく、確信が持てた。


 わたしの身に起きた、この思いがけない出来事は正真正銘の奇跡だ。

 もちろん、地球の神様や異世界の女神ムール・ムース様が起こしたことじゃない。


 わたしがしたこと、わたしが選んだことの結果。

 わたし自身が起こした、奇跡。


「……オイ、なあ、三人とも。納得してるところ悪いが……あたし達にも結果を教えてもらえないか?」

「そうですよっ★ いいんですか? 素直にお祝いしてもいいんですかっ?」


 そわそわしているエレナさんと、うずうずしているユーリィさん。

 二人に詰め寄られて、流石のシズカさんもたじろぐ。


「ええっと……どこから説明すればいいんです?」

「とにかく父親だ。あたしは、そいつがどんな男か見極めなきゃならんからな」


 まるでわたしの父親みたいな発言。

 エレナさんみたいな人が親だったら、嬉しいかな。……嬉しいけど、ちょっと大変そうだな。


「父親、ですか……そうですね。この場合、父親に相当するのは」


 シズカさんは顎に手をあて、少し考えてから言った。


「ユーリィさんです」


 ……ストラヴェック家は。

 またしても、とんでもない大騒ぎになった。

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