第105話 おじさん、前を向く

 チヅルさん達の尽力のおかげで、僕はなんとか死の淵から生還することができた。


 いや。

 正しくは一度死んでから、文字通り生まれ直した・・・・・・のだけど、そのメカニズムについて詳しく語るのは止そう。


 一度エレナに説明してみたら、


「うるさい黙れ。何が再現性だ、またこんなことをしでかしたら今度はあたしが直々にバラしてやるからな」


 と怒られたからだ。

 ……肉体をバラバラにされたらこんな荒業は絶対使えないし、僕は口をつぐむことにした。


 まあとにかく、僕のことはそんなに問題じゃない。

 確かに蘇ってすぐは、肉体と魂のつながりが弱すぎて、立ち上がるどころか口も利けなかったし――要するに赤ちゃんと同じ状態だったんだと思う――、素材・・となった霊素エーテルが極めて特殊な状態だったせいで、しばらく幻覚や幻聴にも悩まされた。


 ついでに言えば、見た目も多少変わった。

 赤かった髪は白くなり、目の色も緑から赤に。

 村に帰ってきたばかりの頃はみんなに驚かれたけど、一週間もすれば慣れた。


 でも、こんなのは本当に大したことじゃない。


「師匠、まさか直々に来てくださったんですか! こんな季節に研究所を出るなんて、何十年ぶりですか?」

「いやなに、フレデリカ君に、健康のためにはもう少し外に出たほうがいいと言われてね。言われてみれば、昔、洞窟に十年ぐらい閉じこもってたら背中にキノコが生えたの思い出したよ。アレはどうも寝心地が悪くて嫌だったなー」


 コートの肩に積もる雪を払い落としながら、モルガン師匠は相変わらずの調子だった。


 いかにも気軽な様子だけれど、ここは、もとより雪深い北方の、更に辺境にある村だ。

 常人なら王都を出て三日で遭難だというのに、疲れた素振りも見せない。


「すいません、師匠が来るなら、アイスベアーでも用意しておいたんですけど」

「いいよ、気を使わなくて。私も手土産を忘れちゃったしね」


 器用に車椅子を操作してティーテーブルの前に陣取った師匠は、置かれていたティーカップに口をつけると。

 盛大に吹き出した。


「――……ッ! これ! なんだこれ! マッズ! え、生き血? 悪魔の生き血!? ル・シエラか! やってくれたな、ル・シエラーッ」

「あら失礼。どうも、とっておきのアレと間違えてしまったみたいですね。うっかりうっかり、うふふふ」


 いつからそこにいたのか、リビングの片隅でル・シエラがほくそ笑んでいる。

 師匠は反射的に破壊的な魔法を繰り出そうとしたが、僕は手のひらを上げて押し留めた。


「すいません師匠、勘弁してください、流石に家を吹き飛ばされるのは困ります」

「むーっ、でも、あーっ! あとで! 絶対あとでひどい目に遭わせるからな、もう、ホント吠え面かかせるからなーっ!」


 紅茶色の唾を撒き散らしながら、師匠が叫ぶ。

 ル・シエラはあからさまに見下した表情で鼻を鳴らすと、台所へ引っ込んでいった。


 ……二人とも数百年は生きているのに、どうしてこんなに大人げないんだろう。


「なんだいアル君、その顔は。まさか一度死んだぐらいですっかりオトナのつもりかな? 一人でトイレにもいけないくせに」

「トイレはいけますよ。いくつだと思ってるんですか」

「三歳。あ、違う、三十歳? ほんと、ニンゲンの年齢はすぐ分からなくなる」


 そんなダイナミックな計算間違え、あります?


 モルガン師匠は、何気なく僕のティーカップを奪って、口をつけ。

 もう一度吹き出した。


「ル・シエラァァァァァァァーーーーーーッ!!」

「あらあら、うっかりうっかり、うふふ」


 よかった、僕はまだ飲んでなくて。

 なんか嫌な予感がしたんだよな。


 ……とにかくなんとか宥めた結果、師匠はようやく落ち着きを取り戻してくれた。


「……で、ええと、何の話でしたっけ」

「畜生アイツ今度は二度と再生できないようにしてやるからな――えーと、こほん。そうそう。まずはドミニクの裁判の件だねー」


 ドミニク・アージェント=ボイル。

 王立魔法研究所の元副所長にして――地位と権力を得るため、街を一つ滅ぼした大罪人。


 ついたあだ名は“強欲王キング・グリード”、“虐殺者ジェノサイダー”……


「結果はもちろん有罪。例の事故の件だけじゃなくて、研究所の資金や人材の私的流用、資産の隠蔽やら犯罪教唆やら、余罪はたっぷりだよ。もちろん王立騎士団キングズ・オーダーへの攻撃――王権反逆罪もね」


 被疑者死亡のため、そのまま裁判は終了。

 共謀した罪で起訴された貴族や魔法使い達の捜査と裁判はまだまだ終わりそうにない、らしい。


「ドミニクを当主に据えていたアージェント宗家も同罪とみなされ、王家十二門キングズ・ファミリーの地位と領地は剥奪。家族はみんな流刑島送りだそうだよ」


 ドミニクの家族。

 妻のハンナ、息子のマシューとジェリー……研究所時代には、食卓をともにすることもあった。


 果たして彼女達は、ドミニクがしたことをどう思っているんだろう。

 そして、僕のことをどう思っているんだろう。


「考えたところで無駄だよ、アル君」

「……顔に出てました?」


 モルガン師匠は皿に盛られた焼き菓子を恐る恐るつまむと、慎重に匂いをかぎ、


「起きたことは変わらない。罪の精算なんて出来ない。生きていく他に、選択肢なんてない。……君も、骨身に染みただろ?・・・・・・・・・・・・


 それから、少しだけかじった。


 ……そうだ。

 僕は結局、死ななかった。殺しもしなかった。


 すべてを終わりにするチャンスを得たのに。

 最後の最後まであがき続けて、この世界へと戻ってきた。


 それがチトセの願いであり――僕の決断だったから。


(だからもう、生きていくしかない)


 いつか自分で納得するときまで、生き延びるのだ。

 どんな罪を背負うことになっても。


「まったく、こんなに早く君が死に損なう・・・・・とはねー。もう少し時間がかかると思ってたよ」


 焼き菓子に罠はないと確かめたモルガン師匠は、遠慮なくむさぼり始める。


「……その口ぶり。まさか、蘇生魔法のこと、何か知っていたんですか?」

「違うよ。私が使われた魔法も君達が使った魔法も、正しくは蘇生じゃない・・・・・・。別のものに変化しただけ」


 師匠は口いっぱいにクッキーをほおばりながら、


「私が皇帝に楯突いて処刑されたときは、十二人の弟子が犠牲になってくれてね。せっかく還ってきたのに、怪物だの異端だのと追いかけ回されて散々だったよー」


 ……初めて聞く話だった。

 確かに師匠は、ただのエルフや妖精種ではないと思っていたけれど。


 皇帝って、まさか女神暦以前に存在してた古代帝国の話?

 どれだけ短く見積もっても千年近く前の人物だ。


「まさか、僕も……師匠のような長命種に」

「どうかなー。ユーリィ君の魔法は、あの頃の弟子達よりずっと精密だし。私みたいな失敗作グリッチにはなってないと思うけど」


 あはは、と笑いながら、師匠はクッキーを飲み下した。


「……口の中、パッサパサ。なんか飲み物ないかなー?」

「ル・シエラの淹れたお茶しか」

「いらない。絶対いらない。ぜーったい、いらない」


 ブンブンと首を振って拒否。

 一応、僕も少しだけ舐めてみたけど――うん、これはダメだ。あとでル・シエラに文句を言っておこう。


「おっと、話が逸れちゃったね。まあ裁判のことはどうでもいいんだ。本題はね、アル君の今後について、なんだけど」


 銀縁眼鏡を指で押し上げ、師匠が珍しく居住まいを正す――


「――ただいまーっ、おとーさーん!」

「ただいま、です」


 玄関のドアが開き、飛び込んできたのは。

 頭から爪先まで、雪まみれでご機嫌のカレン。


 それから。

 大きくなったお腹・・・・・・・・を抱えた、チヅルさん。


「おかえり、二人とも」

「あーっ、モルガンおねーさんだ! あーそぼっ!」

「やあやあカレン君、チヅル君。元気そうだねえ」


 そう。

 僕がどうやって蘇ったとか、ドミニクの罪がどう裁かれたとか、それは大したことじゃない。


 一番、重要なことは。

 チヅルさんの身体に新しい命が宿った、ということだ。

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