第104話 JK、おじさんを創造する

 どんなに危険な魔法だろうと、密度が高かろうと。

 霊素エーテルを受け入れる感覚は、これまでと何も変わらなかった。


(ただ一つだけ、違うのは)


 声が聞こえる。顔が見える。

 感情が揺れる。意思を感じる。


 わたしの中に、誰かがいる。

 いいえ。


(誰もがいる――この街で消えた誰もが、わたしの内側に入り込んでくる)


 頭が痛い。視界がチカチカする。

 お腹の下の方を、内側からまさぐられているような不快感。

 柔らかくて温いものが、喉元までせり上がってくる。


 膝から崩れ落ちそうになるのを、誰かが支えてくれた。


「チヅルちゃん! しっかりして、大丈夫!?」

「意識を保ってください、飲まれたら終わりですよっ」


 シズカさんとユーリィさんが励ましてくれる。

 わたしも、まるで他人のものみたいな膝に、必死で活を入れた。


 立て、立つんだ、今倒れたら、一生後悔することになる。

 もう一度会いたいんでしょ。笑ってほしいんでしょ。


 なら、ここで、やらなきゃ。


「まだ――できるだけ、たくさんの、霊素エーテルが必要、なんですよね。ユーリィさん」

「はいっ、でも、チヅルさんが霊素エーテルに、飲まれてしまったら」

「大丈夫、これぐらい」


 今までアルフレッドさんが、わたしに与えてくれたものに比べたら!


 ――目眩はどんどん大きくなって、いつの間にか視界は真っ白になっていた。


 まるで女神様ムール・ムースと出会った場所のような。

 造物主がそこだけ手抜きをしたみたいな、純白の世界。


 白一色の空間をキャンバスにして、数え切れないほどの記憶が描かれては消えていく。

 子供の手を引く母親、仕事に励む商人、機織りに熱中する少女、窓の向こうの恋人を思う青年、腹を満たす冒険者、欠伸をする衛兵、日陰でうずくまる物乞い、客のパイプを受け取る娼婦、蝶を追う猫、猫に追われる蝶――


 そうか。

 これはきっと、霊素エーテルから消えていく情報――わたしが奪う思い出達。


 胸の底で疼く罪悪感に、蓋をする。


(わたしは、やるんだ)


 どんなに罪深い行いだとしても。


 ふと、目に留まった記憶。

 駅前の雑踏の中で、知り合いの顔を見つけたような感覚。


「ねえねえカレン! カレンったら! アル君、どんな顔するかなあ?」

「おとしゃん? おとしゃん、なに?」


 チトセおばさん。

 それに小さな女の子――カレンちゃんだ。


「だから、さっき言ったでしょー? ……あのね、カレン」

「うん、なに、おかしゃん?」


 絨毯の上で人形遊びをしていたカレンちゃんの前に、チトセおばさんがしゃがみこむ。


「カレンにね。妹か、弟ができるかもしれないの」

「……いも、おと……うと?」


 首をひねるカレンちゃん。

 チトセおばさんは手を伸ばすと、彼女の髪を撫でた。

 わたしやおばさんと同じ夜色の髪。


「まだ分かんないよ? でも、キャロル先生は十中八九間違いないって」

「……いもうと、って……マロンみたいなの?」

「そうそう、ルイザちゃんとマロンちゃんも姉妹だよね。あー、どうしよ、あんな美人姉妹が育っちゃったら! もうおかーさん困っちゃうなー、アル君とか『娘が欲しければ僕を倒してからにしろ!』とか言い出しちゃったりして、もー!」


 一人盛り上がったチトセおばさんは、カレンちゃんを高く抱き上げて、ぐるぐる踊りだす。

 つられてカレンちゃんもきゃっきゃとはしゃぎながら、


「もー! おとしゃんったらー!」

「ねー! アル君ったらー! ホント、娘のこと好きすぎるよねー! わたしのこと忘れてない? わたしのことも大事にしてよ、ねえねえねえ、ってなるよー」


 しばらく楽しそうに回ったあと、チトセおばさんはカレンちゃんを胸に抱きしめる。


「でもね。おかーさんもカレンのこと、大好きだよ」

「カレンも! カレンも、おとしゃんと、おかしゃん、だーいすき!」


 わたしは。

 思わず手を伸ばしていた。


 すべては記憶が生み出した幻影で、触れられないと分かっていたのに。


(チトセおばさん――大丈夫だよ)


 わたしが、アルフレッドさんを助けるから。

 そうしたらきっと、カレンちゃんは笑っていてくれるから。


 だから、あなたも笑っていて。

 チトセおばさん。


「……ありがとう」


 それは、カレンちゃんに向けられた言葉だったと思う。


 でも。

 その時だけは、おばさんと目が合った気がして。


「――チヅルさん! 起きてくださいっ、チヅルさん!」


 ユーリィさんの声で、一気に現実へと引き戻される。


「パパの身体に滞留している霊素エーテルが、どんどん減ってます!」

「まずいまずいまずい、これ以上は回復でけへん、霊素エーテル欠乏で肉体が先に死んでまうわ!」


 目の前には、アルフレッドさんに延命処置を施しているフレデリカ先輩とシズカさん。

 ユーリィさんは見たことのない金属の輪っかサークレットをわたしの頭に被せながら、


「いいですか、ユーリィと連携リンクして、二人で“グレイル”を編み上げますっ。霊素エーテルはあなたがたっぷり持ってきてくれましたから、チャンスはたくさんありますっ!」

「は……はいっ! がんばりますっ!」


 わたしは自分の頬を、ぴしゃりと叩いた。

 ここからが本当の戦いだ。


(魔法の構成を、編む――今までアルフレッドさんに教わってきたこと)


 そのすべてを駆使して、“グレイル”を創り出し。

 アルフレッドさんの魂を取り戻す。


(集中しろ、わたし!)


 サークレットをつけた額同士をくっつけると、ユーリィさんの感覚と思考が頭に流れ込んでくる。

 花火のように弾けるイメージと、五月雨のように叩きつけてくる言葉。


 これが宮廷魔法士でも屈指の天才と呼ばれた人物の頭脳なのか。


(チヅルさん、わたしが描く構成を追いかけてくださいっ。できますか?)

(できます、やりますっ!)


 あまりにも速すぎる思考と、とてつもなく強烈なアルフレッドさんへの想いをかき分けて、ユーリィさんが描き続ける“グレイル”の構成をなぞっていく。


 長い――長大かつ複雑な情報の構造体。

 一体どうやったら、こんなものを完全に記憶して脳裏に再現できるんだろう。

 やっぱり生まれつきの才能なんだろうか。


(ううん。余計なことを考えないで、ユーリィさんの後を追うんだ)


 絶望しそうなぐらい難解なのは、アルフレッドさんに魔法を教えてもらったときと変わらない。

 あの時、アルフレッドさんが褒めてくれたのは、わたしの集中力だった。


(それに……見ているうちに、分かってきた)


 ユーリィさんが使う魔法は、どこか似てる。

 アルフレッドさんが今まで使ってきた魔法や、モルガン大師匠が見せてくれた魔法に。

 

 だったら理解できる。


 わたしが描き切るんだ。

 アルフレッドさんのための“グレイル”を。


 出来る限り早く、可能な限り多く。

 僅かな失敗も、勘違いも、思い込みも、すべてを塗り替えて。


(――そうです、それですっ、チヅルさんっ!! 完成ですよっ!!)


 試行錯誤の果て、気付けばわたしの中に生まれていた。


 小さな光。

 暖かくて、微かに鼓動している。


(これが“グレイル”……)


 心と体を結びつける、命の容れ物。


「できましたっ、フレデリカ先輩っ!!」

「ようやった二人とも! あとはウチらに任せい! 気張るで、シズカはんっ」

「了解です!」


 ふわふわとたゆたう小さな光は、フレデリカさんの手へと渡り。


「戻って来い――来るんや……帰ってきてや、アル兄さんっ」

「パパ、お願いっ」


 鮮やかすぎるほどの手腕で、アルフレッドさんの身体へと溶け込んでいく――


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――眩しい。


(朝か……)


 何故だ。どうして。

 なんで朝というのはこうも無慈悲にやってくるのだろう。

 僕はまだ眠っていたいのに。


 窓の外から聞こえる鳥の声がやかましい。


(頼む。寝かせてくれ。もう少しでいい。ほんの少し、毛筋ほどでいいから……)


 僕は寝ぼけ眼のままカーテンを閉じ直し、もう一度布団に潜り込む。


「ねえ、アル君。起きて、ねえったら」

「あー、うん。分かってる。分かってるよチトセ。愛してる。愛してるからもう少し寝かせて、本当に、お願い、一生のお願い」


 布団から出した腕だけで、呼びかけてくる声に答える。

 昨日は色んな事があって大変だったんだ。


 娘のカレンと森に出かけて素材の採集をしていたら、来訪者ビジターの女の子と遭遇してしまい、来訪者ビジター狩りの連中と追いかけっこをしなきゃいけなくなって、最後には霊素エーテルの奪い合いまでして、なんとか無事切り抜けたところで、村の自警団のみんなに出会って……


(ん? あれ? 今、僕なんて言った?)


 どっぷりと眠気の海に沈んでいた脳が、徐々に浮上してくる――


「えっ、な、ちょちょちょ、アル君ったら、もう、不意打ちはズルいなあ」

「――――!?」


 僕は布団をはねのけて起き上がった。

 そして目の前に広がる景色は。


「……君は――」


 いつも通り僕の横で寝ているカレン。それはいい。


 分からないのは――

 彼女・・だった。

 カレンと同じ黒髪、そして夜空よりも深い黒の瞳・・・・・・・・・・を持つ女性。


(……チトセ)


 寝室の入り口から、遠慮がちにこちらを覗いていたのは。

 紛れもなく、彼女だった。


「これは……そうか、走馬灯」


 ということは、咄嗟に組んだ残留思念魔法は失敗したのか。


 すべてを失う前、刹那のひととき。

 あれだけ恨んでいた女神の温情に、感謝するときが来るとは。


「でも。良かった。夢でも幻でも。最期に、君と会えて」

「だから、そういうの、ズルいよ。せっかく良いこと言おうと思ってたのに、忘れちゃう」


 僕はベッドから立ち上がると、チトセへと駆け寄る。

 しかし。


 彼女は首を振った。


「アル君。あのね……あのね」


 僕は足を止めて、続きを待つ。


「……好きだよ。好き。大好き――アル君。わたし、アル君のこと、本当に、大好きです」


 あの柔らかい頬。

 優しく伝う涙。


 この手で拭ってあげたい。


「僕も……好きだ。愛してる、君を誰より」

「もー、そういうのいいから! ちゃんと聞いて、わたしの話っ」


 笑えば、花が咲いたようで。


「でもね、ごめんね。わたしは……子供達・・・のことも、大好きなの。だから」


 影が差したら、それは星空のごとく。


「アル君。お願い。もう少しだけ――あの子達・・・・のそばに、いてあげて」


 チトセ。

 君が、そう言うなら。


「……うん」

「それとね。あんまり、周りの人を困らせたらダメだよ?」

「うん」

「特にル・シエラさんは、ちょっとズレてるけど、アル君のお母さんみたいなものなんだし、ちゃんと言うこと聞くんだよ?」

「う、うん」

「あとね、洗濯とか後片付けとか、自分でできることは自分でやらないとカレンが真似しちゃうからね。それと長期で調査に出かける場合は早めに連絡して、できればこまめに手紙を送ること。あとね、それからね、あっ、わたしの洋服とかは処分しちゃっていいからね、誰かにあげちゃってもいいし、それから、ええと、それからぁ――」


 それから先は、もう言葉にならなかった。


「分かった、分かったから、チトセ――ッ」

「やだよ、やだよぉ、まだ、まだ、まだ……一緒に、いたかった、よぉ」


 僕もチトセも、子供のように泣きじゃくって。

 互いに伸ばした手が、触れ合う瞬間に。


 僕は――引き戻されてしまった。

 チトセがいない世界に。


 そしてカレンが――チトセ以外のみんながいる世界に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る