第102話 JK、おじさんを抱く

 すべてが一瞬だった。


 ドミニクは光線の魔法で、アルフレッドさんの胸を撃ち抜くと。

 続けざまに放った大きな火球で、外壁の大部分と騎士団の人達を半分近く吹き飛ばした。


 辺り一面が赤く染まるほどの、巨大な炎。


「死ね、死ね、死ね、死ね――貴様らがッ! 証人がッ、消えればッ! 俺の地位は、名誉は、財産は、妻は、息子は、人生は――ッ」

「――ぅわああああああぁぁぁぁぁッ」


 ユーリィさんが投げた雷の矢が、ドミニクを貫く。


 ドミニクは、車に轢かれた人形みたいに大きく震えると、そのまま動かなくなった。

 肉が焦げる独特の匂いが、辺りに漂う。


 わたしは。

 膝をついて、アルフレッドさんを抱き起こすと、


「アルフレッドさん! ねえ、アルフレッドさんッ! 聞こえますか、ねえ、起きて、目を開けて、こっちを見てッ、見てくださいッ! アルフレッドさんッ!」

「チヅルさんっ、チヅルさん! ダメです、動かしちゃ!! 落ち着いてっ!!」


 肩を掴んだユーリィさんを振り向き、


「ねえユーリィさん、大変です、どうしよう、アルフレッドさんが、アルフレッドさんが」

「分かります、分かってます、だからお願い、落ち着いてください、チヅルさん――お願いだから」


 ユーリィさんは青褪めて、唇を震わせていた。

 それはきっと、激しい雨に打たれたせいではなくて。


 彼女が何を言いたいのか。何を考えているのか。

 わたしにはすぐ分かった。


「ねえ、こんなの、ありえないですよ、理不尽です」


 どうしてアルフレッドさんがこんな目に合わなきゃいけないの?

 残されるカレンちゃんはどうしたらいいの?

 なんであんな優しい子ばかりが、大切な人を失うの?


 疑問とともに溢れ出てくるのは、怒りだった。


(どうしてこんな、ひどいことするんですか――女神ムール・ムース様)


 少しでも運命なんてものを信じたわたしが、馬鹿だったのか。

 地球だろうと異世界だろうと、誰かが救ってくれるなんて無価値な幻想だったのか。


「――あーもう! こんなん、黙ってバックレられるかい! オラオラ、宮廷魔法士様のお出ましやぞ、騎士どもっ! 五体満足で家に帰りたきゃ、おとなしくウチに従って……あれ?」

「……ふ、フレデリカ先輩? どうして、ここに」


 ユーリィさんが呆気にとられている。

 顔を上げると、さっきの大爆発で崩れた外壁から、二人の女性が飛び出してきたところだった。


「いや、こっちの台詞やで、ユーリィ――って」


 青みがかった長い髪をうなじでくくった、意志の強そうな女性――宮廷魔法士の、フレデリカ先輩?――は、こちらを見るなり顔色を変えた。


 驚き、そして決意、といえばいいのか――力強い表情で。


「負傷者多数、うち重傷者が二名! シズカはん、手ェ貸して!」

「わ、分かりました、フレデリカさん」


 フレデリカ先輩と一緒に駆け寄ってきたのは、日本人の女の子――きっと、わたしと同じ来訪者ビジターだ。

 年齢はわたしより少し上だろうか。

 すごく落ち着いて見える。涼し気な目元のせいかもしれない。


「ここなら、もう【霊素眼エーテル・アイ】が使えるはずや! 視えたことは全部教えてな!」

「はいっ」


 細面には不釣り合いな黒革の眼帯をずりあげると、不思議な光を放つ左目が覗いた。

 それが【霊素眼エーテル・アイ】――シズカさんの天恵ギフトなのだろう。


「ったく、この馬鹿どもは! 一体何がどうなったらこんな最低の状況ができあがるんや……何が保険やドアホウ、保険が必要なのはオノレやろが! もう、このアホ兄さんめ……」


 フレデリカ先輩は、手際よくドミニクとアルフレッドさんの身体を確かめていく。

 呼吸、脈、傷の位置。


「……シズカはん、何が視えた?」

「こっちの男性は……亡くなってます。体内に霊素エーテルが残ってません」


 ドミニクを示した時は、シズカさんも冷静だった。

 フレデリカ先輩がうなずく。自分の診断と同じだったんだろう。


「……パパは」


 アルフレッドさんに視線を移した時の、シズカさんは。

 溢れ出る感情を必死に抑えていた。


 その一瞬で理解する。


 シズカさんも、わたしと同じだ。

 アルフレッドさんのことを、特別な人だと思ってる。


「違います。そっちの男性とは……まだ、違うと思います」

「……どういうことや、シズカはん?」


 現実を認めたくないというより、単純に、どう表現すればいいのか分からないのかもしれない。

 シズカさんは必死に言葉を探していた。


「残ってるんです。体内に霊素エーテルが。心臓は……止まってるのに。多分、何かの魔法が発動しています、ものすごく複雑で、支離滅裂で、今にも消えそうな」


 それって、一体、どういう。


「読み取れるのは、ただ一つの言葉――カレン、って。それだけを、繰り返しています」


 わたしが質問するより、フレデリカさんが動く方が早かった。


「【継続治癒コンティニュアス・ヒール】! 【治癒ヒール】、【大治癒メジャー・ヒール】、それから、ええと――ユーリィ! ホラ、しっかりせいや、王立魔法学園主席ッ! 世界で二番目に優秀な魔法使いッ!」

「は、は、はいっ、フレデリカ先輩っ」


 呆然としていたユーリィさんの目に、光が灯る。

 必死に魔法を紡ぎながら、フレデリカさんは続けた。


「まだチャンスはあるっちゅうこっちゃ! アンタもなんか考えて! 無駄に優秀な頭脳の使いどきやろ!」

「い、い、言われなくたって! こういう時は、まず【魔法解析アナライズ】からですっ」


 アルフレッドさんに向けられた魔法。

 横たわる彼の胸に、魔法陣が描かれていく。


 光の線が描く陣は、驚くほど緻密だった。

 まるで抽象画のような、一見すると考えなしに塗りつぶされたかのような。


 それは死を実感したアルフレッドさんの気持ちそのものだったのかもしれない。

 混沌とした心の中で、たった一つだけ実を結んだメッセージが、娘の名前だったのか。


 胸を締め付けるような痛みで、わたしはつかの間、呼吸を忘れた。


「……なにこれ。何なんですか、アル先輩、この構成って――もしかして」


 ユーリィさんは目を閉じ、濡れた髪をぐしゃぐしゃとかき回しながらブツブツと何かをつぶやきはじめる。

 その仕草が、アルフレッドさんと重なった。


「肉体の死、霊素エーテルの離脱、タイムラグ、固着? 魂とは霊素エーテルの集合体なのか、アーノルド=ログレッツ問題、情報すなわちエネルギー、ロストセブン証明、ゴーストとアンデッド、死霊魔法と運動魔法の交差点、知識と記憶、死者蘇生儀式、神話時代の奇跡、再誕と降臨、女神ムール・ムースの恩寵――“グレイル”」


 訳の分からない専門用語の羅列のあと。

 ユーリィさんがまぶたを開けた。


 素早く周囲の空間を見回して、


「――ダメ、全然足りない、もう、先輩も副所長もドカドカ上級魔法使いすぎなんですよっ! 普段は面倒臭がるくせに、こういうときだけっ」


 シズカさんに目を留めると、


「あなた! 大師匠が見つけた【霊素眼エーテル・アイ】の人ですよね!」

「え、はい」

「『死の世界アンダーワールド』の状況を教えてください! 本当に、超高濃度霊素エーテルがまだ残ってるんですか!?」


 ――シズカさんは手短に教えてくれた。


 霊素エーテルは今も滞留を続けていること。その中で個人を判別することは既に難しいこと。

 アルフレッドさんはすべてを理解して、チトセおばさんとの再会を諦めたこと。


「……だったら。もしかしたら、できるかも」


 勢い込んで膝をついたユーリィさんは、わたし達を――わたしと、フレデリカさんと、それからシズカさんの顔を見回した。


「確認させてくださいっ。みなさん、アル先輩のために王国法を破る覚悟はありますか? つまり、この国での生活を捨てて、あそこにいる王国騎士団キングズ・オーダーを百倍規模で相手にする準備ってことなんですけど」

「あります」


 誰よりも早く頷いたのは、シズカさん。


「もう二度と、パパを死なせない」


 すごい。

 わたしなんかより、ずっと強い意志。


「愚問やで。ウチは、今度こそアル兄さんの力になる」


 フレデリカさんの笑顔は大胆不敵だけど、少しだけ悲しそうだった。


 ……ユーリィさんと目が合う。


「チヅルさん。どうしますか?」


 ユーリィさんは、迷ってない。


 多分、わたしが出会うよりもずっと前に、決めていたんだろう。

 大切な人のためなら、すべてを引き換えにする、って。


(わたしも)


 手放したくない。


 アルフレッドさんを。

 カレンちゃんと三人で暮らした、幸せな時間を。


「ユーリィさん。……プランを、教えてください」


 わたしが手に入れた『最高』を。


「ふふん、聞いたら驚きますよっ? この世紀の大天才、ユーリィ・カレラが誇る灰色の脳細胞が生み出した驚天動地のアメイジング・プロジェクト――」

「はいはいはい、エエからちゃっちゃと話さんかいアホンダラ!」


 フレデリカさんの無慈悲なツッコミ。

 不服そうに口をとがらせながら、ユーリィさんは続ける。


「……アル先輩の魂を、もう一度創り出すんです。チヅルさんの天恵ギフト――【奪う左手トゥ・ハンド】を使って」


 それは。

 あらゆる意味で無茶な計画だった。


 法的にも、技術的にも、もちろん倫理的にも。

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