第101話 おじさん、JKに叱られる

 どうしてチヅルさんがここにいるんだろう?

 隣りにいるのは……ユーリィか?


(何のために、どうやって――)


 新しい構成を組み上げることに集中していたせいで、状況が飲み込めない。

 あの二人は辺境で、マーティンおじさんの襲撃に備えているはずなのに。


「この場にいる全員っ、動かないでくださいっ! ……って動けそうにないけど……指一本でも動かしたら、このユーリィ・カレラが地の果てまでぶっ飛ばしますっ」


 雨に負けない大声で叫ぶユーリィ。

 ついでに威嚇として放った【炸裂弾ショック・ボム】が、森の一部を吹き飛ばした。

 氷の檻に閉じ込められたままの騎士達が、更に顔を青くする。


「ひどい怪我じゃないですか、アルフレッドさんッ! すぐに手当しなきゃ――」

「こんなものはすぐ治せるよ。問題ない」


 駆け寄ってこようとしたチヅルさんが、足を止めた。


 僕の足の下で、もがく男に気付いたからだろう。


「……その人は……?」

「ああ、紹介しようか。彼はドミニク・アージェント=ボイル。王立魔法研究所の副所長で、僕の同期で――あの事故・・・・を引き起こした張本人だ」


 胸骨に乗せた右足に、体重をかける。

 はずみで泥水を飲んだのか、ドミニクが激しくむせた。


「それ、は……アルフレッドさんが、調べた結果、なんですか?」

「僕も、まさか誰かが事故を仕組んだなんて思いもしなかったよ。でもね、これはドミニクにしかできないことなんだ。そんなことをする理由も、ドミニクにしかない」


 意図的な構成のループ。研究メンバーの買収。

 どちらも、ドミニク以外の人間にはできない。


 そして僕が研究所を去ったことで一番得をしたのも、ドミニクだった。

 副所長の座を手に入れたのだから。


「……じゃあ、チトセおばさんが消えたのは、その人のせい、なんですね」

「少なく見積もっても、半分以上はドミニクの責任だろうね」


 言ってから、ふと思いつく。


「そうだ、試してみようか。あの日、僕達が発動しようとした霊素再構築エーテル・リコンストラクションの構成に、本当に欠陥があったのか。あの魔法で、お前の肉体を別の何か・・・・に造り変えられるのかどうか」

「そんな真似を、してみろ……貴様は、宮廷、魔法士、殺害の、罪を――負うんだぞッ」


 さっきまで僕を殺して口封じするつもりだった奴が、よく言う。

 もう辺境からの脱走も禁忌指定地区への侵入もバレているんだ。今更一つ二つ罪が増えたところで。


「……アルフレッドさん」

「お願いだから止めないでくれ、チヅルさん。お願いだ」


 今は、君の優しさに触れたくない。


 復讐なんて馬鹿馬鹿しい、意味がない、何も得られない。

 そんな言葉は聞きたくない。


 僕の人生でもっとも大切なものを奪った男が、のうのうと生き永らえている。

 その事実の方が馬鹿馬鹿しい。


 こいつが苦しめば苦しむほど、僕は喜びを得られる。心の平穏を得られる。

 チトセに許しを請える。


「……わたしにも。その人と、話をさせてください」

「えっ、ちょ、チヅルさん!? ユーリィから離れないでくださいっ」


 広大な水溜りを蹴る音。

 チヅルさんが、僕の傍らに立つ。


「……ドミニクさん、はじめまして。わたしはアマミ・チヅルと言います。アマミ・チトセの姪です」


 ドミニクは応えなかった。

 おそらく、想定外の事態だったのだろう。


 正直、僕も同じだった。

 チヅルさんの言葉には、有無を言わせない迫力のようなものがあった。

 わずか十七歳の少女が放ったとは思えないぐらい。


「聞かせてください。三年前、チトセおばさんが消えた事故は、あなたが仕組んだんですか?」


 溢れんばかりの怒りと悲しみ、それから一握りの冷静さ。


 チヅルさんがこんな表情を見せるなんて、予想もしていなかった。

 事実を知ったら、もっと取り乱すと思っていたのに。


「……貴様のような来訪者ビジターに話すことなど」

「事故は仕組んだ。けれど消えた人々に対する害意はなかった、仕方のないことだった……そういうことですか?」


 ドミニクは言葉を返せなかった――意外なことに。


「アルフレッドさんがこんなに泣いて、怒って、傷ついて、苦しんでいたのに。あなたはすべてを押し付けたんですか?」


 この男が言いよどむところなど、見たことがない。

 まして、誰かに気圧されることなんて。


「答えてください。ドミニクさん」


 ただ、ひどく苦いものを飲み下すように、ドミニクが頷いた。


「……この人は、罪を認めました。聞いていましたよね、ユーリィさん! それから、騎士団の皆さんも!」


 固唾を飲んでいたすべての人達が、ようやく己の意志を取り戻す。


「は……はいっ! このユーリィ・カレラ! 罪の告白、しかと聞きとげましたよっ」

「じゃあ……あとは、お願いしますね」


 それから。

 チヅルさんは、僕を抱き寄せた。


 強く引き寄せるように、あるいは、すがるものを探していたように。


「アルフレッドさん。……アルフレッドさんっ」

「……チヅルさん」


 とっさに彼女を支えてから、思い出す。

 たった独りで訳も分からずこの世界に放り込まれて、今日ここまで生きてきたチヅルさんの、肩の細さを。


「……わたしも。わたしだって―――この人を、許せないですっ! 許せないですよっ!!」

「うん。……そうだね」


 堰を切った悲しみと怒りが、雨音を打ち消すように。


「でも! でもっ! ……アルフレッドさんはっ……ダメですっ! そんな怖い顔、しないで……良い魔法使いで。優しいお父さんで、いてくださいっ」


 徐々に【豪雨スコール】の効果が切れて、厚い雲の隙間から光が漏れてくる。

 濡れた空気をなぞるような、まっすぐな輝き。


 ……いつだったか、チトセに教えてもらった言葉を思い出す。


「チトセおばさんは、きっと、そういうアルフレッドさんが……カレンちゃんもっ、お父さん、みたいな、良い魔法使いに、なりたいって――」


 天使の梯子。

 チキュウの神が、その言葉を地上の人々に伝えるために、使いを降ろす道。


「……ごめん。ありがとう、チヅルさん」


 チヅルさんの濡れた黒髪に宿る、小さなきらめき。

 今の僕には、やけに眩しく見える。


「わたしも。思ってます」

「え……な、何の話?」


 僕を見上げるチヅルさんの目は、すっかり赤く腫れていた。


「辺境を出発する前に、言ってくれたじゃないですか。わたしも、アルフレッドさんのこと……大切な家族だって、思ってますから」


 だから、わたしも、あなたのためなら――


 何かが、おかしい。

 音が聞こえない。


 視界からチヅルさんが消えた。

 見えるのは、濡れた木々の緑と、空の青だけ。


(……倒れた、のか)


 胸に手を当てると、ぬるりとした感触があった。

 血だ。


 なんとか首を動かすと、身体を起こしたドミニクが見える。


 唾を飛ばしながら叫んでいた。

 多分、僕を罵倒しているんだろう。


 斬り落とさなかったドミニクの左手から漂う、【光条レイ】の魔法痕サイン


(ああ。僕は、本当に……馬鹿で、迂闊だった)


 僕は心臓を撃ち抜かれた。


(ダメだ、待ってくれ、まだ、ダメなんだ、誰か、チヅルさん、ユーリィ、エレナ、ああ……カレンを、カレンを、どうか――カレン、カレン、カレン!)


 つまり。

 僕は死んだのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る