第100話 JK、おじさんを捕まえる
「それで? アナタもアルフレッドを捕まえに来たの? それとも手助けに来た方かしら?」
話しているのは明らかに、妙齢の美女――ユーリィさん曰く、宮廷魔法士のルピタ・ティジャーニさん。専門はゴーレム魔法。
口元のほくろがやけに色っぽい。
でも、同時に彼女の右手に被せられた布人形も動いている。
パクパクと。
……もしかして腹話術のつもりだろうか?
だとしたら、なんていうか、こう、あまりクオリティが高いとは言えない。
(わ……笑わせにきてる、ってことはないよね?)
ルピタさんもユーリィさんも至って普通の様子だ。
どちらかといえば緊迫した雰囲気。
わたしもなんとか取り繕ってみるけど……ダメ、吹き出しそう。
「その口ぶり。やっぱり王都から追っ手が来てるんですね、マスター・ティジャーニ」
「我らが
ルピタさんと人形が、同時にパクパク。
ユーリィさんが青ざめる。
「ドミニク副所長が!? どうしてわざわざ――いえ、行動が早すぎます! あの人、まさかアル先輩の行動に気付いてたんじゃ?」
「でしょうね。何日か前に、もしアルフレッド達が現れたら足止めするよう伝書鳥が来てたもの」
ルピタさんの物憂げな溜息。
それだけならすごくセクシーなのに、右手の人形が一緒にしょんぼりしてるせいで、なんかシュールなピン芸人みたいな佇まいになってしまう。
「まさかアル先輩を引き渡したんですか、マスター?」
「
さらっと物騒な台詞。
宮廷魔法士の人達って、なんていうか、倫理観が独特だな……
「だ、だ、だ、大師匠になんてことをっ! 殺されますよっ!? 今年の新作拷問、かなりエグいやつですよっ!?」
「まあ、ワタシはドミニク副所長の命令に従っただけですもの。やらないと
ルピタさんは薄っすらと妖艶な笑みを浮かべる。
でも、右手の人形は腹を抱えてゲラゲラ笑っている。
……どう解釈すればいいんだろう、この感情表現。
「さて、ユーリィ。
パクパクしていた布人形が、ピタリと動きを止めた。
かと思うと、再び動き出す――これまでよりもずっとなめらかに、有機的に。
まるで、獲物を狙うスライムみたいに。
ユーリィさんは身構えながら、わたしに視線を送ってくる。
「チヅルさん。さっきの
「えっ、と……多分、五回ぐらいは」
練習の時は、それぐらいが限界だった。
以前に比べると
アルフレッドさん曰く『驚きを通り越して呆れるレベル』だとか。
問題はわたしの体力だ。
吸収の回数が増えると身体の方が疲れて、放出する魔法の精度の方が下がってしまうのだ。
そうすると
「じゃあ七体はユーリィの担当ですね……」
「七体? 何の話ですか?」
「マスター・ティジャーニは一人で十二体の
ついた渾名が“
一人なのに? というツッコミは野暮だろう。
「ていうか待ってください、その計算だと……ええと、私はモンスター八十匹分のゴーレムと戦わなきゃいけないってことですか?」
「チヅルさんも、もう立派な“
いやいやいやいや! ユーリィさん、こういう時だけ急に大雑把になりますよね!?
「だってズルいじゃないですか、アル先輩とマンツーマンの放課後特別課外授業なんて! ユーリィ、そんな思い出ゼロなのに!」
「えっちょっと何の話ですか!?」
「……どうしてこう、緊張感に欠けるのかしらね。ラウェイ
深い嘆息とともに。
ルピタさんの右手の人形がみるみる巨大化して、獣じみた動きを見せる。
「随分な言い様だね、ルピタ君」
正直に言って。
何が起きたのか、わたしにはまったく分からなかった。
気づくと、ルピタさんの布人形は千切れ飛んでいて。
「……嘘でしょう、サイクロプスでも昏倒する量を盛ったのよ?」
「ちょっとちょっと、わたしの心筋が弛緩したらどうするつもりだったの? ルピタ君は本当に加減を知らないねー」
わたし達の前に、一人の女性がたゆたっていた。
(――この人は)
一瞬、女神が降臨したのだと錯覚した。
いや、わたしはこの世界を訪れる前に、実際に女神という存在と遭遇していて、
だから、その人が女神とは全然似ていないことは分かっていた。
それでも。
透き通るようなプラチナブロンドを風に遊ばせながら、音もなくわたし達の前に現れた美女のことを、どう表現すればいいかと言えば。
やっぱり、女神としか呼びようがない。
「大師匠! 無事だったんですねっ」
「ここしばらく旅が続いていたからね。ルピタ君が見張り小屋に持ち込んだソファ、雲の上みたいにふわふわの寝心地だったよー。おかげでホラ、宙に浮いちゃった」
「……ユーモアセンスもお変わりないようで」
神々しさのかけらもない仕草で肩をほぐしながら、
日差しに透かされた木の葉のような、明るい色の瞳。
モニター越しにしか見たことのない有名人に出会ったときみたいに、わたしはつばを飲んだ。
「……なるほど、これは分かっていても勘違いするね。本当にチトセそっくり。こういうの、チキュウでは『この世には似ている人が三人いる』っていうんだよねー。ちなみにこの世界では七人いるって言うんだよ、地域によっては五から十二に増減するのだけど」
「え、ええっと。あの、わたし、
「アル君から話は聞いているよ。私はモルガン・ラウェイ、魔法使いだ。君とはゆっくり話したいけれど、まずは目の前の問題を解決した方が良さそうだね」
ずごん。
文字にすればそんな音がした。耳で聞くよりも、肌で感じるタイプの振動。
「悪いけど、モルガン。
ルピタさんの背後に建っていた見張り小屋――石でできた三階建ての建築物――が立ち上がる。
洒落でもなんでもなく、建物の基礎から横に生えてきた
「渋々って感じじゃないねー、ルピタ君。あ、もしかして去年、君の
ルピタさんの返答は、見張り小屋型ゴーレムが振り下ろした巨大な拳――というか、カニのようなハサミの一撃だった。
モルガン大師匠が手のひらから放った無形の衝撃波が、ハサミを弾き飛ばす。
引きずられるようにしてゴーレム本体――見張り小屋も引っくり返った。
またしても地響き。
「重心が高すぎるんじゃない? もう少し脚を生やす位置変えたらどうかなー」
「あなたこそ、いちいち、えらそうに、口を出すクセ――直しなさいよっ、モルガンッ!!」
石が擦れ砕ける凄まじい音を立てながら、
「ルピタ君の相手は私がしておくよー。ユーリィ君とチヅル君は目的を果たしなさい」
「で、ですが、大師匠っ」
「話は聞こえてたよ。ドミニク君は意地が悪いからねえ、アル君を見逃してくれるってことはないだろうし。アル君も、目撃者はすべて消すとか、そういう思い切りが欠けてるからねー」
またしてもさらっと過激発言。
宮廷魔法士の人達って、本当に、どういう倫理観で生きてるんだろう……
「……チヅルさん、今、宮廷魔法士ってみんなモラルに欠けた性格異常者の集まりなんじゃ、とか思ってませんか?」
「い、いえいえ、全然」
「この人達とユーリィを一緒にしないでくださいっ、ユーリィは愛と平和とアル先輩のために戦う正義の魔法使いなんですっ★」
……もう何も言うまい。
人の数だけ正義がある、って偉い人も言ってたし。
「ああもう緊張感に欠けるなー、君達は! 早く行きなさい、もう!」
「は、はいっ、あとはお願いしますっ」
不意に。
日差しが翳る。
つい先程まで、どこにも雲の影などなかったというのに。
瞬く間に広がった暗雲から、雨粒が一つ、二つ――
「なんですかっ、これ、土砂降り!? うわ、すごい、全然、前が見えなく――」
「【
手でひさしを作りながら、空を振り仰ぐ。
ユーリィさんの言う通り、垂れ込める分厚い雲は明らかに不自然な形をしていた。
ある一箇所に向かって、集中しているような。
「あっちですっ! 行きましょう、チヅルさん!」
「はいっ!」
今度は横薙ぎに振り回されたゴーレムのハサミを、モルガン大師匠が上から叩く。
まるで巨人に踏み潰されたように、ハサミが大地へ沈んだ。
ついに決着か。
と思ったら見張り小屋の窓が開き、小さなカニ状のゴーレムが数え切れないほど湧き出してくる!
「うわ! 何これすごいギミック! やるねー、ルピタ君!」
「その余裕ヅラ、いつまで保つかしらねっ!」
やけに楽しそうな二人を捨て置き、わたしとユーリィさんは雨の中を駆け出した。
よく見れば、地面には大量の足跡がある。
見張り小屋近くの広場から出発して、市街の外壁沿いに森の中へ向かっていた。
豪雨のせいで今にも消えそうだけれど、追っていけば広がる雲の中心に辿り着けるかもしれない。
「この人数……副所長は
「追跡が出て、この目眩ましみたいなすごい雨……もうアルフレッドさんは見つかっちゃったってことですか?」
「だとしたら仕方ありません。大師匠流で行きます」
ちょっと、えっ、ユーリィさん!?
「このユーリィ・カレラ、先輩のために手を汚す覚悟はできてますから」
「そんな、本気で人を
「チヅルさん。ユーリィは宮廷魔法士です。騎士団の作戦に帯同して、野盗の集団とか危険なモンスターとか、そういうものを殺した経験はあるんですよ」
それとこれとは訳が違う。
命の重さや善悪なんて論じるつもりはないけれど、副所長という人はユーリィさんやアルフレッドさんの同僚で、騎士団の人達だって任務を果たしているだけなのに。
「魔法使いの先輩として言っておきますね、チヅルさん。魔法を使う時――特に、破壊魔法を使う時は絶対に迷わないでください。迷ったら、魔法は暴走します」
暴走した魔法は、真っ先に使用者を傷つける。
いつかアルフレッドさんに教わった知識。
(でも、でも、でも)
わたしだってアルフレッドさんを助けたい。
彼がいなくなったら、カレンちゃんだって一人になってしまう。
もうこれ以上、あの二人に悲しいことなんて起こってほしくない。
(だからといって……)
そのために、誰かの命や幸せを奪うなんて。
(しなかった。アルフレッドさんは)
まるで滝のように、白く重くのしかかる雨をくぐり抜けて。
わたし達はついに追いついた。
「――アルフレッドさんッ!!」
彼の背中に。
「……チヅル、さん」
振り返ったアルフレッドさんの横顔は。
血と、火傷と切り傷にまみれて。
ぞっとするほど、凄惨だった。
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