第94話 おじさん、エッチなアイテムを使う

「とりあえず、アレだ。オレは何も見てないし、誰とも会ってない。三年ぶりに親友と再会した気がしたけど、ありゃ夢だった。そういうことだ」

「……ああ。本当に、ありがとう。ミシェール」

「ぶん殴った分はこれでチャラだからな。……せいぜい頑張れよ、親友」


 ……僕達は“安全地帯”から女神像のある広場に戻ると、すぐに調査を始めた。


(目的は、超高濃度霊素エーテルの状態を詳しく知ること。そして、僕の霊素再構築エーテル・リコンストラクションが暴走した理由を知ること)


 二つの情報があれば、封印した研究を再開できる。

 いずれは『死の世界アンダーワールド』となってしまった街を、致死の呪いから解き放つことも。


 調査方法は簡単だ。

 シズカの【霊素眼エーテル・アイ】で視ればいい。


「問題が一つあるで。あんな莫大な霊素エーテルを隅々まで確かめようとしたら、情報量が多すぎてシズカはんの頭がやられてまう」

「どっちにしろ時間も限られてる状況だ。まずは一番濃度の高いエリアでの標本調査だ。師匠達の推測が正しければ、これだけで再研究の方向性は分かるはず」


 モルガン師匠曰く、この大量の霊素エーテルは一個体としての性質がある。

 マーティンおじさん曰く、霊素エーテルに宿っているのは犠牲者達の意志だ。


 二人の推論が正しいのかどうか。

 まずははっきりさせたい。


「もう一つ、質問があります。パパ」

「弟子からの……あ、娘? ええと、うん、質問はいつでも大歓迎だよ」

「アタシの眼で視たものが何なのか・・・・・・、どうやって判断するんです? 意志があるかどうかは、アタシでも分かると思います。でも、誰なのか・・・・は分からないかも。それに、原因を探るなら、魔法の細かい分析も必要になりますよね」


 流石、良い質問だ。チキュウでも優秀な学生だったのだろう。


「シズカも勉強を積めば、そういう判断もできるようになると思う。でも今は時間がない。だから、応急処置で行く」


 僕は背負っていた荷物の中から、円冠サークレット型の魔刻器エンクレイブドを二つ取り出した。

 霊銀ミスリルで造られた簡素な品で、嵌め込んだ宝石には霊素エーテルが注入されている。外部から霊素エーテルを取り入れないから、この環境でも使用できる。


「うわ、またエラいもん取り出したな! 研究所の倉庫にあったヤツやん!」

「昔僕が試作したものを、モルガン師匠が持ち出してたんだ。あの人、研究所の倉庫を自分の引き出しぐらいにしか思ってないから……」


 一つを自分の額に嵌めて、もう一つをシズカに差し出す。


「これは、何ですか?」

「【感覚共有シンス・センス】の魔法を刻んだサークレット。これを被ってお互いの額を当てれば、五感を共有できるっていうアイテムなんだ。これを使えば」

「アタシの視覚をパパにも共有できる、と」


 理解が早くて助かる。


「でも、こんな便利なアイテムがあるなら、どうして今まで使わなかったんです?」

「欠点が多いんだ。使っている間は動けないし、苦痛とか動揺とかネガティブな情報も共有してしまう。何より、こういう精神に作用するタイプの魔法は、使い過ぎると人格融合の危険がある」


 特に、自分自身で【感覚共有シンス・センス】の魔法を使っていると、融合の危険も高くなる。

 少しでも危険性を下げるために魔刻器エンクレイブドという形にしたけど、事故が起こる可能性はゼロじゃない。


「あと、集中が高まりすぎると意図しない考えとか意志が伝わってしまうことがあってね。なんていうか……使用者同士が必要以上に親密・・・・・・・になったり、逆にものすごく険悪になったりすることもあって」


 結局、言葉や文字を使ったコミュニケーションの方が効率的、という結論になって、お蔵入りしてしまったのだ。

 まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。


「こんなリスキーな手段しか取れなくて、本当にごめん」

「覚悟はしてます。でも、その……必要以上に親密・・・・・・・って、どういうことです?」


 ……しまった。余計なことを言ってしまった。

 多感な年頃の若者は知らなくても良い情報だった。


「……フレデリカさん。パパの眼がものすごい勢いで泳いでます」

「なんや、どないしたんやアル兄さん? ちょっとウチに言うてみ? ホラ、耳打ちでエエから」


 えー、いや、その。

 僕が試した訳じゃなくて、使用者アンケートで知ったことなんだけど……


「……ふんふん……【感覚共有シンス・センス】を使うと? お互いの? 好意と? 快感が? 反復して? 増幅する? ……うわーダメやんそれ! バリバリのエロネタやん! え、これそんなエッチなアイテムやったの!?」

「違うよ! ミシェールのヤツが、勝手に持ち出して実験したんだって!」


 ホント、あいつロクな魔法の使い方しないんだ。

 僕が真面目に造ったアイテムとか魔法とか、全部いかがわしい方向で応用しようとするの。ああいう人間が宮廷魔法士を名乗ってること自体が問題だと思う。


「……えっと……その。アタシは、大丈夫です」

「ごめん、今の話は気にしないで。なんていうか、使い方の問題だから。このアイテム自体がいかがわしいものって訳じゃなくて」

「だから、その……大丈夫です、どうなっても」


 何故か顔を赤らめるシズカ。

 僕と彼女を胡乱な眼差しで見比べるフレデリカ。


 ……えっ、待って、何その目?


「兄さん、まさかウチとモルガンセンセーが寝てる間に、シズカはんと……?」

「いやいやいや、何言ってんのフレデリカ、ちゃんと見張りしてたから!」

「だーよーねえ、兄さんにそんな度胸あらへんよねえ! そんなガツガツしたオトコやったら、今までノータッチやったウチって何なん? って話やもんねえ」


 うん、まあ、ええと、もういい。

 誤解が解けたならそれでいいや。


 ……ホント、余計なこと口走らなきゃよかった。

 全部ミシェールのせいだ、アイツめ。


「とにかく、調査を始めよう。二人とも、よろしくね」

「何かあったら、絶対ウチが助けたる。存分に調べたってや」

「はい。よろしくお願いします」


 サークレットを嵌めたシズカの額に、自分の額を合わせて目を閉じる。


「……こ、この距離、は……心臓に、悪いです」

「ごめん、近すぎるよね。でも、集中して」

「は……はい」


 少しの間、シズカが深呼吸する音だけが聞こえる。


 やがて、眼帯を外す微かな振動が伝わってきた。

 タイミングを同じくして、サークレットに刻んだ【感覚共有シンス・センス】を発動する。


 ――急激に流れ込んでくる五感に、意識がパニックを起こしそうになる。


(大丈夫、慌てるな、落ち着け――これは一時的なものだ、相手の感覚を借りているだけ)


 呪文のように何度も胸中で唱え、自分の感覚を落ち着かせていく。

 この集中は、同時にシズカを宥めるためのものでもあった。


(分かるかい、シズカ。僕の『声』が聞こえる?)

(……声。優しくて、強くて……パパ、ですか?)


 肯定する代わりに、シズカの手を軽く叩く。

 その瞬間、手をぎゅっと掴まれた。


(あ。本当だ……掴んだのに、掴まれたと感じます)

(あまり反芻しないで。感覚が多重反復すると、それだけで意識がいっぱいになっちゃうから)


 少しずつ感覚を調節して、視覚以外の情報をなるべく抑えていく。

 【霊素眼エーテル・アイ】がもたらす感覚だけに集中できるように。


(すごい。本当に……とんでもない天恵ギフトだ)


 例えるなら、それは光の洪水だった。

 あるいは静寂の嵐。あるいは煮え立つ闇。あるいは荒れ狂う大海。あるいは――


 魔法使いとして霊素エーテルや魔法の構成を処理することに慣れていなければ、一瞬で自我を飲み込まれそうなほど凄まじい意味の奔流。

 こんな莫大な情報を受け止めて、常人が正気でいられるはずがない。


(改めて驚かされるよ……シズカの才能に)

(パパのおかげです。すべてを受け止めなくても、必要なものを選べばいいと分かったから)


 シズカが【霊素眼エーテル・アイ】の焦点を切り替えていく。

 巨大な砂嵐の中で踊る一粒の砂を、あるいは豪雨の中で煌めく一粒の滴を探すように。


 やがて視えてきたのは。


 三年前の、あの日。

 すべてが変わってしまった日の風景。

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