第93話 おじさん、妹を泣かせる

 実際、僕はすぐに目を醒ますことができた。


 横たわっていたのは、“安全地帯”――市街を囲う外壁の内側で、騎士達の視線も超高濃度霊素エーテルの影響もないエリアにある建物だった。

 本格的な探索を始める前に、念の為に確保しておいた民家だ。

 ベッドは朽ちかかっていたけれど、【加熱ヒート】と【送風ウインド】で応急処置をしておいたから、地べたよりはよっぽどマシな寝床になっている。


 僕はゆっくり体を起こそうとして、何かが胸の上にのしかかっていることに気付いた。


 シズカだ。

 眠っていたのだろうか。僕が急に動いたせいで、首がガックン、と。


「――ふえ……あっ、ふ、フレデリカさんっ! パパ! パパが、起きましたっ」

「しーっ、大きな声出したらアカンてっ」


 顎を濡らすよだれを拭いながら、シズカは叫んだ。

 駆け寄ってきたフレデリカは、おもむろに僕の瞼に指を突っ込むと無理やり開かせて、


「うん、うんうん、大丈夫そうやね。霊素欠乏の症状も治まっとる。霊薬が効いたんやな」


 ひとしきり健康状態を確認したのち。

 ぐいっと、抱き寄せられた。


 旅の最中、フレデリカがずっと使っていた香水――ライラックの甘い香り。


「……アホ。兄さんの、アホたれ」

「ごめんね。打ち合わせも無しに、全部頼んじゃって」

「あんな無茶するなんて知っとったら、止めるに決まっとるやろ! この……アホ」


 体内霊素エーテルの使用による、急性の霊素欠乏症。

 つい先日ユーリィがかかったのと同じ病だ。

 体内の霊素エーテル量が減少することで意識障害や臓器不全などの症状が起きる。


 元来、人体には非常に多くの霊素エーテルが内在している。

 なのに、どうして魔法使いはわざわざ外部から霊素エーテルを取り込んで魔法を使うのか?

 体内の霊素エーテルはすべてが肉体や精神の維持に使われていて、わずかでも減少すると途端にバランスが崩壊し、存在を維持できなくなってしまう。


 ついでに言えば。霊素欠乏症は、魔法の暴走に次ぐ魔法使いの主な死因の一つでもある。

 特に魔法の階級分けが不完全だった時代には、周囲の霊素エーテル量を見誤って上級魔法を使った魔法使いが、急性の欠乏症で死亡することがよくあったという。


「ったく。ようやく目ぇ醒ましたな、親友」

「……ミシェールも、いてくれたんだね」


 フレデリカの肩越しに、ミシェールを見る。

 彼は長い銀髪をかきまわしながら、呆れ顔で、


「クソ、狂戦士バーサーカーかオマエは。オレも危うく霊素分解エーテル・デコンポーズされるところだったじゃねぇか」

「ごめん。他に勝つ手段が思いつかなくて」


 打撲痕や切り傷だらけの僕に比べて、ミシェールはピンピンしていた。

 首を絞められて失神しただけなのだから――だけ、というのは乱暴な言い方だけど――、ダメージは軽いだろう。


「ああいうのは勝ったって言わねーんだよ。ただの自殺だ」

「死ぬつもりはなかったさ。フレデリカがいてくれるからね」


 僕は言い返したが、ミシェールは深くため息をつくばかり。


「オマエはまたそうやって平然と言うけどな。オレが目を覚ましたとき、フレデリカ嬢ちゃんとシズカ嬢ちゃんが、どんだけ不安な顔してたと思ってやがんだ! 事前の説明も無しだと!? そういう雑なところ、ホントあの魔女モルガンそっくりだぞ!」


 今なんか聞き捨てならないこと言ったな。

 というか、そもそも喧嘩を吹っかけてきたのは君だろ?


「ウルッセェ、今更のこのこ顔出しやがって、このお人好しが! 見つかった相手が誰より心優しく友情に篤く顔が良くて声も良いオレじゃなかったら、今頃、市中引き回しの上拷問打首だぞ、大罪人!」

「あれだけ本気で殴ってからそれ言うか!? ていうか聞いたけど、蜜月館ハネムーン・ハウスのライラ、ホントに身請けする気あるのか!? 君のビョーキ・・・・に付き合わせるぐらいなら他の相手を探してやれよ!」

「誰が病気持ちだ、コラ! オマエこそ、いい加減、次の嫁は決めたんだろうな! ちょっとバツイチでモテるからってつまみ食いばっかしてんじゃねーぞ!」


 あ、また聞き捨てならないこと言った。


「君と一緒にするな、僕は生涯チトセ一筋だッ!」

「開き直ったクセに童貞みてーなこと言ってんじゃねーバカ! とっととイイ女捕まえて幸せになれっつーんだよ!」

「黙れ四十路!」

「うるせー老けろ! あとハゲろ!」


 自分が心配ないからってなんてこと言うんだ!


「もう一回ボコってやろうか、アァ? 負けたら新しい女作らせてやっからな、オラ」

「じゃあ僕が勝ったらきちんと過去の女性関係を精算して、それからライラの身請けをさせてやるからな!」

「あーうっさいうっさいうっさい、黙りやオッサンども! イイ年こいて勝ったの負けたの、やかましいねん! アンタら救ったのはウチやねんから、勝ったのはウチやボケェ!」


 フレデリカに一喝されて。

 僕とミシェールは、思わず顔を見合わせた。


「……あのな。ミシェールはんには悪いけど――人間は死んでもうたら、もう怒れんよ。恨んだりもできん。何も残らんねん」


 背中に回されたフレデリカの腕に、力がこもる。

 僕の存在を、胸の鼓動を確かめるように。


「辛いわ。悲しいわ。でも、だからウチらは……医療魔法使いは、やっていけるねん。手を尽くして、何とか踏ん張って、それでも救えへん人はいっぱいおって……あの人らに恨み言を言われたら、辛くてやっとられへんから」


 肩に顔を埋め、フレデリカは声を震わせる。


「だから、もう、やめてや。いなくなった、人らの、ために……揉めたり、命張ったり。兄さんまで、いなくならんといてや」


 ローブに染みる、涙の冷たさ。


 ……求めるならば、すべてを許せ。

 宮廷魔法士になった頃から、僕を支え続けている言葉。

 今、もう一度僕を奮い立たせてくれた、意志。


 けれど、どうしても許せないものもある。


(……こんなに優しい人を、泣かせるなんて)


 例えば、自分自身の迂闊さとか。

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