第89話 おじさん、JKのパパになる

「……本当に、いいんですか」

「ああ。これも練習だからね」


 シズカさんはまだ躊躇っているようだったが。

 僕の方は、すっかり準備が整っていた。


 向かい合う僕とシズカさんを、フレデリカが不安げに見比べる。


「……アル兄さん。ホンマにええんか?」

「シズカさんには、知っておいてもらわなきゃいけないことだからね」


 三年前の事件。

 あの日、僕が何をしたのか。何が起きたのか。


 前提を知らないまま、真実を見抜くことは出来ないだろう。


(過去を知ってシズカさんが協力を拒むなら、僕は引き止められない)


 フレデリカは頷き、


「シズカはん。ヤバくなったら、ウチが止めるからな」

「……はい。問題ないです」


 シズカさんの凛とした右眼が、僕を捉えた。

 眼帯の下に隠された左眼も、おそらく。


 その気になれば、魂の裏側まで覗き込める魔性の瞳。

 見つめられることが怖くないといえば、嘘になる。


(でも。正面から向き合うのは、これが初めてのような気がする)


 シズカさんはいつも、下を向いていたから。


「……どうして」

「え?」

「どうして、そんな……嬉しそうなんですか」


 あれ。顔に出てたかな。


「だって、ようやく弟子と目が合ったんだよ。嬉しいに決まって――ああいや、ごめん。これ違うね、厳しい感じしないね、いい人っぽいね?」


 僕は自分の頬を手のひらで引っ張って、なんとか厳格な表情を作る。


 シズカさんは、何故かフレデリカを振り返って、


「あの。これ、昨日から、何なんですか?」

「いや……今はこんなゆるふわおじさんみたいになっとるけど、ホンマ、現役時代は“魔王キング・ウィザード”とか呼ばれててん。マジメな話」


 二人とも乾いた笑い。

 あれ? もしかしてバカにされてる?


「……ごほん。とにかく、この訓練の肝は『対象を絞ること』、それから『時間域を絞ること』。詠唱は教えた通り、眼帯を取る前にね。本来天恵ギフトの使用には必要ないんだけど、上手く行くおまじないだと思って。いいね?」


 シズカさんが頷いた。


 刹那の沈黙。

 おもむろに、シズカさんは唱え始める。


「……啓け、視よ、其れなるは乾坤、其れなるは森羅、其れなるは天地――」


 微かな音を立てて、黒革の眼帯がずらされる。

 眼窩から溢れる光――未知の法則によって成立する超常的魔法陣の片鱗。


「――暦を辿れ、項を手繰れ、其れなるは彼、其れなるは過去、其れなるは太母の碑」


 人類には理解不能なほど速く、複雑怪奇な魔法――のような何か・・が、僕を貫いた。


 痛みどころか霊素エーテルに触れた感覚すら無い。

 あらかじめ知っていなければ、何かされたとすら思わないだろう。


「――あッ、う、あ……くっ」


 左眼を押さえて苦しむシズカさん。

 僕とフレデリカで、その身体を支える。


「どう? 何が視えた?」

「……花、街、静寂、女性、光、悲しみ、怒り、絶望――希望」


 断片的な言葉の連なり。

 一見バラバラのようでいて、その実、一つの出来事を指し示している。


 僕にしか分からない――生き残った僕だけが体験した過去。

 三年前の悲劇。


「これ……本当に、アル師匠が、体験した……?」

「気持ちの良い過去じゃなかったよね。ごめん。でも、成功したみたいで良かった」


 情けない話だけど、今はまだ冷静に自分の過去を語れる自信がなかった。

 感情を抑えるのに精一杯で、正確な言葉を見つけられない気がして。


 だからシズカさんには、直接視てもらうのが一番早いと思ったのだ。


 ……シズカさんは震える唇を手で隠し、何かを堪えていた。


「……アル師匠も。大切な人を、亡くして……?」

「違うよ。僕は――僕は、殺したんだと思ってる。自分の手で」


 チトセを――最愛の人を。

 友人を、隣人を、多くの罪なき人々を。

 僕は殺したのだ。


 殺意も悪意もなく。

 ただの慢心で、不注意で、無計画で、迂闊で――そんなくだらないことの積み重ねで。


 シズカさんが激しく頭を振る。


「どうして、なんで、そうやって……独りで、自分を責めるんです――パパっ!!」


 彼女は、まるですがるように。


「パパはっ、それでも、パパで――アタシのパパだったんですっ」


 僕の胸に顔を押し付けながら、叫んだ。


 右眼からは涙を、左眼からは血を流して。


「ごめん、シズカさん。その……ごめん」

「ちがう、アタシ、パパが、ちがいます、パパの、ことは、もう、過去で――っ」


 魂を引き裂くような、痛々しい悲鳴を。

 僕は、黙って受け止めることしか出来なかった。


「パパっ、パパっ、どうして、パパっ、会いたいよ――パパぁ」


 その苦しみを、寂しさを、受け入れるのは。

 彼女自身にしか出来ないことだから。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 この出来事がきっかけになったのだろう。

 シズカさんは【霊素眼エーテル・アイ】を少しずつ使いこなせるようになっていった。


 強行軍で『死の世界アンダーワールド』に到着するまで二日もかけなかったことを思えば、驚異的なスピードだった。

 今では眼帯をしたまま、周囲の生命体や魔法の状況を確認できるほどの精度と安定性を保っている。


 『死の世界アンダーワールド』への最接近地点――ポイント・グウェンドリンから徒歩での移動中、僕とフレデリカが何度もモルガン師匠の車椅子を転倒させたことに比べると、シズカさんの成長はなおさら素晴らしかった。


 ――僕達は、丘から滅びた街の様子を確かめると、さらに移動を続けた。

 街の周囲を取り囲む、針葉樹林の中へと。


「……止まってください」


 シズカさんの眼が、張り巡らされた結界を捉えるまで。


「おや、いよいよ結界かなー。どんなものが視える、シズカ君?」

「あまり敵意は感じません。ただ、ずっと長く……街を囲うように広がっています」


 僕は【魔法解析アナライズ】を使って、シズカさんが示した範囲を確かめる。


 ……等間隔で設置された魔刻器エンクレイブドによる結界だ。


「【警報アラート】と【人形作成ビルド・ゴーレム】の連携トラップですね。気付かず触れれば、ウッドゴーレムやらマッドゴーレムやらに追いかけ回されて外部に放り出される」

「以前より罠が増えてるねー。うーん、平和主義者のルピタ君らしい仕掛けだ」


 ルピタ・ティジャーニ。

 ゴーレムを始めとする無機物操作魔法に長けた宮廷魔法士。

 もともとは地方貴族の令嬢で、趣味の『人形遊び』が高じて宮廷魔法士まで登りつめた天才肌の人物だ。ゴーレムが活きる状況なら、すべてが彼女の遊び場・・・になる。


 ルピタは自ら望んで『死の世界アンダーワールド』の監視部隊に出向したらしい。

 新しい遊び場が欲しかったんじゃない? とはモルガン師匠の言。


「そんで? この警戒線を突破すると、あのミスター色男の歌が聞こえてくるっちゅう寸法やね?」


 ミスター色男こと、ミシェール。

 歌を触媒にした特殊な魔法を専門にする宮廷魔法士であり、現役の吟遊詩人でもある。

 蜜月館ハネムーン・ハウスに顔を出してないとは聞いてたけど、まさか『死の世界アンダーワールド』に出向していたとは。


「なんかね、去年の宮廷晩餐会でおエライさんの奥方を口説いちゃったらしくてねー。殺し屋が研究所まで忍び込んできて邪魔だからって、所長グリフィン君が無理やり飛ばしちゃったんだよ」


 完全なる自業自得。

 とはいえ、美女も観客もいなければ娯楽も無い環境アンダーワールドあの放蕩詩人ミシェールを放り込むというのは、かなり残酷な人事だ。

 ……発狂してないと良いけど。


「まあ僕達としては、ルピタが趣味に熱中しすぎて、やさぐれたミシェールが深酒のしすぎで眠ってることを祈るしかないね」

「……一番新人のウチが言うのもなんやけど、ちゃんと働いとるんか? ウチの国の宮廷魔法士って」


 うん、まあ、ああ見えて自分のやりたいことはちゃんとやり通す人達なんだよ。

 やりたくないことはやらないんだけど。


 ……なんて雑談している間に、ルピタ謹製トラップ魔法の解除が終わった。

 【警報アラート】の有効範囲を上書きして、忍び込めるぐらいの空洞を作り出したのだ。


 かなり上空まで【警報アラート】の範囲に含まれていたみたいだから、安易に【飛翔フライト】で忍び込もうとしたら、ウッドゴーレムに足を掴まれていただろう。

 流石、いい仕事してるなあルピタ。


「あとは? 何か不審なものは視えるかい、シズカさん?」

「いえ……大丈夫です、パ……あ、アル師匠」


 言い間違い。素早い訂正。

 もちろん僕は聞こえなかったふりで、歩き始める。


 でも。


「ぷっ……」


 大人気なくも吹き出しそうになったのは、フレデリカだ。


「……なんですか、フレデリカさん」

「いやいやいや、ホンマ、かわいーなあ思ってな、すまんすまん」


 まあ確かに、普段はキリッとした佇まいのシズカさんが、恥ずかしそうに顔を赤らめているのはかわいいと思うけど。


「なっ、だ、フ、フレデリカさんも、兄妹じゃないのにアル師匠のことを兄さんって呼んでるじゃないですか!」


 そうそう。


「あーあー、ちゃうねんちゃうねん。エエか? 言い間違いを訂正してるとことか、恥ずかしがってるとこがカワイイねん!」


 あーうん。フレデリカの言うことも分かる。


「な、なんですかそれっ!」

「別にエエやん。アル兄さんのことを、この世界での父親、みたいに思ったんやろ? したらパパって呼んだらええやん。なあ、アル兄さん?」


 僕は頷いて、


「呼びやすいなら、そっちの方が」

「でも、いや、そんな、なんかいかがわしい関係のようじゃないですかっ!」

「……パパって言葉、チキュウではなんか変な意味があるん?」


 こういう時、チキュウの文化の底知れなさを感じる。


 フレデリカは笑いながらシズカさんの肩を抱くと、


「あんな、シズカはん。ウチも似たようなもんやねん。生みの親も兄弟も、子供ん頃に疫病で死んでもうてな。拾って育ててくれたオッサンのことを、オヤジって呼んどるんや」


 シズカさんは驚いた顔で、フレデリカの横顔を振り向いた。

 あくまで明るく、笑って語る彼女を。


「所詮は赤の他人やし、ママゴトみたいなもんかもしれんけどな。でも、他人と家族になる、っちゅうのも悪くないで。……ホラ、夫婦だって初めは他人やん?」


 フレデリカは、照れくさそうに言い添えた。


 シズカさんは――少し迷ったように下を向き。

 それから、ゆっくりと僕を見た。


「……アル師匠。その。パパ、って呼んでも良いでしょうか」

「もちろん。光栄だよ、シズカさん」


 そんなに信頼してもらえるなんて、こちらこそ恐縮だ。


 まあ、父娘というには少し年齢が近い気もするけど。

 どっちかといえば兄妹ぐらいの感じじゃない?


「何言うとるんやドアホ! アル兄さんの妹はウチ一人で十分やろが! アホ!」

「えっなんでいきなりキレてるの、フレデリカ? ――痛っ」


 顔を赤くしたフレデリカから、突然の肩パンチ。

 理不尽にもほどがある。


 そんな僕らを見て、モルガン師匠は呑気に笑った。


「しかしアレだねー。せっかくパパって呼んでもらったのに、アル君からは『さん』付けってのも他人行儀じゃない?」

「なんですか突然。師匠が敬称を気にするなんて、朝食に変なキノコでも混じってましたか?」


 車椅子の車輪が、僕のふくらはぎの辺りを抉る。

 もう、だから何なの? 突然の暴力はやめて!


「そういう減らず口、どこで憶えてくるの? 礼儀知らずの家妖精ル・シエラに吹き込まれたの? あの迷惑千万極悪非道妖精、次に会ったら永久凍土の下まで【空間転移テレポート】してやろっと。十年前に活火山の火口に叩き落とした時は何食わぬ顔で戻ってきたからなー」


 ひとしきりブツクサぼやいたあと、師匠は笑顔を取り戻し、


「要するに、アル君も『シズカ』って呼んであげなよ、ってこと」


 いやいや、それは流石に馴れ馴れしいでしょう。

 というか、僕も恥ずかしいし。


「エエやん! 流石はモルガンセンセー、伊達に長生きしてまへんな」

「ふふん。こういうのをチキュウでは『カメノコーよりトシノコー』っていうんだよー。ね?」

「……違います」


 ぶんぶんと首を振るシズカさん。

 でも何故か、じっと僕を見てくる。


 ……えっと。あの……呼んだ方が良いんですか?

 あ、そうですか。はい。


「…………シズカ?」

「中途半端やなぁ、もう一回! ちゃんと目ェ見て!」

「……シズカ」


 見る見るうちに、耳まで真っ赤になるシズカさん――ああ、いや、シズカ。

 底意地の悪い笑顔で僕を見る、フレデリカとモルガン師匠。


 ……あのね! いいですか、君達!

 もう禁忌指定区域――ある意味、王国で最も危険な土地に踏み込んだんだからね!

 ちゃんと緊張感持ってくれますか! ホントに!

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