第90話 おじさん、敵地に忍び込む
手をつくとウッドゴーレムに変化する針葉樹、落ちるとマッドゴーレムに取り込まれる落とし穴、踏むと背後からストーンゴーレム(なんと【
多種多様で実験精神に満ちたトラップの数々は、いかにもルピタ・ティジャーニ――王立魔法研究所で、最も趣味に生きる宮廷魔法士らしい作品だった。
解除している僕も、途中からは知恵比べのような気分で楽しんでしまった。
そういえば、昔は研究所でテーブルゲーム大会なんてやったっけ。
負けた人は宴会用の魔法を一つ即興で編み出さなきゃいけない、っていう罰ゲームつき。
「それ、昇格初日に喰らったわ……宮廷魔法士の歓迎、ホンマえぐかったで」
「一応、訓練の一環なんだけどね……ちなみに、フレデリカはどんな魔法を披露したの?」
「……睫毛がめっちゃ伸びる魔法」
うわー、なにそれ、すごい見たい!
「アレは傑作だったねえ、ピーター君なんか笑い過ぎて腰やっちゃってねぇ」
「宮廷魔法士になって初の仕事が、自分が笑かした相手の治療だとは思わんかったわ……」
ピーター・ロック。
現役の宮廷魔法士ではグリフィン所長に次ぐ年長者(もちろんモルガン師匠は除く)で、王立魔法学園の学長も務めている。
普段はいかにも厳格で寡黙な老魔法使いといった人だけど、孫か酒が絡むとびっくりするほど人格が変わる。
僕が時々ロック
あと、やたら孫のフェリシアの良い所を教えてくれたな。
『アレも良い子なんじゃが、なかなか嫁の貰い手が無くてのう……儂としては将来有望な魔法使いに引き取ってもらいたいんじゃがのう』とかなんとか。
「……パパは、なんて答えたんですか?」
「えーっと……確か『望まない結婚を強制するのは、本人の幸福に寄与しないと思う』って」
……あの、ごめんなさい。
当時の僕は、なんていうか、こう、尖ってたんだ。
孫を思うおじいちゃんの優しさとか、そういう情緒が分からない人間だったんだよ。
「モルガンセンセー、よくアル兄さんをここまで人間らしく育てはったなぁ。ホンマに大変やったろ?」
「まあアレだね。チトセ君が現れなかったら、私も諦めてたよ。ニンゲンって、放っておいてもニンゲンになる訳じゃないんだねぇ」
本人を前にして、なんてこと言うんだ二人とも。
……もちろん、ずっとこんな緊張感のない会話をしていたわけじゃなく。
十重二十重に張り巡らされたルピタの罠と
僕達は、ついに街の門が見える場所まで来たのだ。
木々の間から、改めて状況を伺う。
少し離れたところに建物がもう一つ。こちらは新しく建てたものだろう。
掲げられた旗には、絡み合う二匹の蛇――宮廷魔法士の詰め所だ。
……肉眼で分かるのは、ここまで。
「……シズカ。君の眼では、何が視える?」
「眩しい――です。ものすごく、大きな、
それは僕達――【
とてつもなく巨大な光。
例えるなら太陽を直視した時ように、瞳の奥まで焼き付いてしまいそうな。
魔法の構成どころか、ひとつまみの秩序すら見出だせない混沌の塊。
この世界の始まりと終わりにあるという原初の光。
そんな神話めいたものを感じるほど、圧倒的な
(あれが……僕が生み出したもの、なのか)
三年前。
幾千の命と、チトセの命を引き換えに。
いつの間にか、涙がこぼれていた。
思い出してしまったのだ。
あの日、何が起きたのか――最後に、チトセがどんな顔をしていたのか。
胸を裂くような痛み。腹の底から吹き上がる後悔。
怒りと悲しみで、目の前が暗くなる。
「――アル君」
ふと、感じる温かさ。
いつの間にか、モルガン師匠が僕の手を取っていた。
「涙を拭いて。よく見るんだ。すべてを知るんだ――罪悪感なんかに負けて、君自身の望みを手放しちゃいけない」
忘れていた。目を逸らしていた。
僕自身の望み。
どんな罪を引き換えにしても――手に入れなくちゃいけないもの。
「……はい。モルガン師匠」
「良い子だ。流石は、私の一番弟子だね」
僕は【
「……シズカ。焦点をずらすことは出来るかい? 街じゃなくて、騎士団の詰め所の辺りに集中するんだ。騎士と魔法使いの数と配置、罠や仕掛けがあればそれも教えてほしい」
「……はい、パパ。やってみます」
シズカの左眼に刻まれた魔法陣が、一層強い輝きを放つ。
恐ろしいほどの速度と精密さで処理されていく
驚くべきは、それに耐える彼女の精神力だ。
やはりシズカもまた、非凡な力を与えられた
「見張り台に二人、建物には結界、一階に三十二人、二階に十六人……蛇の旗の建物は結界が分厚いです。それに複雑な
できるだけ監視が薄い副門を選んだけれど、やはりそれなりの数が詰めているようだ。
しかも、どうやら宮廷魔法士の建物には誰かいるらしい。
「相手のステータスは分かる?」
「……すみません。街の『光』が強すぎて、そこまでは掬いきれないです」
【
街中に入ったところで
「……どっちだと思います? ルピタか、ミシェールか」
「ルピタ君だろうねー。こんな天気のいい日に彼女が外出しているとは思えない。逆にミシェール君がじっとしているのも考えづらいねー」
そう。
ルピタは何よりも日差しを嫌う――人形の劣化を招くから。
ミシェールは何よりも一箇所に留まることを嫌う――退屈だから。
グリフィン所長は、一体何を考えてこの二人を配置したんだろう。
「方向性がとっちらかって揉めるよりは、真逆の方がむしろバランスが取れるって思ったんじゃない?」
「……なるほど」
一理ある。
……あるかな?
「しかしルピタはんがいるんじゃ、詰め所の監視をすり抜けるんは厳しそうやねぇ」
「目眩ましも姿隠しも、
街を取り囲む外壁にも当然トラップはあるから、門以外を通過するのも厳しい。
となると、採れる手段は――
「仕方ない。とうとう私の出番のようだねー」
気負っているというよりは、むしろ楽しんでいるような顔で、モルガン師匠が肩を回してみせる。
「この“
「え、なんやねん、人気ランキングって? ウチ初耳やけど」
宮廷で働いてる臣下達が内輪でやってる賭けのネタでね。
十年以上前、師匠が一位から陥落して以降は開かれなくなったんだよ。
どうしてかは知らないけど。
「余計な説明はしなくてよろしい。アル君、打ち合わせ通りにね」
「ありがとうございます、師匠」
師匠は片手をプラプラと振りながら、あっという間に森の中へ――僕らが来た方向へと引き返していった。
……しばらく時間が経って。
不意に、辺りに奇妙な音が響いた。
【
異変に気づいた見張りの騎士が叫び、あっという間に建物から完全武装の騎士達が飛び出してくる。
轟音。
世界がひび割れたかのような。
一瞬、辺りが暗くなるほどの土煙。
中から現れたのは――モルガン師匠だ。
「……やあ諸君。私はモルガン・ラウェイ、宮廷魔法士だよ。今日は同僚に挨拶をしにきたんだけど――誰か取り次いでくれる人はいるかな?」
一斉に差し向けられた四十以上の刃など、意に介した様子もなく。
モルガン師匠は友人の家を訊ねてきたかのように、のんびりとした態度だった。
「どうしたの、怖い顔して。
「……事前のご連絡をいただいていないようですが、マスター・ラウェイ」
包囲から進み出てきたのは、栗色の髪を短く刈り込んだ美丈夫。
身の丈を超えるハルバードには、美しい隼が彫り込まれている。
(あれは……第三“
事故当時、この街に駐在していた部隊。
郊外で演習中だった人員を除く過半数が消滅し、部隊の再編成が行われたと聞いていたけれど。
もしかして、彼らは事故を生き残ったメンバーなのだろうか。
「これは失礼、旅の途中だったものでね。ルピタ君とミシェール君はいるかい?」
「……現在はマスター・ティジャーニが基地にて待機中です。案内の者をつけましょう」
「不要だよ。多忙な騎士殿のお手を煩わせるのも申し訳ないからね」
騎士は苦々しげに首を振った。
「いえ、マスター・ラウェイ。貴方は
「えー、
……それ、師匠は謝ってないですよね?
と思ったけど、口には出さないでおく。
二人の騎士にがっちりと左右を固められたまま、モルガン師匠はルピタが控える建物へ向かう。
彼女の背中を見送る騎士達。
――ところで。
モルガン師匠が派手に登場してから、ルピタのもとに向かうまでの間。
騎士団の背後に茂る木々が不自然に揺れていたことに、気付いた者はいなかった。
木々の間をこっそりと歩いて無人の門まで辿り着いた、僕達自身を除いて。
(……後は、任せてください。モルガン師匠)
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