第83話 おじさん、生徒になる

 僕は、保管箱を元通りに封印し直すと、すべて棚に収めた。


「……この状況は、予想してなかったな」


 かつて一つの街を『死の世界アンダーワールド』に変えた僕の研究。

 その内容を記した資料が盗み出されていた。


「え、ウチのバカ親父が盗んだんと違うん?」

「かもしれない。ただ、箱の封印にマーティンおじさんの魔法痕サインはなかった。そこまで偽装した可能性も否定はできないけど」


 ありえるとしたら、封印される前にマーティンおじさんが中身をすり替えたか。

 いや、今の僕には分かりようがない。手元の情報が少なすぎる。


「とにかく、誰かが勝手に資料を持ち出した、という前提で動いておいた方が良い。フレデリカ、悪いけど夜が明けたら幹部達に知らせてくれ」

「了解や。禁忌の間に入った言い訳、考えとかなあかんな」


 マーティンおじさんが犯人なら、まだいい。

 それ以外の誰かが持ち出していたら、事態はもっと複雑になる。


「念の為、僕の工房アトリエも覗いておこう。何か資料が残っているかも」


 ダメで元々だ、今は少しでも情報をかき集めておかないと。

 僕らは慌てて禁忌の間を後にすると、地上階へと戻る――


「――おやおや。予感ってのも、信じてみるものだね」


 懐かしい声がした。

 薄暗い書棚の間を抜けた先、閲覧者用テーブルの向こう側に。


 彼女がいた。


 煌々と輝く魔刻器エンクレイブドの下で、まるで一夜の夢のように儚く。

 緩やかなガウンに身を包み、車椅子に腰掛けた女性。


「街中で【大爆発エクスプロード】使うような魔法使い、そうはいないと思っていたけど……一番ありえない子だったとは。流石の私もビックリしてるよー、うん」


 王都に入ってからというもの、予定外のことばかり起きていたけれど。


(まさか、師匠にまで出くわすなんて)


 モルガン・ラウェイ師匠。

 十六歳の僕を見出し、この王都まで連れてきた張本人。王国の魔法研究を世界最高峰にまで押し上げた無二の功労者でありながら“永遠不敗ジ・インヴィンシブル”の二つ名を持つ無敵の魔法使いでもある、本物の超人。


 この五十余年で一筋たりとも増えたことがないという皺を、白く秀でた眉間に刻み。

 彼女は深い溜め息をついてみせた。


「確かに、君って子は昔からそうだったよねー。自分の目的の為なら手段は選ばないっていうか。まー、そこが魔法使いとして最も秀でた部分だとは思ってたよ、私はね。とはいえ今回は流石に無茶が過ぎるというか、ああ、でもこれ以上ないタイミングではあるね、素晴らしいタイミング」


 独りごちて、独りで納得している。

 あの頃と変わらない、その振る舞い。そして恐らくこの百年でも変わっていないのだろう。


 モルガン・ラウェイはいわゆるハーフエルフ――人間とエルフの混血ミックストだと言われている。

 言われている、というのは、彼女の出自を詳しく知る者も、記録も残っていないからだ。王国史に初めて名前が刻まれたのがおおよそ百年前と言われており、当時の肖像画には、今と全く同じプラチナブロンドを伸ばした傾国の美女が描かれている。


 百年前の人々も同じ苦労をしたのだろうか、と思いながら。

 僕は延々と独り言を続けるモルガン師匠に声をかけた。


「師匠。あの、すいません。まずは僕の話を聞いてもらっていいですか?」

「分かってるよー、『コイツ絶対殺すリスト』がまとまったって話でしょ。裁判官はやめときなよー、あの人は君に恨みがあったわけじゃなくて、真面目に王国法を運用しただけなんだから。でもアレだね、証言台に立った王国騎士団キングズ・オーダーの幹部は裏でめちゃくちゃ悪口言ってたから前歯ぐらいなら折っていいかも。カレ、なんか狙ってたご令嬢が君に同情してたとからしいよー」


 何の話ですか。

 そんな殺伐としたリスト、作ってる訳ないでしょ。


「え!? 作ってないの!? もー、だから言ってるじゃない、アル君。人間社会をサバイブするのに必要なのは第一に暴力なんだからさ。私なんて若い頃は、ムカつく魔法使いが実験用に作った集落に乗り込んで、本人はもとより一族郎党を一人ずつオリジナルの拷問にかけていってね」

「分かりました、分かりましたから! 僕の話を聞いてくださいっ!」


 ぜえぜえと肩で息をする僕。

 対する師匠は、あくまできょとんとして。


「え、だからさ。復讐の準備が整ったから、王都に戻ってきたんでしょ? 君を追放した貴族評議会とか、王国騎士団キングズ・オーダーの連中とか、あと研究所の幹部とか? 全員とっ捕まえて煮たり焼いたり刻んだりしてやるぜーって。あの【大爆発エクスプロード】はその宣言じゃないの?」


 僕がやったってバレたのか。

 ほんの少し前なのに、どうやって?


「最近、眼の良い子・・・・・・がウチの工房アトリエに来てね。窓から事態を視たあの子が言うには、恐ろしく速くて複雑な構成の上級魔法が使われてて、人的被害はゼロ、周囲への被害もゼロ、ギャングの根城だけが綺麗に半壊してるって。そんな面倒なやり方をする魔法使い、私の知ってる限り三人しかいないもの」


 心底嬉しそうに、師匠は目を細めながら。

 右手を上げて、僕へと向けた。


「それで? 君の『絶対殺すリスト』に、私の名前は入ってるのかな?」


 問い返さなくても分かる。


 ここで、はい、と答えたなら。

 モルガン師匠は躊躇うことなく、僕を殺す。


 彼女はそういう人だ。

 冷酷でも薄情でもなく。ただ、すべきことをする。

 それがどんなに残酷なことでも、悲しいことでも、痛みを伴うことでも。


「……師匠。昔、あなたが、僕が半年かけて書き上げたレポートをうっかり消し炭変えたことがありましたよね」

「あったねー。ごめんごめん」

「あの時、僕はどうしましたっけ?」


 師匠は形の良い顎に指を添えて、少しだけ考え込む。


「……少なくとも、私は殺されてないね?」

「そういうことですよ」


 僕が答えると。

 エルフの血を引くものに特有の薄い唇が、ゆっくりと弧を描いた。


「そうだった。君はそういう子だったね、アル君。……おかえり」

「ご無沙汰しています。ご挨拶が遅くなってすみません、モルガン師匠」


 僕も笑う。


 隣りにいたフレデリカは、ふぅーっと大きな息を吐くと。


「あああああ、焦ったわー! なんやねん、アンタら! どういう師弟関係なん!? ラウェイ工房アトリエの魔法使いってみんなこうなん!? ヘマしたらオリジナルな拷問喰らうん!?」

「おや、フレデリカ君。こんな夜中に散歩とは、いい趣味だねー」

「なんでやねん! わざわざこないな狭っ苦しいところで散歩するかい!」


 ここぞとばかりに大声を響かせるフレデリカ。


「はっはっは。冗談だよー、いや君のそういうところ、マーティンそっくりだよねー」

「うわー、腹立つわー、ホンマこれだけはバカ親父と同じ意見やわー」


 あのね、真面目に取り合って損するのはこっちだからね。


「……モルガン師匠。僕は、復讐に来たんじゃありません。あの事故のことを、もう一度調べに来たんです」

「おおー! そうか、そうなんだね! すごい、素晴らしい、流石は私が見込んだ天才だっ! 君なら必ずそう言い出すと思ってたよっ、えらい、とってもえらいっ!」


 師匠は驚くほどのスピードで車椅子を操ると、僕のもとまでやってきた。

 意外な力強さで僕の顔を引き寄せて、子供にやるように頭をなでてくる。


「ちょっ、師匠! やめてください、僕もう三十歳ですよ!」

「赤ちゃんと大差ないよー! というか、あれ? アル君、だいぶ髪が伸びたねー……っていうか、服の趣味変わった? スカートなんて動きづらい服、よく着てるね?」


 ああ、忘れてた。

 そういえば蜜月館ハネムーン・ハウスのみんなの協力で、女装してたんだった。


 ……師匠には全く通じてなかったみたいだけど。


「ええー……いやホンマ、なんなん? ラウェイ工房アトリエ、ヤバない?」


 僕を全力でかいぐりする師匠を見て、フレデリカがますます引いていた。

 違うんだよ、それは誤解だ……と言い切れないのが、悲しいところだ。


 残念ながら、これが世界有数の魔法使いであり、僕の師匠でもあるモルガン・ラウェイという魔法使いなのだ――本当に、とても残念なことに。

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