第84話 おじさん、師匠に甘える

「結論から言えば……私も、マーティン・ヴィゴの仮説には検証する価値があると思うよ」


 僕の説明に、モルガン師匠は特に驚いた様子もなく首肯した。


「『死の世界アンダーワールド』を覆う超高濃度霊素エーテルには、どうやら意志のようなものがある。私は、これを人工精霊と似たような状態だと推測してる。つまり長期間に渡って発動する構成によって集合し、特性が固着した霊素エーテル、という訳だね」

「……それは――つまり。霊素エーテルには、被害者達の意志が残っている、と?」

「マーティンはそう考えたみたいだね」


 時刻は夜半をとうに過ぎていた。

 まもなく明けの明星が顔を出す頃。

 ストラヴェック工房アトリエの窓から見える夜空も、薄っすらと明らんでいた。


「……ちょっと待ってください。その口ぶり、まさか師匠も『死の世界アンダーワールド』を調査していたんですか?」

「もちろんだよー。というか、私がマーティンのヤツを連れて行ったんだもん」


 ということは。


「そもそもの発端は、師匠ってことですか!? どうして、あんな危険な研究にもう一度手を出したんです!」

「つまらないことを聞くねー。まあ、色々理由はあるけど……」


 師匠は、車椅子の肘掛けにもたれたまま、しばらく視線を宙にさまよわせた。


「私は、自分の一番弟子を信じてるからね」


 モルガン師匠の、木漏れ日のような色をした瞳。

 真正面から見つめ返したのは、いつぶりだろう。


 三年前。

 彼女が証人として出廷した日、僕は真っ直ぐ彼女のことを見られなかった。


 伝説の魔法使いの名誉を汚し、ラウェイ工房アトリエの評価を地に落とした不肖の弟子だと、師匠に失望されるのが怖かったのだ。

 こうして時が経ってみれば、そんなことはありえないとすぐに分かったのに。


「……なんだいアル君、面白い顔をして。君、まさかと思うけど、私に怒られるなんて思ってたんじゃないだろうね」

「いえ、その、違います。違います、けど、その」


 そうだ。

 僕は、師匠から教わっていたはずじゃないか。


 教え子のことを理解し、受け入れ、信じること。

 村の子供達に勉強を教える時も、チヅルさんや、カレンに魔法を教える時も。

 僕は、自分がかつてしてもらったように、教えていただけなんだ。


「失敗は失敗だよ。取り返すことなんて出来ない。でも、戦で焼けた荒野にも緑が芽吹くんだ。アル君ほどの魔法使いが残したものなら、きっと何かの価値がある。私はそう思っただけさ」


 相変わらず気の抜けた笑い方で、師匠は続ける。


「まー、禁忌指定を無視して調査に行くって言っても、ウチの工房アトリエのスタッフはみんな嫌がるし、ユーリィ君もなんか『先輩を探しに行きます!』とか言って保護官になっちゃうし、ちょうどいいのがマーティンぐらいしかいなかったんだよね」


 いやそんな、「ぐらい」って。

 マーティンおじさんは仮にも王立魔法研究所の重鎮で、世界最強と名高い魔法使いなのに。

 扱いが雑すぎる。


「えっ、てことは、モルガンセンセー、まさか知っとったん? この三年、バカ親父が何しとったのか」

霊素再構築エーテル・リコンストラクションの研究を再開するための準備でしょ? あの調査の後、そんなようなこと言ってたし。研究所ここじゃ出来ないからって、どーせ闇ギルドあたりと取引したんじゃないかなー。そういうところは、この国が戦争してた頃からちっとも変わらないよね」


 あまりといえばあまりな返答に、フレデリカが絶句している。


 ……フレデリカの気持ちは分かる。

 けれど、残念ながら受け入れるしかない。これがモルガン師匠なのだ。


 僕も、最初はかなり困惑させられた記憶がある。

 まさか自分よりマイペースで大雑把で奔放な人間がいるなんて、夢にも思わなかったから。


「それで、アル君? 霊素再構築エーテル・リコンストラクションの研究資料は残ってた?」

「……徹底的にやられてますね。ボードに貼っておいたカレンの落書きまで無くなってる」


 最後の棚――ここも埃だらけだ――の引き出しを開けてから、僕は応えた。


 予想はしていたけれど、それを上回る綿密な家探しだった。

 事故の後、僕の工房アトリエには王国騎士団の調査部隊が入り、あらゆる資料やサンプルを証拠品として回収していった。

 そのことは、立会人として現場にいたユーリィから聞かされていた。


(とはいえ隠し金庫のトラップまで解除してあるなんて、流石に感心しちゃうよ)


 それなりに手の込んだ仕掛けをしておいたのだけど、発見された上に破られるとは。


「だろうねー。あ、王都にあったアル君の家も同じような感じだったよ。私、こっそり見に行ったもん」

「……知ってたなら言ってくださいよ、師匠」

「君が自分の目で見た方が早いだろうと思ってね」


 ただ、と師匠は前置きして。


「『禁忌の間』の保管箱に何も入ってなかったって話は、初めて聞いたよー。アンドリュー君とフレイア君が二人がかりで組んだ封印だよ? アレを破れる魔法使いなんて、アル君以外にいるのかなー。あ、私はやってないよ、そういうの向いてないし」


 防衛魔法の専門家、アンドリュー・グリーンウッド。

 呪詛魔法の専門家、フレイア・ヒルズバーン。


 キワモノ――じゃなかった、個性派揃いの宮廷魔法士の中でも、とびっきり慎重で繊細で陰湿な二人が手を組むなんて、それこそ王命でもなければありえないだろう。

 つまりあの保管箱は、古今東西のあらゆる警戒心と悪意を詰め込んだ奇跡的なクオリティだった訳だ。


「……いや、そうは言っても、魔法は魔法ですよ。僕に解けたんだ、他の魔法使いにも解けるはずです」

「はい出た、アル兄さんの得意なやつ。理論上可能なら誰でも出来るとか思ったら大間違いやねん、まったく」


 フレデリカの深い嘆息。

 何故か師匠まで一緒になって溜息をつく。


「悪いねフレデリカ君。アル君に悪気はないんだよ、ただ無神経なだけで」

「いやー、そっちの方が罪深いでしょ、ホンマ」

「まったくその通り! この子にモラルを叩き込むのに、私がどれだけ苦労したか。昔は、近寄る相手の心をすべて叩き折る悪魔みたいな子だったからねー」

「あー、それマーティンのオヤジも言ってましたわー、『アルフレっちゃん、昔はとんでもない狂犬だったんじゃい』って」


 うわあ、やめてやめて、なんでそんな恥ずかしい話するの!


「ふふふ、最近はようやく自覚が出てきたのかな?」

「アル兄さんもだいぶ人間っぽくなったんやなあ、ホンマに」


 えっ、なんで二人で通じ合ってるの? フレデリカ、さっきまで師匠のことは理解不能みたいなこと言ってなかった?


「君のおかげだよ、アル君。ある意味ね」


 師匠は意地悪く笑ってから、


「とにかく、保管箱の方は誰かに追跡させるよう手配するよー。それより今は『死の世界アンダーワールド』の再調査が最優先ね。フレデリカ君は自分の工房アトリエで荷物をまとめてきなさい。私も工房アトリエに戻って準備してこよっと」


 確かに。

 過去の実験に関する資料やサンプルはとても貴重で、危険なものだけれど。

 最悪、消失してしまったとしてもフォローする方法はある。


「ほんなら二人とも、南の凱旋門を出てストーンヘンジ辺りで落ち合うんでエエか?」

「できればアーミテージさんの店がいいんだけど……おじさん、まだ元気ですよね?」

「アーミテージ君なら、最近目覚めが早くなってきたとか言って、夜明け前に店を開け始めたよ。まだ若いのに、老人みたいなことを言うんだから」


 アーミテージのオヤジさん、確か六十歳超えてたんじゃないかな……

 まあ師匠の基準だと、ようやく青年ってところなのかもしれない。


「いやしかし、本当に良いタイミングで帰ってきてくれたよー、アル君っ。君がいなかったら、私がイチから仕込まなきゃいけない・・・・・・・・・・・・・・・・ところだったもんなー」


 ん?


(今、なんて言った?)


 ……何故かルンルンした様子で車椅子を回転させる師匠の呟きに、一抹の不安を覚えながら。


 僕は王都を出発し、真の目的地――『死の世界アンダーワールド』へ向かった。

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