第73話 おじさん、背中を押してもらう
「ちょ、えっ、ちょっと待ってくださいっ! マスター・ヴィゴが闇ギルドに協力?
目を回すユーリィとは対照的に、エレナは涼しい顔だった。
「確かに、マーティン・ヴィゴって名前に聞き覚えはあるが……戦時中の英雄だろ? あたしは面識もないしな」
ル・シエラが淹れてくれた紅茶を一口すすると、
「それで? アルはマーティンってオッサンの発言が本当かどうかを確かめに行く。その間、闇ギルドの連中がチヅルとカレンに手を出さないよう、あたし達に護衛を頼みたい、と」
「僕が姿を消したことに気づいたら、二人をさらって交渉材料にしようとするかもしれない。マーティンおじさんなら、それぐらいは考えてるはずだ」
相手は、紛うことなき“
僕の予想では、“
当然、マリーアン様の支援も必要になるだろう。
「……言いたいことがいくつかある」
「聞かせてくれ」
エレナはカップを置き、それからまっすぐに僕を見た。
「あたしの監視抜きで村の外に出るってことは、今度こそ何の言い訳も立たなくなる。見つかり次第、王権反逆罪で即処刑だ。分かってるよな?」
「ああ。もちろん」
「それだけじゃありませんよっ!」
エレナの続きを引き取ったのは、ユーリィだ。
頭の整理が終わったのか、フルスピードでまくしたてる。
「王立魔法研究所の資料室への侵入も犯罪だし、禁忌指定地区への侵入はもっと犯罪ですっ! 仮に研究の目処が立ったとして、本当に闇ギルドに協力するんですか!? これも犯罪! それに
流石は、王立魔法学園を飛び級で卒業したエリート。
確か学園では、法学は必修科目だったはずだ。
「何があっても、カレンとチヅルさんの可能性を傷つけるようなことはしない。絶対に」
そもそもカレンは、僕という「大罪人」の娘だ。
いつか、然るべき時が来たら身元を整えてもらうよう、昔からマリーアン様には頼んである。
「……それだけじゃない。お前が、本当にいなくなったら――カレンは今度こそ独りになる。それは、考えたんだよな」
大丈夫。
絶対に死んだりしない。
そう答えようとして――僕は言葉に詰まった。
(そんな言葉には何の意味もない。自分の命を賭け金にしようとしている、その時に)
わずかでも可能性があるなら、備えておくべきだ。
それが父親としての責務だから。
だから僕は、資産、環境、人脈――カレンが生きていくすべを整えてきたつもりだった。
でも、どうやって?
どうすれば、愛する人を永遠に失うことそのものに、備えられる?
「なあ、アル。あたしは、お前に二度とそんな顔をさせたくないから、冒険者を辞めたんだよ」
「……すまない、エレナ」
エレナは立ち上がり、僕が座るソファに腰掛け直すと。
僕の肩を抱きしめてくれた。
とても強く。
「その調査は――あの事故にケリをつけるのは、お前自身にしか出来ないことだ。あたしだって分かってるさ、アル」
同時に、僕は気付いた。
エレナの手が震えていることに。
「でも、頼むから……約束してくれ。調査の結果がどうあれ――絶対、無事に帰ってくると」
「……ああ。もちろん」
対面のソファでは、ユーリィが何かを言おうとして――口をパクパクさせ、手をワチャワチャさせた挙げ句――珍しく小さな声で、
「……分かってますよ、ユーリィだって。でも、一人で行くことないじゃないですか。王立魔法研究所だってユーリィがいれば楽に入れるし、なんならみんなで行けば実験だってすぐ出来るのに……」
確かにみんなを――チヅルさんとカレンを連れていく方が手っ取り早いだろう。
でも、今回は悠長に旅をしている時間はない。
連続【
そしてチヅルさんとカレンをこの村に置いていくなら、闇ギルドを警戒しない訳にはいかない。
「闇ギルドと――いや、あの“
これはお世辞でもなんでもない。
五年も早く王立魔法学園を卒業した、十七歳のユーリィが僕の
僕は彼女を見てきた。
だから確信している。
彼女ほどの才能と研鑽があれば、相手が“
「分かってますよ、それも。……アル先輩のバカ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
友達との外遊びから帰ってきたカレンは、土まみれでも煌めいて見えた。
全力で僕に抱きついてくると、今日のかくれんぼの戦績について詳しく教えてくれる。
僕は本当に微笑ましい気持ちで、すべてを聞き終えた。
そして。
「カレン。話があるんだ」
「なに? おとーさん」
膝の上で足をプラプラさせていたカレンを下ろすと、僕は書斎の床に膝をついた。
正面から、娘と向き合いたかったから。
「お母さんに関わることだ」
「……うん。どうしたの?」
カレンはこの数ヶ月で、また少し成長したようだった。
背の高さも、顔つきも。
以前のように背中を丸めなくても、視線が合う。
「お父さんは――僕はずっと……君と、お母さんの話をすることを避けてた。君と話をすると――お母さんが、本当に……過去になってしまうような気がして」
チトセがいなくなった後。
記憶も、記録も、すべてはあっという間に風化していった。
チトセと僕の間にあって、今も生き続けているのは、カレンだけだった。
僕とカレンの間で、チトセが思い出になった時。
本当に――チトセの時間は止まってしまうんだと、そう思っていた。
「でも、カレン。君が――今朝、お母さんのことを話してくれた時。僕は、すごく嬉しかったんだ。こんな気持ちになるなんて、思ってもみなかった」
「……うん。カレンも、嬉しかったよ。おかーさん、夢に出てきてくれたの」
僕が間違っていたんだ。
僕とカレン、二人でチトセのことを思い出す。
それだけが、彼女を過去にしない――ただの記憶に、記録にしないための方法だったんだ。
だから。
「……お父さんは、もう一度、あの日のことを調べに行きたいんだ。お母さんがいなくなった日のことを。自分の気持ちに、ケリをつけるために」
その結果。
例え何も変わらなくても。
奇跡なんて起こらなかったとしても。
僕は、前を向く。必ず。
「一週間、僕に時間をくれないか。帰ってきたら――たくさん、お母さんの話をさせてほしい」
カレンは、考え込むように目線を下げた。
ここ数ヶ月で増えてきた仕草だ――彼女なりに、世界と向き合うための。
「……いいよ」
そう言うと、カレンは腕を伸ばし――僕を抱きしめてくれた。
「カレン、知ってるもん。おとーさんは、カレンのことがだーいすきで……今まで、わがままなんて、ぜんぜん言わなかったって」
それは……どうだろう、カレンのことが大好きっていうのは自信あるけど。
「だから、いいよ。……カレン、お留守番できるから」
僕は、カレンを抱きしめ返す。
いつも小さいと思っていたけれど、少しずつ大きくなっていく最愛の娘を。
「ありがとう、カレン。大好きだよ」
「カレンも、おとーさんのこと、大好き」
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