第4章 おじさんと消えた嫁と消せない過去

第72話 おじさん、死の世界に踏み込む

 その街は、もう地図には載っていなかった。


 三年前。

 僕が引き起こした魔法の暴走事故によって、街の住民はすべて消滅した。

 暴走した魔法は範囲限界に達したものの無期限発動中と見られ、国王陛下は禁忌指定を下した。

 街の設備はすべて廃棄され、現在に至るまで王立魔法研究所と王立騎士団キングズ・オーダーによる封鎖が続いている。


 今はただ『死の世界アンダーワールド』とだけ呼ばれる街。


「気分はどうよ、アル君?」

「……どう、とは?」

「まだ正気を保ってる? っていう意味。怒りや悲しみや自責の念で、魔法使いとしての喜びを忘れてない?」


 僕の傍らには、一人の女性が車椅子に腰掛けていた。

 透き通るようなプラチナブロンドを編み上げた、まごうことなき絶世の美女。


(マスター・ラウェイ――モルガン・ラウェイ師匠)


 “永遠不敗ジ・インヴィンシブル”、“メギドの丘の十三人目ザ・ラスト・サーティーンス”など数々の異名を持つ史上最高の宮廷魔法士にして、僕の師匠。


 僕のものと同じ銀縁眼鏡を指先で直すと、丘の下に広がる街を――『死の世界アンダーワールド』を示して、


「私達は、楽しい楽しいフィールドワークに来たんだよー。あの日、ここで本当は何が起こったのか? 誰が真実を隠そうとしたのか? それから――」

「僕の失敗に巻き込まれた人達は、どうなったのか。それを調べるために」


 僕は師匠を振り向くと、はっきり頷いてみせた。


「全てを知りたい。僕自身が望んだことです」

「さっすがアル君。優秀な教え子が健在で嬉しいよ。知ることは喜び、知から恵みを得ることは幸せ。それこそが魔法使いだからねー」


 師匠は車椅子の肘掛けを、指先でこつこつと叩く。


「連続【空間転移テレポート】で近づけるのはこの辺りまでだねー。ここから先は王立騎士団キングズ・オーダーの監視をごまかさなきゃだ。あーめんどくさい。進んでくれる? シズカ君」

「……分かりました」


 静かに師匠の車椅子を押す、東方系の女性。


「周りをよく見ててねー、シズカ君。君の天恵ギフトがあれば、誰かが近づいてきてもすぐ分かっちゃうから」

「……イノシシ、鳥、リス、虫……ニンゲンはいません」

「うんうん、いい感じだねー。きちんとコントロールできてるっぽい」


 名前はタチバナ・シズカ――モルガン工房アトリエ預かりの来訪者ビジターで、立場上は僕の兄妹弟子ということになる。


 切れ長な眼差しが印象的だけど、それ以上に目立つのは左目を覆う眼帯だ。

 師匠直々の魔刻エンクレイブが施されたそれは、彼女の天恵ギフトを制御するためのもの。


(“霊素眼エーテル・アイ”――すべてを見通す力があれば、『死の世界アンダーワールド』の本当の状況が分かる)


 あの廃墟群を覆う超高濃度霊素エーテルの正体も。


 モルガン師匠が三年をかけて彼女を探し当てたのだ――過去から逃げ続けていた僕の代わりに。


「……ねえ、アル兄さん。車椅子を押す係、そろそろ代わってあげた方がイイんとちがう?」

「師匠が、僕が押すのもフレデリカが押すのも嫌だっていうんだから仕方ないよ」

「でも、ずっとシズカはんが押しっぱなしやし。こんな荒れ道、普通に歩いててもシンドイのに」


 心配そうに呟くのは、フレデリカ・ヴィゴ。

 彼女は、医療魔法を専門とする宮廷魔法士だ。

 青みがかった長髪をポニーテイルに括った活動的な女性で、もし魔法が使えなかったら絶対冒険者になっていた、とは本人の言。


「というか、フレデリカ。流石に、『兄さん』って呼び方は恥ずかしいよ。君だっていい大人だろ」

「ウチにとっては兄さんよ。十六歳のアンタが酔いつぶれたバカ親父・・・・を家につれてきてくれた時からね」


 バカ親父――マーティン・ヴィゴ。

 フレデリカは彼の正体を知るために、この危険なフィールドワークに参加した。

 育ての親であり、魔法使いとしての師でもある男の正体を知るために。


「遅いぞー二人とも。まだまだ若いんだから、サクサク歩く!」

「モルガンセンセー、言うてもウチらアラサーですよ? しかも重度のインドア派やし。流石にこんな獣道はシンドいですわぁ」

「何言ってんのさ、フレデリカ君。年寄りぶるのは、最低でも百年生きて脚の一本や二本を失くしてからね! あ、シズカ君、これ、この世界流の自虐ジョークだからね。分かる?」

「……それ、チキュウではマウンティングって言います。パワハラの一種です」

「えっウソ? ホントに?」


 シズカさんの容赦ない一言に、モルガン師匠は傷ついた顔を見せるが。


「センセーの冗談は基本おもろないねん。三百年ぐらい生きてはるんやろ? もうちょい笑いのセンス磨いといてや」

「鈍いのは君達オーディエンスのセンスだろ? あーやっぱりただのニンゲンじゃあ私のハイレベルでハイブローでハイブリッドなジョークは理解できないんだよね」

「それリズムだけで言うとるやろ。なんやねんハイブリッドって」

「……雑種、という意味です」

「マジメか、シズカはんも」


 なんやかんやと騒ぐ三人を見ていると、一瞬、自分がどこにいるのか忘れそうになる。


 『死の世界アンダーワールド』。

 みだりに侵入しようとすれば、王権の象徴たる精鋭『王立騎士団キングズ・オーダー』と王国最強の魔法使い『宮廷魔法士』によって容赦なく退けられる。

 生死を問わず。


 まして僕のように、移動すらも禁じられた大罪人が見つかったら、どうなるか。


(それでも僕は、やらなきゃいけない)


 すべての真実を明らかにするために。

 そして――残されているはずの希望を、見つけるために。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ……星祭スターフェスが終わり、マーティン・ヴィゴが僕の前に現れた翌日。


 僕は考えていた。


(マーティンおじさんは、二週間後に返事を聞きに来ると言ってた)


 ただ迷い苦しみながら彼を待つ訳には行かない。


 確かに、チトセを取り戻せるかもしれない、という提案は魅力的だ。

 でも。


(カレンを、チヅルさんを――二人の可能性を闇ギルドに売り渡すなんて、絶対にできない)


 そうだ。

 今朝、カレンを抱きしめた、その温もりが。


 僕の恐れも、迷いも、揺らぎも、悲しみも――すべてをかき消してくれた。


「休みだと言うのに随分と騒々しいですね、アルちゃん。もう祭の準備は終わったのでしょう?」

「やることが出来たんだ、ル・シエラ。すまない、しばらく留守にする」


 書斎の入り口で、ル・シエラが氷点下の笑みを見せた。


「あら。夜通しはしゃぎすぎたせいで、昨夜自分が何を言ったのか忘れたんですか、アルちゃん? それとも痴呆が始まったんですかね、ニンゲンは短命ですから」

「聞いてくれ、ル・シエラ。昨日、マスター・ヴィゴ――マーティンおじさんが現れた」


 記憶をたどるための、間が生まれた――妖精であるル・シエラにとって、三年前に会ったきりのニンゲンを思い出すのは、それなりに大変な作業なのだろう。

 あんな目立つ風貌、普通だったら絶対忘れないと思うけど。


「……ああ、“傷顔スカーフェイス”ですね。あの血なまぐさい男。お祭り好きだったとは」

「彼は闇ギルドに協力していて――チトセを蘇生させる可能性について、僕に教えてくれた。対価を払えば闇ギルドが助力してくれると」


 ル・シエラが口を開く前に、僕は続けた。


「興味深い話だと思う。でも、鵜呑みには出来ない。だから、自分で調べることにした」


 僕は旅行用のバックパックの口を閉めると、マントの上から背負う。


「……アルちゃん、本気ですか? 死んだニンゲンを蘇らせる方法が、本当にあるとでも?」

「彼が言うには、あの事故の犠牲者は死んだ訳じゃなく、まだ霊素エーテルの状態であの街に留まっているらしい。もしかしたら霊素再構築エーテル・リコンストラクションをもう一度行う余地があるのかもしれない」


 ル・シエラは額に指を当てて、少し考える素振りを見せた。

 かなり珍しいことだ――家妖精シルキーにとって、僕らニンゲンの発言や行為は概ね些事に過ぎない。

 彼女達の関心は、いつも住処フィールド保全キープにだけ向けられている。


「一つ訊ねましょう。我が棲家マイ・ホームよ」


 そして彼女が僕のことをこう呼ぶのは、もっと珍しい。


 憶えている限りでは、初めて出会った時――焼け落ちる廃墟から彼女を連れ出した時、それからチトセと結婚すると告げた時だけだ。


「それは、寂びるに任せ続けた我が棲家マイ・ホームを再び賑やかすために――必要なことなのですか?」


 僕は頷いた。

 迷うこと無く。


「例え、望まぬ答えを得たとしても?」

「……それは、もうとっくに受け入れてる」


 あの日からずっと、胸を焼き焦がし続けている。


 それでも。

 いや、だからこそ。

 

「もしも、霊素再構築エーテル・リコンストラクションが不可能なら。せめて――きちんと見送りたい」


 そうしなければ――僕は、チトセの思い出をカレンに話してあげることすらできない。


 彼女がどれほどカレンを愛していたのか。

 せめてそれだけでも、伝えてあげなければ。


 不意に。

 ル・シエラの両手が、僕の頬を包んだ。


「……アルちゃんがそんな顔をしているのは、久しぶりですね」

「そんな……って、どんな?」


 隙間風のようにさりげなく、ル・シエラが微笑む。


「泣いていない顔、ですよ」


 それから彼女は、いつものように澄ました様子で踵を返した。


「出立の前に話すべき相手は他にもいるでしょう。私が携行食を用意している間に、きちんと済ませておいてくださいね」

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