第71話 おじさん、揺らぐ

「アルがいたぞ! あそこだ、校舎の上!」

「コラー! 降りてこイ、アルフレッド! 男らしくないゾー!」

「せんぱーい、ユーリィは怒ってませんから、戻ってきてくださーいっ」

「アルフレッド先生、すまない。我らも悪ふざけが過ぎたようだ」


 誰かが僕を呼んでいる。


 知ってる。分かってる。

 彼女達が誰で、何故僕を呼んでいるのか。


(でも)


 頭がうまく働かない。


 僕は混乱していた。

 目の前に立つ男――宮廷魔法士にして闇ギルドの協力者、マーティン・ヴィゴがもたらした情報のせいで。


(あの日、僕が消し去ってしまった全ての人々が――地上に留まってる・・・・・・・・?)


 マーティンおじさんは、古傷が残る目を細めた。


ワシら・・・が調べたんじゃ。間違いない」

「何故、一体……どうして、何が」

「原因はまだ分からん。だが、この事実から導き出せる推論が一つある」


 ……そうだ。


 それは当然の推測。

 根拠は薄く、まだまだ心許ない。


 でも、この三年で――初めて見つけた希望。


「アルフレっちゃん。オノレのヨメさんを、蘇らせることができるやもしれん。霊素再構築エーテル・リコンストラクションの技術と――」


 だからこそ、僕は混乱していたんだ。

 少しでも考えを進めたら、その希望を消し去ってしまいそうな気がして。


「――オノレが大事に抱え込んどる、二人の来訪者ビジターがいれば」


 チヅルさん――【奪う左手トゥ・ハンド】。

 カレン――【与える右手フロム・ハンド】。


 街を覆うほどの超高濃度霊素エーテルを操ることができる、唯一の可能性。


 あの二人が持つ天恵ギフトこそが――マーティンおじさんが僕のもとに現れた、二つ目の理由だった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 僕の研究成果。

 そして、二人の来訪者ビジター


 その三つを提供すれば、闇ギルドは必要なものを全て与えてくれる。


 資金。設備。

 新しい身分と、権力。


 消えてしまったチトセを救うために、必要なもの。


「アルフレっちゃんがパイク・リリーを牢獄にぶちこんでくれたおかげで、王家十二門キングズ・ファミリーにはまだ空席があるんじゃ。闇ギルドのコネとカネを総動員して、そこにねじ込んだる。リターンは充分に見込めると吹き込んだら、頭領も首を縦に振りよったからの」


 ……マーティンおじさんは現れたときと同じく、【飛翔フライト】を使って夜空に消えた。


 僕は、はしごを調達してきたエレナ達に捕まって、酒場に連れ戻された。

 みんなが口々に何かを言っていたようだったけど、今の頭ではとても処理しきれなかった。


 その後、何がどうなったのか、はっきり憶えていない。


 気付けば、たくさんの人達が我が家の居間で酔い潰れていて。

 僕は、家のポーチに座り込んでいた。


(……眩しい)


 遠くの空が、朱に染まり始めている。

 もうすぐ夜が明ける時刻なのか。


 手の中にあった空っぽのグラスが、かすかに光っていた。


(チトセに……もう一度、会える?)


 未だに現実感が湧いてこない。


 チトセに会える。

 あの声を聞き、あの笑顔を見て、あの髪に触れて。


「また、一緒に……暮らせるのか」


 考えるだけで。

 胸の奥が、腹の底が――とにかく身体中のあらゆる場所が震えるようだった。


 もしそれが叶うなら。

 僕は、すべてを差し出しても構わない。


(……本当に?)


 僕は今、何を考えた?


 すべて、とは。


 僕が差し出せるものとは――何だ?


「……おとーさん?」


 振り返ると、カレンがいた。

 寝間着のまま、派手に寝癖をつけた姿で。


「みつけた」

「ああ……ごめん、カレン。起きちゃったのか」


 小さな手で目蓋をこすりながら、僕の膝の上に座り込む。

 

「んー……おとーさんが、お布団にいなかったから、さがしてた」

「ごめんね。宴会に付き合ってたら、朝になっちゃって」


 カレンは、僕の腕にぐりぐりと鼻先を押し付けてきた。

 まだ寝ぼけているのだろう。


「いーよ。だって、たのしかったんでしょ。おまつり」


 そうだった。

 ずっと準備してきた星祭スターフェスは、昨夜で幕を閉じた。


「カレンもね、すっごいたのしかったよ」

「そっか……よかった」


 その達成感を味わうべきはずだったのに。

 あの馬鹿騒ぎですら、もう遠い過去の出来事のように思えた。


「おとーさん。あのね、カレン、夢を見たの」


 不意に漏れた一言。

 僕は、頷いて続きを促した。


「おまつりの夢。見たことないまちで……おとーさんと、あと、おねーさんと、いっしょにあそんだの」


 不安と疑問をもてあますように、カレンは僕を見上げる。


「おねーさんはね、チヅルおねーちゃんにそっくりだったの。でも、ちがう人だった。やさしくて、にこにこしてるのに……さみしくて」


 夜空よりも深い色をした、カレンの瞳。

 そこに僕が映っていた。


「あのひと、カレンの、おかーさんだよね?」


 伸びた無精髭、痩せた頬、腫れた眼。

 まったく酷い顔だった。


 三年前から何も変わらない――自分の手で、大切なものをすべて壊してしまった男の顔。


 たった一つの例外を除いて。


「……おとーさん? どしたの――いたいよ?」


 僕は、カレンの小さな背中を抱きしめる。

 ほとんどすがるようにして、泣き出すのをこらえた。


「……そうだよね。いつまでも、フタはしておけないよね」


 カレンの記憶が戻り始めている。

 あの事故以来、断片的になっていたはずの過去が。


 僕は、告げた。

 そうするしかなかった。


「うん。その人がカレンのお母さん――チトセだ」


 カレンは驚き、それから満面の笑みを浮かべて、


「思ってたとおりだったよ。すごい美人で、やさしくて――カレンのこと、だいすきなひと」


 ああ。

 その通りだよ、カレン。


 君のお母さんは、誰よりも君のことが好きで。


 最後まで君のことを守って――あの日、消えたんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る