第70話 おじさん、闇のおじさんと出会う

 僕は頭を振った。

 彼の言うことを否定したい訳じゃなく、単純に理由が分からなかったから。


「もう一度訊きます。どうしてここにいるんですか、マスター・ヴィゴ?」

「堅苦しいのはよさんか、マスター・ストラヴェック……いや、アルフレっちゃん! ここは宮廷とは違うんじゃ」


 破顔一笑。

 彼――マーティン・ヴィゴの笑い方は、まさにそんな感じだった。


「……僕も、久々にお会いできて嬉しいと思ってます。マーティンおじさん」

「ワシもじゃ。変わらんな、と言いたいところじゃが……流石にちょいと老けたな、アルフレっちゃんも」

「いつまでも十六歳って訳にはいきませんよ」


 十六歳で宮廷魔法士となった僕を、師匠――モルガン・ラウェイと共に導いてくれた偉大な魔法使い。

 言ってみれば親戚のようなものだ――本物の親戚はいないから、分からないけど。


「まあオッサンになったってのは、勲章じゃ。そこまで生き延びたってことじゃからな」

「……ええ、本当に」


 マーティン・ヴィゴ。

 モルガン・ラウェイ師匠。

 そしてグリフィン・グローリー所長。


 彼らが“最古参の三賢人ザ・スリー・オールド”と呼ばれているのは、何故か。


 理由は単純――かつての戦争で、彼ら以外の宮廷魔法士は戦死したからだ。

 マーティンおじさんの顔にも、戦場で負った傷痕が多く残っている。

 どれも命には関わらないと治療しなかった軽傷だ――本当の重傷は、跡形もない。


「それで、どうします? もし昔話に花を咲かせたいなら、少し後でもいいですか? 今、ちょっと立て込んでて」

「ああ、全部見とったわ。相変わらずモテとるみたいじゃのう。アルフレっちゃんが結婚する言い出した時、ウチの娘達がどんだけ荒れたか……思い出すだけで寒気がするわい」

「……おじさん。質問を変えたほうが良いですか?」


 マーティンおじさんは軽く肩をすくめて、


「分かった分かった、ワシがここに来た理由を説明しろっちゅうんじゃろ。まったく、せっかちなところはモルガンのババアそっくりじゃ。アレだけ長生きしてまだ生き急いどるとか、なんかの病気じゃなかろうか」

「生き残るためには疑問を持ち続けろ、って教えてくれたのはあなたですよ」

「減らず口の聞き方までババアと同じか。嫌味な師弟じゃ」


 できることなら、僕も素直に再会を喜びたかった。

 でも、本来ならこんな形で会えるはずがない。


 僕が辺境に幽閉されたことは、宮廷魔法士の多くが知ってる。

 ただし詳細な所在地――この村にいることは秘密だった。

 誰かが僕と共謀するのを防ぐため、そして僕の暗殺を防ぐため。


 ユーリィがここにいるのは、偶然と連絡ミスが重なった結果なのだ。


 マーティンおじさんはユーリィとは違う。

 彼は直接、僕に会いに来た。しかも一人になるタイミングを狙って。


 何のために?


「どうやってここを知ったかっちゅうと……ちょっと前に、冒険者ギルドから来訪者ビジター保護申請が届いた時、ユーリィ嬢ちゃんがすっ飛んでいったのが最初のヒントじゃった。あとは、リリー領での闇ギルド関連の騒ぎじゃ。あんなイカれた真似、ユーリィ嬢ちゃんがしでかしたとは思えんかったんでな――闇ギルドの作戦に同行して・・・・・・・・・・・・正解じゃった」


 遠く聞こえていたエレナ達の声が、段々と近づいてきていた。

 視界の端で、松明の明かりがちらついている。


「んで、ワシがここに来た目的を知りたいなら……答えは二つあるぞ」

「教えてください」


 促してはみたが、正直、あまり答えを聞きたいとは思えなかった。

 もし誰にとっても良い話なら……こんな風に不意をつく必要も、なかったはずだから。


「一つ。オノレの力が必要じゃ、アルフレっちゃん。ワシのところに来い」

「……あなたの工房アトリエの掃除係だけは遠慮します。あの惨状は思い出したくない」


 マーティンおじさんは笑ったが――その目は至って真剣だった。


「こんな片田舎で出来る研究なんてたかが知れとる。資材も設備も人手も全てが足りん。分かっとるんやろ?」

「王立魔法研究所は、僕を永久追放したでしょう」


 分かりきった前提だ。

 国土に未曾有の災害をもたらした僕という存在は、王立魔法研究所と王家にとっては負債以外の何ものでもない。

 例えユーリィがどれだけ努力しても、その過去は変えられない。


「違う。オノレを必要としとるんは、闇ギルドじゃ」


 ……予想はしていた。

 でも、マーティンおじさんの言葉を受け止めるには、少し時間が必要だった。


「あなたほどの魔法使いが、闇ギルドに協力してるんですね。一体どうして、そんなこと」

「簡単や。あそこなら王立魔法研究所ではできなくなった研究ができる」


 できなくなった研究?

 まさか。


「オノレが見つけた霊素再構築エーテル・リコンストラクションはホンモノの奇跡や。あの研究を潰すなんて、バカのやることじゃ」


 そんな、馬鹿な。


 僕は二の句を継げなかった。

 あの理論はただの妄想だった。いや、最低の悪夢でしかなかった。


 一つの街から生命を消し去り、チトセの命を奪った最悪の研究。


 それを――マーティンおじさんが追い続けていたなんて。


「アルフレっちゃんがおらんくなって、ドミニクの坊やが副所長の椅子を勝ち取って以来、王立魔法研究所は貴族連中の願望を満たすための御用聞きに成り下がったんじゃ。あそこはもう魔法使いの居場所じゃあない」


 違う。

 そんなことはどうでもいい。


「やめてください、マーティンおじさん! 霊素再構築エーテル・リコンストラクションの研究を続ければ、いずれまた悲劇が起こる!」

「寝言抜かすな、アホウ。一つ二つの失敗で研究を諦めるなんて、王様が許してもワシが許さんぞ。魔法使いの心得なら、モルガンのババアに死ぬほど聞かされたじゃろ」


 魔法使いの本分は真理の探求と普及にある。

 そのためならば、すべてを許せ。


 分かってる。

 その考えは正しい。でも。


「例え、魔法使い失格と言われても。僕はあの事故を繰り返すつもりはありません」

「当たり前じゃ。ええか、よく聞け。失敗から目を逸らすな。そこから学んで高みに進むんじゃ、アルフレっちゃん」


 マーティンおじさんは、じっと僕の目を見ていた。


「今あの街がどうなっとるか、知っとるか」

「……街にいたすべての生物が霊素分解エーテル・デコンポーズされ――状態が安定したことが確認された後、禁忌指定になったと」


 人はおろか虫の一匹、土中の微生物に至るまで、全ての生命が完全に霊素エーテルとして分解され、跡形もなく消え去った街――秘匿名『死の世界アンダーワールド』。


 それが、僕が起こした事故の結果。


「確かに、それは事実や。でも大切な情報が欠けとる」

「……どういうことですか」


 ――不意に、僕を呼ぶ声が聞こえた。

 エレナ達がとうとう学校にたどり着いたのだろう。


「公式報告書では伏せられておったがの――あの街アンダーワールドには、三年が過ぎた今も超高濃度の霊素エーテルが滞留しとるんじゃ」


 遠かったざわめきと揺らぐ炎は、すぐそこまで近づいていた。

 

「それは――つまり」

「あの日、霊素分解エーテル・デコンポーズされたものは全て、まだこの世界に留まっとる。っちゅうことじゃ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る