第74話 おじさん、チンピラとエンカウントする

「待ってくださいっ、アルフレッドさん!」


 ……村の外れ、いつもチヅルさんやカレンと魔法の練習をしている空き地。

 周囲への影響を考えると、【空間転移テレポート】を使うのはここが最適な場所だった。


 この魔法で人間大の物体を転移させた場合、転移先だけではなく転移元でも騒音や衝撃が発生してしまうのだ。

 宮廷魔法士達は何十年もこの欠点を改善しようとしているけれど、未だに決定的な対策は発見できてない。


「チヅルさん。僕、忘れ物したかな?」

「違うんです、その……やっぱり私も、ついていきたいんです」


 チヅルさんはしっかり旅装を整えていた。

 いつだったか、エレナにもらったヒドラ革の軽鎧まで着込んでいる。


「……気持ちは嬉しいよ。ただ、僕一人で行くのが一番効率がいいんだ」

「説明は理解したつもりです。でも」


 彼女は必死に言葉を探す。

 僕は待った。いつもそうしてきたように。


「……不安なんです」

「大丈夫だよ。エレナとユーリィがいる。ル・シエラも。マリーアン様も力を貸してくれるはずだ。それにチヅルさんも、もう自分の身を守る方法は分かるよね」


 チヅルさんは頭を振った。


「アルフレッドさん。もし、チトセおばさんが――帰ってきたら、どうしますか?」

「……とても嬉しいと思う。本当に、そんな奇跡を起こせれば」


 過ぎ去った時は戻らないけれど。

 それでも、あの日消えた人々が帰ってくるなら、少しは僕の罪も贖えるだろう。


 もちろん僕は知っている。

 いや、魔法使いは皆、骨身に染みているはずだ。


 魔法は人の手によって扱われる技術であって――奇跡ではない。


「私は……どうなりますか?」


 一瞬。

 僕はチヅルさんが何を言っているのか、理解できなかった。


「私とカレンちゃんの天恵ギフトで、チヅルおばさんが救われて。元通り、アルフレッドさんとカレンちゃんと三人で暮らし始めて。そしたら」

「……自分の居場所がなくなる?」


 ああ、そうか。

 僕が覚えていた違和感の正体はそれ・・だったんだ。


「ごめんなさい! アルフレッドさん、こんな、大事な時に、私、自分のことなんて、その、違うんですっ! チトセおばさんにまた会えたら、私だって本当に嬉しいんです。心から、でも、私、どうしても、不安で」

「……チヅルさん。いや、ごめん。正直に言ってくれてありがとう。もっとちゃんと話しておくべきだったね」


 僕はチヅルさんの肩に手を置いた。


「君は、もう僕達にとって家族だ。とても大切な存在で、かけがえのない」


 カレンと話した時と同じぐらい、あるいはそれ以上に、真摯な気持ちで言葉を紡ぐ。


「確かに、初めはチトセがつないでくれた縁だと思う。でも、自分のことをチトセの代わりだと思ってるなら、それは間違いだ」

「……はい」


 チヅルさんは僕の妻じゃないし、カレンの母でもない。

 それ以外の何か――特別な存在だ。


「どういう言葉を当てはめればいいのか、分からないけど……不安に思う必要なんて、ない。絶対に」


 チヅルさんは頷いてくれた。

 何度か、確かめるように。


「……もし、チトセおばさんを――呼び戻せる可能性があるなら、私達を、その『街』に連れて行ってくれるんですよね」

「うん。力を貸してもらうことになる」


 それから、彼女は笑った。

 赤くなった目をごまかすように。


「一緒に行ける日が、楽しみです」

「……僕もだよ」


 僕はそのままチヅルさんを抱きしめそうになって――慌てて思いとどまった。


 いくら家族でも、繊細な年頃の女性だ。

 そういうのは良くない。

 うん。ダメだ。


「それじゃ、行ってきます。暑い日が続くから、体調に気をつけてね」

「はい。いってらっしゃい、アルフレッドさん」


 ――そして僕は、まずは第一の目的地である王都へと旅立った。

 懐かしの古巣――王立魔法研究所を訪れるために。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 千年都市、光の都、北方に輝く宝玉、大陸の薔薇――

 この街につけられた呼び名は数多あるけれど。


(確かに、どの異名も相応しい街並みだと思う)


 王都。

 国王陛下が坐す宮殿を頂く街は、数々の戦乱を乗り越えて今なお繁栄を続ける国家の象徴。

 白亜の宮殿、そして堅牢な石造りの建築群には、古代人がモンスターと戦うために築いた要塞の面影はなく、まるで菓子職人が創り出した甘く優しい砂糖細工のような。


 この街を初めて訪れた十七歳の僕にとっては、事実、理想郷だった。

 人生で誇れるものの多くを、ここで手に入れたのだから。


 ……街を見下ろす丘まで転移してきた時は、そんな感慨にふける余裕もあったけれど。


(さて、どうしたもんかな)


 市街を守る外壁、その周辺に広がる田園地帯まで徒歩で近づいたのは計画通りだった。

 見張りの隙を突いて【浮遊レビテーション】を使い、外壁を飛び越えたのも計画通り。


 ……できれば普通の旅人に混じって城門を通りたかったのだけど、生憎、王都には僕のことを知っている人がかなりいる。

 特に、衛兵隊のみんなとは治安維持関係の仕事で接することも多かった。

 三年程度じゃ顔を忘れられないほどには。


(クエンティン、ジム、ルイーザ……ジョンとエリスの子供はもう話せるようになったかな)


 ああ、ダメだ。目の前のことに集中しないと。


 僕の背後――路地の行き止まりには、乱れた胸元をかばうご令嬢が二人。

 そして僕の前には、冒険者らしき男達が六人。しかも武装している。


「――よお、おっさん。女の前でヒーロー気取んのはいいけどよぉ、相手を選んだ方がいいんじゃねえか?」


 違う、そんなつもりじゃない。

 たまたまなんだ。


 たまたま城壁から飛び降りたのがここ――周縁部でも治安の良くないエリアで。

 たまたま酔っ払った君達が、ご令嬢を追いつめたのもここで。

 たまたま王都の平和を守る衛兵達がおらず、ご令嬢が頼れそうな人は僕しかいなかった、ってだけで。


(……三つ重なったら運命、って言ったのは……そうだ、アーラデンシアだ)


 彼、何でも言ってるな。辞書か?


「……頼む、騒ぎを大きくしたくない。衛兵が来る前に、ここを去ってくれ」

「去るのはテメェだよ、おっさん。でないと痛い目見んぞ、アァ?」


 不良冒険者達が見せびらかしてきたのは、ロングソードが二本、ハンドアックスが一本、ダガーが二本、それからメイスが一本。


「オラ、失せろよ、カス!」

「首切り取って晒してやんぞ、ゴルァ!」


 ……大きな音を立てずに不良冒険者達の意識を奪い、ご令嬢に憶えられることなく姿を消す。


 よし。できる。

 こちらの都合で申し訳ないけど、話をしている時間もない。


 僕は決断すると――行動に出た。


(【静音壁サイレンス・ウォール】――)


 まずは、不良冒険者達の声を奪う。

 悲鳴を挙げられては困る。


「――――!」

「――――!?」

「――――! ――――!!」


 突然、周囲の音が消えて、慌てふためく不良冒険者達。

 口の動きを見る限り、まだ罵詈雑言のタネは尽きていないらしい。


(――【石弾ストーン・バレット】)


 整備の行き届いていない周縁街区には、手頃なサイズ――拳ぐらいの石や煉瓦がゴロゴロしている。

 唸りを上げながら飛んできた煉瓦が、冒険者の一人の後頭部を強打した。


「――――!?」


 昏倒する男。

 残ったメンバーは慌てて距離を取ろうとするが、


(続けて【足絡みベア・トラップ】――)


 地面から伸びる石の爪が、彼らの足を捕らえた。

 勢いよく転倒する五人の男達。


(――からの【石雨ストーン・レイン】)


 降り注ぐ石や煉瓦の雨は、彼らを余すことなく滅多打ちにしていく。


「――――!? ――――! ――――!! ――――!! ――――!! ――――…………」


 ……最後の一人が動かなくなるまで、一分もかからなかった。

 よし。第一目標は達成。


 それから、懐に忍ばせておいた魔刻器エンクレイブド――指輪を起動する。

 名前も知らない魔法使いが込めた、ごく普通の【石弾ストーン・バレット】は、眠りが浅かった一人をもう一度打ち据える。


(よし。これで魔法痕サインが混ざり合って、使用者の特定は難しくなる)


 研究所にいた頃は、人には話せない仕事を請け負うこともあった。

 その時に身につけた知識だ。


 僕は冒険者達が完全に意識を無くしたのを確かめると、さっさと彼らの懐を探った。武器を遠くに放り捨て、財布と冒険者ライセンス――魔刻エンクレイブが施された小さな金属板を抜き出すと。


 まだ唖然としているご令嬢達――背の高い方に、集めたライセンスと金を握らせる。


「この道をまっすぐ行くと衛兵の詰め所があったはずなので、通報を。衛兵隊と冒険者ギルドは仲悪いので、ライセンスを見れば喜んで逮捕してくれると思います」

「え、ええ――分かった」

「お金の方は迷惑料ってことで、服の修繕に使ってください。それでは」


 そこまでを早口で言い切ると、僕はさっさと身を翻す――


「ちょ、ちょっと待って、魔法使いさん!」

「どわ、っとと!」


 ぐんっ、とローブの裾を引かれ。

 僕は不良冒険者達と同じようなポーズですっ転ぶところだった。


「礼をさせとくれよっ! 受けた恩を返せないんじゃ、蜜月館ハネムーン・ハウスの名が廃っちまう!」


 ハネムーン・ハウス。

 その名前には聞き覚えがあった。


「いや本当に急いでいるので――」

「分かってるよ、アンタ不法移民だろ! 外壁を魔法で飛び越えてくるなんて! ウチならアンタを助けられるよ!」


 黙って見過ごしてくれれば、それで充分です……


 って即答できれば良かったんだけど、図星を突かれると言葉を失くすのは僕の悪い癖だ。

 僕の腕を抱きかかえると、彼女は背が低い方の女性――頬にそばかすが残る少女に六枚のライセンスを渡し、


「ライラ、アンタ通報してきな! アタシはこのニイさん連れて、先に店に戻ってるから」

「承知しやした、レミー姐さんっ」


 僕は、駆け出した少女――ライラとは逆の方向に引きずられていく。

 無理やり引き剥がす訳にもいかず、かといってこの女性――レミー姐さんを説得できる気もせず。


「ねえアンタ、どこかで見たこと気がするんだけど、もしかして賞金首かい? いや待って、すまない、余計な詮索をするつもりはないんだけど、アタシってばどうにもおしゃべり好きでさ、客には“おしゃべりインコ”なんて渾名までつけられちゃってねえ」

「ええと、違います、賞金首ではないです、あと、渾名はもう少し良いのがありそうですね、その、“小夜啼鳥ナイチンゲール”とか?」

「はっは、そんな可愛らしい名前つけられたら照れちまうよ! 気に入った、アンタ、魔法だけじゃなくて女を口説くのも上手いみたいね」


 なんてやっているうちに、僕らは周縁街区の中でも特に有名なエリア――色街へと足を踏み入れていた。

 黄昏時に特有の賑わいを抜けて辿り着いたのは、瀟洒な白塗りの館。


蜜月館ハネムーン・ハウス――王都でも一二を争う人気の娼館だったよな、確か)


 実際に訪れるのは初めてだけど。

 王都にいた頃に名前はよく聞いたし、誘われることも多かった。


 特に、ホルワット工房アトリエのミシェールは隙あらば僕を連れて行こうとしたっけ。彼の甘いマスクと歌声は、酒場や娼館では特に歓迎されただろうな。


 レミー姐さんは、準備中の札は一顧だにせず、勢いよく玄関を開けた。


「戻ったよ、レディ・シモーヌ! ついでに一名様ご案内だ!」

「おバカ、レミー! 今は男を入れるなって――」


 外観に違わず、ホールも美しく飾られていた――満ちる花の香りはうっとりするほど芳しい。


 そしてホールよりも、なお麗しいのは居並ぶ下着姿の女性達と――

 さらけ出された胸に聴診器を当てる白衣の女性。


「――アル、兄、さん……?」

「……フレデリカ!?」


 僕は彼女を知っている。


 フレデリカ・ヴィゴ。

 王立魔法研究所で医療用途の魔法を研究している魔法使い。

 そしてマーティン・ヴィゴの娘――正しくは、彼が経営する孤児院で育った内弟子。


 まさか、こんな形で再会するなんて。

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