第64話 おじさん、愛娘に恐怖する
「あらー! ようこそサーカスへ、小さなレディ! 今日はたっぷり楽しんでいってね」
「はいっ! わたしは、アルフレッド・ストラヴェックの娘、カレンですっ! きょうは、おまねきにあずかり、こうえいですっ!」
興奮と緊張でガチガチのカレンは、僕が教えた通りの挨拶を叫ぶ。
そんな少女を見るなり、マダム・カミラは大興奮の様子で、
「まあまあ、かーわいい!! はー、この子が噂の、アルちゃんセンセの娘さんね! ちょっとおいで、カレンお嬢さん、このマダム・カミラになでなでさせておくれ!」
「は、はいっ! ……いい? おとーさん?」
「もちろん、いっておいで」
エレナとユーリィと、それからチヅルさんと、大騒ぎしながらの屋台巡り――ユーリィが何か言うたびにエレナが張り合い、そこにチヅルさんが乗っかっていくから、どんどん競り合いの規模が大きくなって大変だった――を終えると。
僕は予定通り、学校の友達と祭を回っていたカレンと合流して、マダム・カミラのサーカスに足を踏み入れた。
マダムのご厚意で、事前に動物やリハーサルの様子を見せてもらう約束になっていたのだ。
もう間もなく始まる公演に向けて、テント群の隙間を縫ってたくさんの団員達が行き交っている。
「んー、ほっぺぷにぷにだねえ、カレンちゃん! 黒い髪もまあキラキラと絹みたいで、ホントお母さんそっくり! 奥さん、あなたもイイ旦那と素敵な娘さん授かってよかったわねえ」
「えっ! ええっと、あの、わたしは母親ではなく、その、カレンちゃんの従兄弟で」
「あら! まあまあまあ、そうなの!? 随分よく似てるもんだから、アタシったら勘違い、おほほほほ」
照れ隠しで何故か僕の肩をバシバシと叩いてくるマダム。
まあ、僕とカレンと三人で現れたら、どうしてもチヅルさんが母親に見えてしまうよね。
カレンとチヅルさんは髪の色も目の色も同じ、顔立ちも似てて、よく懐いてるんだから。
流石の僕も、この三ヶ月でそれは理解した。
実際、チヅルさんはたくさんカレンの世話をしてくれている。
お風呂係はすっかりチヅルさんの担当だ。
(……とはいえ。なんだろう、この居心地の悪さというか、むず痒さは)
チヅルさんがカレンの亡き母――チトセにそっくりなのは事実だ。
僕も面影を感じてしまうことはある。
でも、チヅルさんはチヅルさんだ。
チトセじゃない。
(勘違いするな。甘え過ぎちゃいけない。チヅルさんはいつか僕らの元を離れて、自分の道を行くんだ)
僕は自らに言い聞かせる。
こうして三人で過ごす穏やかな時間は、気まぐれな
チヅルさんには『この先』がある。
もちろんカレンにも。
(『この先』……カレンが巣立った、その後、か)
さっきユーリィに言われた言葉が、ふと脳裏に蘇る――
「おとーさん! こっちこっち! カミラおねーさんが、ゾウさん見せてくれるって! お鼻が長いんだって! どんな生き物なんだろー」
「ま! おねーさんだなんてもう、カレンちゃんったら! 親子揃ってお口が上手なんだから! もう!」
……カレンは、いつの間にかマダム・カミラに手を引かれて、ショーに出演する動物達の檻へと歩き出していた。
僕とチヅルさんも、その後を追う。
「どうしたんです、アルフレッドさん? エレナさん達のこと、心配ですか?」
「えっ? あ、ううん。それは全然、まったく」
僕のおごりでたらふく食べたエレナは、村の広場で行われていた地元産エールを使った酒飲み大会を見かけるなり、喜んで混ざりに行った。
曰く『これはただの腹ごなしだ、後からサーカスに向かうからカレンと待ってろ』だそうだ。
正直、傷に響くからお酒はやめろと言いたかったけど……エレナがやりたいと言い出したことを、止められるはずがない。
エレナの酒豪っぷりを知っている主催者――酒造家のバーレイさんは若干顔がひきつっていたので、彼にはあとでお詫びしに行こう。
ユーリィは僕に代わって、サーカス終演時に上げる花火の準備に向かってくれた。
曰く『くっ……ユーリィもサーカス行きたい……正直ショーには興味ないけど客席で先輩と膝を突き合わせたいです――でもアル先輩とカレンちゃんのひとときの為なら――ここはユーリィに任せて! 先に行ってください!』だそうだ。
チヅルさんによると、チキュウではこういう発言を死亡フラグと呼ぶらしい。一方で生存フラグと呼ぶハピエン派という宗派もあって、解釈が分かれるとかなんとか。
……チキュウの宗教観は複雑で、僕にはよく分からない。
「その。あとどれぐらい、こういう時間を過ごせるんだろう、と思って」
「こういう、って」
「僕と、カレンと、それからチヅルさんと。三人で遊んだりする時間」
不意の沈黙。
チヅルさんに目を向けると、彼女は言葉に詰まったみたいだった。
ただ、目元の力を抜いて、口の端を持ち上げた――泣いているようにも笑っているようにも見える表情で、僕を見ていた。
「……アルフレッドさんって、いつも別れを前提にして話しますよね」
「えっ、あ、そうかな? ごめん、その、もう少し大きくなったら、カレンは今みたいに僕と遊んでくれなくなるんだろうなーって思って……別に、チヅルさんにプレッシャーをかけるつもりとかではなく」
チヅルさんは小さく頭を振って。
「すみません。責めたりしたい訳じゃなくて……その、アルフレッドさんにとって、
僕自身にとって?
僕は……自分の中で言葉を探す。
「特別、だと思う。チヅルさんがいてくれることも含めて……普通なら、ありえなかった体験だと思うから」
「……わたしも、そう思ってます」
カレンは動物達の檻を見つけると、飛び跳ねるような勢いで近づく。
その様子に目を細めながら、チヅルさんは呟いた。
「だからつい、ずっと続いたらいいのに、って思っちゃうんです」
サーカスの賑々しさの中ではすぐに消えてしまいそうなほど、小さな声で。
「おと! お! おとーさん! 見て! 見て見て見て! すご! 鼻! ちょーながいよっ!」
鉄格子にかじりつきながら、鼻息荒く語るカレン。
僕とチヅルさんも目線を合わせて、ゾウを見上げた。
山のような巨躯に灰色の肌。意外なほど優しい眼差しが僕らを見つめている。
「おおお、やっぱり本の挿絵とは違うね、レニーロの博物誌だと耳はもっと大きくて、翼みたいなサイズだったのに!」
「チキュウのゾウは見たことありますけど……こっちのは目が大きくて、かわいい気がします」
「えっ、そーなの! チヅルおねーちゃん、すごーい! ライオンは? ライオンは見たことある?」
大きなたてがみを携えた勇壮なライオン――チキュウ産との違いは体格の巨大さ。
七色の羽を携えた極楽鳥――チキュウの種よりも言葉が流暢。
大きな玉とじゃれあう熊――これはチキュウのものと変わらないらしい。
「さあ、どうだったカレンちゃん? アタシ達サーカス団が誇る動物達は」
「えっとね、すごい大きくて、かわいくて、えっと、それから、それから~……大きかった!!」
カレンが満面の笑みで両拳を突き上げると、マダム・カミラは満足げに頷いた。
「サーカスってすごいんだね、動物いっぱいで、なんか、わくわくするねえ」
「ふふん、すごいのは動物だけじゃないのよ、カレンちゃん。人間もがんばってるんだから。こっちへおいで、楽屋も見せてあげよう!」
えっ、そんな、いいんですか?
「だってアルちゃんセンセにはお世話になってるもの。今回は特別よ、特別!」
「わー、特別! やった、おとーさん、えらい! たくさんお世話したげたんだねっ」
カレンが僕の頭をよしよししてくれた。
……祭の準備にまつわる苦労がすべて報われた気がする……!
「……アルフレッドさん、二人とも楽屋入っちゃいますよ」
はっ。
いかんいかん、正気に戻ろう。
僕とチヅルさんも、楽屋になっているテントの入り口をくぐる。
「――さあカレンちゃん! この子達が、アタシのかわいい子供達にして、天下にその名を轟かせるマダム・カミラのサーカス団さっ」
「おじゃましますっ! こんにちは、カレンです! あっ、アルフレッド・ストラヴェックの娘ですっ」
僕は、準備や打ち合わせの合間に団員のみんなとは顔を合わせていたけれど、本番用の衣装やメイクを済ませた状態で会うのは初めてだ。
さぞ面白おかしく、華やかな姿で勢揃いしているんだろう――
「――ちょっと、アンタ達! どうしたんだい、そんな泡食った顔しちゃってさ。まさかロドニッサが腹でも壊したのかい? 拾い食いはやめろって何度も――」
「違うよマダム! フルネラリの奴がいないんだッ」
僕の期待に反して。
団員達は数人しかおらず、準備もまだ半ばのようだった。
必死な様子でマダム・カミラに訴えかけたのは、グラナ・レッチェン――北方出身の軽業師で、痩せぎすの身体にタイトな原色の衣装がよく似合っている。
「なんだって!? まさかあのバカ、またどっかで酔いつぶれてんのかい?」
「多分ね、祭りを覗いてくるって言ってたし――手の空いてる子達で村の方へ探しに行ったけど、この賑わいだろ、本番までに見つかるかどうか……」
……どうやら、あまり良くない事態のようだ。
フルネラリ――ジャグリングと投げナイフが得意なハーフリングの女性は、とても陽気な無類の酒好きで、酔っ払っていない時の方が少ないとか。
僕が打ち合わせに来た時も、挨拶代わりにエールを勧めてきた覚えがある。
「お困りみたいですね、マダム・カミラ」
「ああ、申し訳ないね、アルちゃんセンセ。身内の不始末だよ――フルネラリの奴、最近は前後不覚になるほどは飲まないようにしてたのに」
「あの子がいないとショーに穴が空いちゃうよ、マダム! 今日はオールバニ卿の予約も入ってるし、ホラ、あのジャグリング好きのおじいちゃん!」
なるほど。
さて、人探しとなると何の魔法が使えるだろう。
これだけの人出だ、【
(【
と、悩む僕を尻目に。
「……ねえねえ、チヅルおねーちゃん。ジャグリング、ってなに?」
「えーとね、あそこにある棒とかボールとかを、くるくる投げてキャッチするっていう曲芸でね」
「あっ! それ、カレン見たことあるー! 前にね、村に来た曲芸師の人がいてね」
カレンは好奇心を抑えられなかったらしい。
テントの隅、大きなバッグからはみ出していたジャグリング用の
「こうやって、ポン、ポン、ポーンって!」
勝手に投げ始めてしまった。
「あっコラ! カレン、ダメじゃないか! 断りもなく人のものを触っちゃ――」
カレンの手から放たれた、五本のクラブは。
床に落ちること無く、空中をぐるぐると回り始める。
「――えっ?」
「こういうのでしょ? ぐるぐる、ぐるぐるーってなるやつ!」
その場にいる全員が、呆気にとられていた。
「ぐるぐるーの、ぴろぴろーの、ぴょんぴょんぴょーん!」
カレンが放つクラブは自由自在に宙を舞い――やがて軌道は円から八の字、ツバメの軌道、花びらの軌道、どんどんと変化していく。
(……嘘だろ)
一番驚いているのは、多分、僕だ。
いや、魔法使いなら誰でも自分の目を疑うだろう――この曲芸は、ただの曲芸じゃない。
そもそも。
親の贔屓目を抜きにしても、カレンは魔法の天才だ。
元宮廷魔法士として、僕はそれを保証できる。
けれどこんな曲芸をやってみせる人間には、もはや天才という言葉すら当てはまらない。
(僕が使っていた【
まず、その時点で規格外だ。
構成を理解していない魔法を見様見真似で使えば、どうなるか――王立魔法研究所でも屈指の才を持つユーリィの【
さらに、無呼吸無動作無詠唱――普通の魔法使いなら手も届かないような高等技術を駆使して、まるで手足を振り回すような気軽さで魔法を使い。
その上、複雑で精密な軌道でクラブを回転させ続けている。
まさか魔法を継続使用しながら、リアルタイムで構成をアレンジしているのか?
(
過去の文献を記憶から引っ張り出しながら。
僕の胸に芽生えた感情は、驚愕でも、歓喜でも、ましてや嫉妬でもなく。
ただ――恐怖だった。
(この才能が伸びていった時――カレンは、一体どうなるんだ?)
あるいは僕のように、道を間違えたら。
この子はいつか、正真正銘の“
「あ、アルフレッドさんっ! その、これ、カレンちゃん! と、止めないと、魔法が暴走しちゃうんじゃ!?」
「……あっ、ああ、うん、そうだね。カレン! やめるんだ、良い魔法使いは無闇に魔法を使ったりしない!」
僕の大声に、カレンは不意を突かれたようで。
宙を待っていたクラブ達は、ゴトゴトと地に落ちた。
「いい子だ。よく止められたね」
「……ごめんなさい、おとーさん。カレン、悪い魔法使い?」
僕は躊躇うことなく首を振った。
カレンは悪い魔法使いじゃない。
いや、誰よりも良い魔法使いになる――そうなるように導くのが、僕の役目だ。
「クラブを拾ってマダムに謝るんだ、いいね。僕も一緒に集めるから――」
「――なあ、オイ。サーカス団の楽屋ってのは、ここか?」
「んあああ、うんむ、てゃぶん、きょきょだとおも――おえ」
その時。
突然テントの入口から顔を覗かせたのは、エレナだった。
そして、彼女が背中におぶっているのは。
「フルネラリ――アンタ、このバカ! 何やってんのさ!」
渦中の人物――どうやらべろんべろんのぐでんぐでんになるまでエールを飲み続けたらしきハーフリングのジャグラー、フルネラリだった。
「やあやあマダム、そしてみなさまおそろいで、てょうどいい、わらしのあてゃらしいげいを――うぷっ!」
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