第17話 JK、異世界スローライフはじめました

 翌日は快晴だった。

 朝を彩るのは鳥たちの爽やかな鳴き声と、柔らかな緑の香り。

 できることならずっと包まれていたいと思う。


「……えっと、大丈夫ですか、ユーリィさん」

「ええ。ええ……もう全然。大丈夫。絶好調です。この頭痛と胃のムカつきと吐き気さえなければ、全然」


 それは全然ダメなんじゃないかな。

 と指摘するのもかわいそうになってくる。


 泥団子みたいな顔色をしたユーリィさんは、ダンゴムシみたいに慎重な足取りで、アルフレッドさんの家にやってきた。

(結局、昨日は酔いつぶれて、隣りにあるエレナさんのお家に連れて行かれたらしい。気付いたら硬い床の上だったとか、身体が痛いとか、散々文句を言っていた)


「……本当に大丈夫かい、ユーリィ。なんかドドミドロゴグゾウゲジムシみたいな感じになってるけど」

「心配、してくれるなんて、ユーリィ、うれしいですっ★」


 アルフレッドさんは聞いたことのない虫の名前を出したけど、多分ダンゴムシに似た虫だろう。

 異世界だとだいぶすごい名前で呼ばれてるんだな、と妙なところで感心してしまう。


 ……アルフレッドさんの横顔を、じっと見る。

 涙の跡はない。当たり前か。

 この人はそういう人だ。


「それ、で……もう準備は、いいですか? 馬一頭での、移動に、なりますから、あまり荷物は……乗せられません、よ」

「大丈夫だと、思います。もともと、大した荷物もないので」


 ル・シエラさんは山のようなお弁当を、エレナさんはものすごく重そうな鎧を用意してくれたけど、丁重に断った。

 お弁当はともかく鎧は完全にもてあますから、と言ったら、エレナさんはしぶしぶ諦めて、わたしでも着られそうな革製の鎧一式をくれた。


 アルフレッドさん曰く、ヒドラの革で仕立てたマジックアイテムで、軽いけれど普通の魔法なら簡単に防げるほどの逸品だとか。売り払えば家が二軒は建つほどの価値がある、らしい。

 でもエレナさんは、もう使わないから気にするな、とあっさり。

 ちょっと不器用だけど、やっぱり優しい人だと思う。


(……こんな素敵な人に想われてるのに、アルフレッドさんって、ホント、なんていうか……ダメな人)


 チトセおばさんも苦労したんだろうな、きっと。


 ……今朝だって。

 わたしの部屋を訪ねてきたアルフレッドさんは、開口一番こう言った。


「昨日は取り乱して、ごめん。チトセのことを悼みたいのは、君だったのに」


 あれだけ泣きじゃくっておいて、今も目の辺りを真っ赤に腫らしているというのに、この人はまだ、わたしに気を使うつもりなのか。

 そう思うと、なんだか腹が立ってきた。


「アルフレッドさん。じゃあ、わたしの話を、聞いてもらってもいいですか」

「もちろん」

「じゃ、こっち来て。座ってください」


 部屋にはベッドしかなかったので、横並びに座る。

 わたしは、一晩考えたことを口に出す。


「……わたしも、チトセおばさんが亡くなったのは、悲しいです。とっても」

「うん」

「でも、昨日アルフレッドさんに肖像画を見せてもらった時……わたし、嬉しかったんです」


 わたしの前からチトセおばさんが消えたのは、もう十年以上前のことだ。

 どうしてあんな素敵な人が、もっと一緒にいたかったのに、と思うと、とても悲しくて、さんざん泣いた。


 けれど。


「もうとっくに……亡くなったと思ってたチトセおばさんは、この世界で生きて、アルフレッドさんと出会って、結婚して、カレンちゃんまで産んでいたんだって、分かって。きっと、すごく幸せだったんだろうな、って」


 少なくとも。

 肖像画に描かれていた彼女は、喜びに満ちていたように見えた。


「だから。実験とか事故とか、そういうことは、よく分からなくて。……わたしにとってアルフレッドさんは……チトセおばさんを幸せにしてくれた、恩人なんです」


 わたしは、アルフレッドさんに向き直ると。

 頭を下げた。


「ありがとうございます。チトセおばさんを、そんなにたくさん、精一杯愛してくれて」


 ……ああ。

 言ってから、気付く。


 もしも女神様が、何かの意図を持ってわたしをこの世界に連れてきたのだとしたら。

 この言葉を言わせるためだったのかもしれない、なんて。


「いや……うん、あの、こちらこそ――ああ、クソ、もう泣かない、つもりだった、のに」


 どうしようもないぐらいに涙を零すアルフレッドさんを見ていると、わたしもどうすれば良いのか分からなくなって。


 気付けば彼を抱きしめて、わたしも泣いていた。

 悲しくて、悲しくて、でも。

 それよりずっと嬉しくて、泣いていた。


 ……思い返すと、また泣きそうになる。

 それと同じくらい、恥ずかしくなる。


(……アルフレッドさんって、華奢に見えるけど、腕とか背中とか結構しっかりしてるんだよね)

 

 当たり前か。

 十歳以上も年上の男性に対して、何を考えてるんだろ。

 きっといつもカレンちゃんとか抱き上げてるんだろうし。


 でも、男の人を抱きしめたのって初めてだったから、つい、その。

 ドキドキしちゃった、っていうか。


(ごめんなさい、チトセおばさん)


 あのチトセおばさんなら笑って許してくれそうな……いや、それはいくらなんでも厚かましいか。


 わたしの視線に気づいたアルフレッドさんが、照れくさそうに頬をかく。


(……この人、ホント、こういう所がズルいんだよね)


 きっとチトセおばさんも同意してくれるはず。


 わたしはアルフレッドさんの後ろにいる、カレンちゃんとも目を合わせようとした。

 でも彼女は、アルフレッドさんの背中に隠れてしまう。


 朝からずっとそうだ。

 朝ごはんを食べている時も、歯磨きしている時も、わたしが部屋で荷物を整理している時も。


 幼い頃の自分を見ているようで、より愛おしくなる。

 夏休み、うちに遊びに来たチトセおばさんが帰る時、わたしもこうやっておばさんを引き留めようとしたのを憶えてる。


 ……わたしは。

 もう一度、考える。


(今のわたしには、自由がある。たくさんの選択肢がある。それに――大切だって思える人も、できた)


 首から下げたペンダントを――アルフレッドさんとカレンちゃんが作ってくれたプレゼントを、掴む。


 せっかくわたしはこの異世界に転移してきたのだ。

 好きなことを見つけて、好きなことをして、好きな人と一緒に暮らそう。

 ――チトセおばさんみたいに。


「……あの。ユーリィさん」

「はい?」

「それ、と……アルフレッドさん。カレンちゃん。ル・シエラさん。エレナさん」


 その場にいる全員の名を呼ぶ。

 そして、わたしは言った。


「……ごめんなさい。わたし。王都には、行きたくないです」  


 ぽかんとした顔のアルフレッドさんの、脇の下から、カレンちゃんが顔を出した。


「……ホント?」

「うん。あのね。わたし、もっとカレンちゃんと一緒にいたいんだ。他のみんなとも一緒にいたい――この村にいたい。もっともっと、知りたいことが、見てみたいものが多すぎて……ここより都会に行くのは、まだ無理だな、って思ったの」


 見る見るうちに弾ける――カレンちゃんの笑顔。

 甲高い歓声とともに抱きつかれて、わたしは危うく息が詰まるところだった。


「ちょ、ちょっとあなた、来訪者ビジターさん!? あなた、ご自分の立場分かってますか? あなたは前例のない危険な天恵ギフトの持ち主なんですよ!?」

「……落ち着け、ユーリィ。お前も昨日酔っ払って言ってただろ。『アル先輩こそ史上もっとも優秀な魔法使い』って。だったら、アルが調査を担当した方が、安全なんじゃないか?」


 まさかエレナさんが、味方してくれるなんて思ってなかった。

 わたしのことを、一番危険視してたはずなのに。


 目が合った瞬間、エレナさんから小さなウインク。

 ……どうしよう、わたし、ときめいちゃったかも。


「いやそれは言葉の綾というか、その、法律上の問題がありまして」

「まあまあ、なんて脆弱で根性無しで無能なニンゲンなのかしら。あんなにアルちゃんへの愛を語っておきながら、少しばかり自分の立場が脅かされたら、ルールを持ち出すなんて。あなた、自分の愛する人を信じることも出来ないのかしら?」

「ぬぐぐぐぐ」


 ル・シエラさんはホントに容赦がない。アルフレッドさん以外に対しては。


「……チヅルさん。本当に、いいの?」

「ごめんなさい、事前の相談もなしに。でも、わたし、本当にそう思ったんです」


 困ったような嬉しいような、アルフレッドさんの顔。

 わたし、これからどれぐらいこの表情を引き出せるかな。


天恵ギフトの調査は、やっぱりアルフレッドさんにお願いしたいです。あなたが魔法使いとして、一番頼れるって思ったから。もちろん、今までみたいにお荷物でいるつもりはなくて、この世界できちんと生きていけるように、色々なことを身につけたいって思ってます。……自分自身のために」


 それは、アルフレッドさんが教えてくれたこと。

 まずは自分のことを考えて。それから、周りの人のことも考える。

 アルフレッドさんは満足げに頷いてくれた。


「……教えがいのある生徒が出来て、嬉しいよ」

「ちょ、ちょっとアル先輩! 教えがいって言うなら、ユーリィの方が! ユーリィの方がありますよ!」

「いや、君はもう一人前の保護官だろ。そもそも来訪者ビジター自身が移送を拒否した場合はどうするか、昔教えたじゃないか」


 憧れの先輩にたしなめられて、ユーリィさんが涙目に。

 ごめんなさい、本当に。


「ぐぐぐぐ……来訪者ビジターに移送を強制することは深刻な対立を生む可能性があるため、同行を申し出て、引き続き調査と説得を継続することが望ましい、です」

「流石はユーリィ。僕も先輩として鼻が高い」


 悔しそうに歯噛みしていたユーリィさんは、はたと気付いたように。


「あれ? ってことはちょっと待ってくださいよアル先輩? ユーリィもここに住んでいいってことじゃないですか? えっお部屋がもうない? じゃあ仕方ないからユーリィ、先輩と同じ部屋で我慢してあげますよ?」

「いや。それは言ってないよ」

「そうだな。お前はウチに……いや、いびきがうるさかったから、その辺にテントでも張って暮らせ。ホント、地鳴りかと思うぐらいうるさかったからな」

「ちょっとなんですかエレナさん! ユーリィの扱い悪くないですか!? 敵の敵は味方のはずでは!?」


 またしてもわーきゃーと舌戦を始めたエレナさんとユーリィさん。

 アルフレッドさんも慣れてしまったようで、ツッコミすら入れなくなってしまった。

 ……なんか、本当にごめんなさい、ユーリィさん。


「……さてと。じゃあ、ル・シエラ。昨日の食材とお酒って、まだ残ってる?」

「いえ、残念ながら。予想よりも多くの皆さんが顔を出されたので」

「そっか……じゃ、今夜はギルドの酒場だね。送別会やったばかりでなんだけど、改めて歓迎会、ってことで」


 大人達の様子をキョロキョロと伺っていたカレンちゃんが、アルフレッドさんの袖をひっぱる。


「……ねえ、おとーさん」

「なんだい、カレン?」

「カレン、おはなし、むずかしくてよくわかんなかった……チヅルおねーちゃん、これからもウチにいる、ってことでいいんだよね?」

「ああ。そうだよ」

「よかったー。カレンね、チヅルおねーちゃんと読みたいご本、まだあったの、忘れてたから」


 その時見せたカレンちゃんの笑顔は。

 確かにチトセおばさんによく似ていて。

 

 わたしはまた、泣きそうになってしまった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 その夜。

 わたしの歓迎会という名目で、酒場は大いに盛り上がった。


 昨日は来られなかった学校の先生方や雑貨屋のアインさん、鍛冶屋のお二人に教会のアガタ司祭、他にも沢山の人達が歓迎してくれている中に。


 その人は、やってきた。


「――そなたが、我が領地に転移してきた来訪者ビジターか」

「え……あ、は、はい!」


 水を打ったように静まり返った酒場。

 中心に佇んでいる、絶世の美女。

 その扇で指し示されて、わたしはついキョドキョドとしてしまう。


 でも、アルフレッドさんは慣れた様子で胸に手を当て、彼女の前にひざまずいた。


「……ご無沙汰しています。マリーアン様」

「面を上げい。そんな他人行儀な真似はいらぬと、何度言えば分かるのだ――壮健のようだな、“魔王キング・ウィザード”殿。なかなか顔を見せられず、すまなかった」

「いえ、マリーアン様の領主としてのご活躍、私の耳にも聞こえております。先代もきっとお喜びでしょう」


 あとで聞いて知ったのだけれど――この美女は、とっても偉い人だったのだ。


 この辺境を統治するラーヴェルート伯爵家の現当主。

 “冒険令嬢リスキー・レディ”マリーアン・テレボワ・ラーヴェルート。


 ――どうやら、わたしの異世界でのリスタートは、平穏無事とはいかないみたいだった。

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